第4話:異世界初キャンプ飯
森には、十分な月明かりが降り注いでいた。
木々の間から差し込む光が、ぼんやりと足元を照らしてくれるし、目は闇に慣れてきていたけれど、それでも遠くの視界は流石に心もとない。
「これくらいの明るさなら移動はできるけど、正直ちょっと不安だな……」
俺は周囲を見渡しながら呟いた。
森の奥に何が潜んでいるかはわからない。
「ならば、これを使うといい」
セシリアが腰の小袋から取り出したのは、淡く青白い光を放つ小さな石だった。
「これは?」
「ルミナストーンという。夜道を進むのに役立つぞ」
(なるほど、異世界の懐中電灯みたいなもんか)
俺はルミナストーンを受け取り、手のひらの中で転がした。
光は広がりすぎず、しかし柔らかに一方向をある程度の距離にまで照らしてくれる。
「村までずっと歩き続ける感じ? それとも、どこかで休憩したりするのかな?」」
「どこか適当な場所で野宿する予定だ。奈落の森は魔物が多いからな。無理に移動するより、安全な場所で危険な夜をやり過ごしたい」
セシリアは周囲を警戒しながら進んでいく。
その時————突如として、茂みが不自然に揺れた。
乾いた葉が擦れる音が耳に届き、何かが潜んでいるかのように、草むらがザワリと動いた。
「ナオヤ! 止まれっ!!」
セシリアが鋭く声を上げると、次の瞬間、草むらから小さな影が飛び出した。
「え? ウサギ??」
いや、違う。
目が暗い紫に鈍く輝き、鋭い牙を剥いている。不気味な光が暗く揺らめくその瞳に、底知れぬ獰猛さを感じた。
明らかに普通のウサギじゃないな。
きっと見た目以上の強さを持つ、恐怖のウサギに違いない!
「『ブラッドラビット』か。小さいけれど、こう見えて結構気性が荒いんだ。噛まれると痛いし、しばらくジンジンするから気をつけろよ?」」
いや、たいしたことなくね?
セシリアは勢いよく剣を抜いた。
だが、やはり動きがどこかぎこちない。まるで何か型にはまった動きを意識しているような、どことなく不自然さを感じる——しつこいようだが、俺は剣の道には結構詳しいのだ。
「そ、そこだぁっ!」
セシリアは勢いよくブラッドラビットへ踏み込むが、足元の落ち葉に足を取られそうになり、思わずバランスを崩しかける。
「おっとっと……」
ブラッドラビットは素早く身を翻し、横に跳ねる。
だが、セシリアは焦ることなく、一度姿勢を整えると、再び剣を構えた。
「も、もう! じっとしていればすぐ終わるというのに! うりゃぁぁぁ!!」
そうぼやきながら、二撃目を放つ。今度は確実に仕留めることができたみたいだ。
「ふぅ……」
セシリアは深く息を吐き、剣を軽く振るって血を払うと、誇らしげに胸を張るが、その表情にはほんの少しだけ恥ずかしそうな色も混じっていた。
「ま、まぁ……もう少し華麗に決めたかったが、討伐は成功だな!」
「ああ、見事なものだな」
「これでも冒険者だからな。まぁ、少し手間取ってしまったが……」
彼女は少し気まずそうに視線をそらす。
彼女の剣術は華麗だが、今ひとつ実戦には向いていないように思えた。
「さて、せっかくの獲物だ。持っていくとしよう」
「え、コイツ食うのか?」
「当然だ。お腹が空いてたし、それに……ふふっ、コイツは結構美味しいらしい?」
そう言いながらセシリアは少し嬉しそうに微笑むと、ブラッドラビットの亡骸をじっと見つめてピクリと眉を動かした。
「……さて、ナオヤ。君にこれお解体してもらおう」
俺は瞬時に悟る。
あ、この子ってば、解体が苦手なんだ。
「いやいや、こういう場合は獲物を仕留めたセシリアさんがやるもんじゃないの?」
「い、嫌だ! ……いや、違うんだ。そうじゃないんだ——こういう作業はその、君の方が慣れているのではないか?」
「せっかく仕留めたんだから、自分で最後まで面倒みたほうが達成感あるんじゃない?」
「ぐぬぬ……」
セシリアは不服そうにしながらも、恐る恐る解体用と思われるナイフを取り出すと、意を決したようにブラッドラビットの体に刃を当てる——が。
「……こ、怖いぃ~」
セシリアの手は目に見えて震えていた。
刃先を当ててはいるがる、どうにも踏ん切りがつかないようだ。
「……もしかして、やったことないのか?」
「別にそういうわけではない! ……ただ、その……何度かやったことはあるが、どうにも慣れなくてな……。やるたびに、なんというか……落ち着かない気分になるのだ……」
なるほど。
つまり、解体が怖いっつーことだな。
「よし、ここは俺に任せろ!」
「は、初めからそう言ってくれればいいじゃないか……」
そう言いながら、セシリアはどこかホッとしたように胸をなでおろした。
