第6話:村での初日と夜の見張り
村の入り口での一悶着を経て、俺たちは無事に村へと足を踏み入れることができていた。
そこには木造の家々が並んでいて、中心を貫くようにして敷かれた目抜き通りは、踏み固められた土でできていた。
小さな市場が軒を連ねていて、村人たちは行き交いながら談笑し、家畜の世話をしている様子も見える。
牛や羊が人々に混じってゆったりと歩き、どこかの家からパンを焼く香ばしい匂いが漂ってきた。
「おぉ~。活気があっていいな!」
「この村は小さいが、周囲の村々と交易を行っているからな。それなりに物資の流れはあるし、辺境の割には豊かな部類だろう」
セシリアの言葉に頷きながら、俺は初めて見る異世界の村をじっくりと観察した。
市場には見慣れない果物や干し肉が並び、店主たちが活気よく声を上げている。
俺は思わず露店のひとつで足を止め、並んでいる食材をまじまじと見つめた。
「この赤い実、なんだ? トマトに似てるけど……」
「それはフレアベリーだな。甘酸っぱくて美味いぞ。よかったら試してみるか?」
セシリアが店主に小銭を払い、小さな赤い果実を俺に渡してくれた。
躊躇なくかじってみると、確かに甘酸っぱく、どこかベリー系の風味が広がる。
「おぉ、いけるな!」
「ふふっ、気に入ったか?」
トマトとは全然違ったけどな!
別に美味ければそれでよいのだ。
セシリアと言葉を交わしながら市場を歩き回り、異世界の文化に触れる貴重な時間は、とても新鮮で楽しいものだった。
◆
「それで、最近この辺りで何が起きているのか、詳しく聞かせてくれ」
市場をひと通り冷やかしたあと、セシリアは広場で村人に盗賊団について聞き込みを行うのだということなので、俺もそれに付き合うことにした。
「最近、周辺の村々でも盗賊による被害が増えているんだ。物資を奪われるだけでじゃなくて、村の防衛が手薄になるように巧妙に仕掛けてくるって話さ」
村の男が重々しく語ると、セシリアが改めて件の盗賊団について俺に説明してくれる
「ただの盗賊ならば、食料や金を奪うだけでなく人の命も奪うものだ。大人の男は殺され、女子供は拐われるのが普通だ。しかし、赤鉤団のやつらは違う。ただの略奪ではなく、村を弱らせ、長期的に支配しようと企むのだ」
「なるほど……だから村人たちはこんなに警戒して、怯えているのか。長い時間を掛けて搾取されるってことだもんな」
「うむ。そういうことだな」
セシリアは腕を組んで考え込んだ。
「この村は奈落の森に近く、狩猟や採集の拠点として機能している。盗賊がここを自分たちの補給地にしようとしている可能性は高い」
「だったら、この村を守る準備をしないといけないわけだな」
「ああ、そうだ。今夜は、私が見張り台に立ってみることにしよう」
こうして、ギルドからの依頼で来ているセシリアは、夜の見張りを買って出た。
◆
村の防壁の外れ、簡素な見張り台に腰を下ろしながら、俺はゆっくりと夜空を見上げた。
見渡す限りの闇。
村の前方に広がる奈落の森のシルエットが、月明かりにぼんやりと浮かび上がっていた。
「夜はやっぱり、静かだな……」
「そうだな。こんな辺境の村で夜に出歩く奴、ましてや騒ぐやつなんて、普通はいない」
セシリアが見張り台の縁に寄りかかりながら答える。
俺はセシリアと離れて行動するのは不安があったので、夜の見張りに付き合っていた。
森の静けさに耳を傾けながら、ふと自分のいた世界の夜を思い出す。
「……俺のいた世界じゃ、夜の森って、もっと賑やかなんだよな」
「賑やか?」
「そうだな……虫や動物の鳴き声が響いていたり、人の話し声や遠くで何かが動く音が聞こえたりすることが多かった。完全な静寂って、ほとんどなかった気がする」
セシリアは少し考え込むように視線を巡らせた。
「ふむ。こちらの森も場所によっては同じようなものだが……確かに奈落の森の夜には、異様な静けさがあるな」
彼女は俺の世界の話に興味を示しながらも、すぐに小さく咳払いをして、表情を引き締めた。
「……今はそんな話をしている場合じゃないな」
「はは、そうだな。でも、機会があれば、俺のいた世界についてもう少し詳しく話してやるよ」
セシリアの顔がぱっと輝き、目をキラキラと輝かせながら俺の腕を軽く叩いた。
「本当か!? 絶対だぞ? 約束だからな!」
セシリアは満足げに頷き、身を乗り出してこちらを覗き込んだ。
まるで未知の知識が手の中に舞い降りたかのように、瞳を輝かせて俺を見つめる。
「……まあ、落ち着いたらな」
「ああ、楽しみだ!」
俺はそんな彼女の反応に、思わず苦笑する。
「そんなに楽しみなのか?」
「当然じゃないか! まるで未知の書物を開くようなものだからな!」
「期待しすぎるなよ~? 俺の世界の話が、セシリアさんにとって面白いとは限らないんだからな」
「ふふっ、それは聞いてみないとわからないさ!」
セシリアはくすっと笑い、再び警戒の視線を森へ向ける。
俺も気を引き締めるように背筋をぐっと伸ばした。
◆
「ところで失礼かもしれないが、ナオヤはその……戦えるのか?」
セシリアが言いづらそうに尋ねてきた。
「まぁ……少しは心得があるって程度かな。つっても実戦ってなると経験は皆無さ」
「ふむ……なら、いざという時は私の指示に従うのだな」
「それはもちろんだ。俺は戦闘に関しては素人みたいなもんだからな」
俺がそう答えると、セシリアは満足げに頷いた。
それからしばらく、村の周囲を警戒しながら時間が過ぎた。
二つの月が夜空に淡く浮かび、静かに大地を照らしている。
森を通り抜ける風が草木を揺らし、枝葉がかすかに擦れる音が耳に残る。
時たまではあるが、遠くで梟のような低い鳴き声が響き、まるで森全体が警戒しているかのようだった。
ガサッ……。
森の奥から、微かに何かが動く音が聞こえた。
「……聞こえたな?」
「あぁ」
セシリアが剣の柄に手をかけ、俺も反射的に体を強張らせる。
暗闇の中、視界の端で何かが動いた気がした——これは人間の動きだ。
「一旦、様子を見よう」
セシリアが低く囁く。
俺も息を潜め、音のする方向に目を凝らす。
影が二つ、三つ……森の中をゆっくりと動いている。
「偵察……か?」
「おそらくな。やつらはすでにこの村の存在を知っている。だが、今夜は何か違う目的があるのかもしれない」
セシリアの表情が険しくなる。
「聞いた話では、盗賊団は村に対してちょっかいをかける程度だったはずだ。しかし、あんな風に慎重に動いて探りを入れている様子は気になるな」
「何か企んでいるってことか?」
「その可能性が高いな。村の守りがどの程度か、侵入経路を探っているのかもしれない」
俺は夜の静寂の中、じわじわと広がる不穏な空気を感じながら、強く拳を握った。
何かが起こる——そんな予感が、確かにあった。