そして、俺が作業を始めると『ふむふむ……なるほど』などと頷きながら、解体の様子を少し離れて見守っていた。
「ナオヤは随分と器用だな」
「まぁ、料理が趣味でね。包丁の扱いには慣れてるし、魚を捌いたりするのも好きなんだ。それに、一度興味を持つととことん追求する性格でね。キャンプの延長で小動物の解体も何度か経験したことがある。まぁ、さすがに毎回スムーズにできるほどの腕じゃないけどな」
「むぅ……なんだか負けた気がする」
そう言って少し唇を尖らせる仕草が、妙に可愛らしく思えた。
結局、俺が解体を最後まで担当して、セシリアが手際よく肉になったブラッドラビットを布に包んでいく。
「肉も手に入ったし、そろそろ寝床を決めたほうが良さそうだな」
セシリアがそう言いながら辺りを見渡す。
森の中だ、できるだけ安全で快適な場所を探したいのだろう。
「うーむ、見通しが良い場所がいいな。あとは、魔物が寄ってこないような場所だと、なお良いのだが……」
考えながら彼女が先導する姿は、どこか頼もしくもあり、微笑ましくもある。
堂々とした足取りで進む姿は、まるで旅慣れた冒険者のようだ。
けれど、先ほどまで解体を前にして「こ、怖いぃ~」とか震えていた姿を思い出すと、そのギャップがなんだか妙に愛らしくて、つい口元が緩んでしまう。
しばらく歩いた後、良さげな場所を見つけることができた。
木々の間隔が広くて見通しが良く、地面は比較的平坦。それにセシリアが周囲を確認したところ、魔物の痕跡がなかったということだ。
「ここなら比較的安全そうだな。魔物の縄張りからは外れているみたいだし、寝るにはちょうど良いだろう」
「そっか……よかった。安全な場所が見つかって、本当に助かるよ」
思わず安堵の息を漏らした。
やっぱり緊張があったようで、肩の力が抜けるのを感じる。
森の中で常に警戒していたせいか、心なしか体も少し硬直しているみたいだ。
俺は早速焚き火の準備を始めることにした。
「何をしているのだ?」
「焚き火の準備だよ。夜の冷え込みは厳しいし、肉を焼くには火が必要だろ?」
「ナオヤ。君に火起こしなんてできるのか? 冒険者ではないのだろう?」
「いや、俺の趣味の延長みたいなもんだよ。一度興味を持つと何でもやってみたくなる性分って言ったろ?」」
俺は薪を組み、ポケットから取り出した超小型のファイアスターターを手に取った。
これはキーホルダー代わりに持ち歩いているもので、万が一の時に役立つと思って携帯していた。紳士の嗜みってやつだな。
「なんだい? それは」
セシリアが興味深そうに覗き込む。
「これ? 火を起こすための道具だよ。摩擦で火花を散らして、火種を作るんだよ」
ファイアスターターのロッドを付属のストライカーで擦ると、鋭い火花が弾け飛んだ。
その火花が予め集めておいた乾いた草に落ちると、しばらくして小さな煙が上がり、次第に赤い燠火が広がっていった。
「っ! す、すごい……! こんな小さな道具で、たやすく火を生み出すとは……こんなの見たことないぞ!?」
慎重に火種を息で吹き、焚き木に移していく。
やがて、焚き木から炎がゆらめいて、周囲を暖かく照らし始めた。
セシリアからナイフを借り、適当な木の枝を拾っては、それを削って簡易的な串を作っていき、解体したブラッドラビッドの肉を適当なサイズに切ってぶっ刺す。
「よし、これで準備完了。串に刺せば火加減を調整しやすいし、焼きやすくなるはずだ」
火にかけた肉の香ばしい匂いが漂いだし、セシリアが思わずゴクリと喉を鳴らす。
「ふむ……悪くない匂いだ」
「味付けができれば、もっと美味くなるんだけどな~」
「村に行けば手に入るだろうが……今は、ないな」
「まぁ、味付けなしでもどれくらいイケるか試してみるか」
俺は焼き上がった肉を一口かじる。
素焼きの状態なので、流石に味気ないかと思ったが、意外と悪くない。
肉汁がほどよく滴り、焚き火の香りも移っていたから、それなりに美味しく感じる。
まぁ空腹が手伝ってということもあるかもしれないが。
「……お? 思ったよりいける!」
そう言いながら、もう一口かじる。
すると、向かいのセシリアが興味津々といった様子で俺の手元をじっと見つめていた。
「なんだよ、そんなに気になるのか?」
「いや……うまそうに食うなと思ってな」
「そりゃあ、空腹は最高のスパイスだからな」
俺は笑いながらセシリアに肉を差し出す。
「ほら、セシリアさんも食べてみなよ。味付け無しで悪いんだけどね」
セシリアは慎重にそれを受け取り、一口かじる。そして次の瞬間、目を見開いた。
「……むむうっ」
「どうだ?」
「……思ったより美味いな。素朴な味だけど、しっかり肉の旨味が感じられる」
セシリアは感心したように頷きながら、嬉しそうにもう一口かじる。
「だよな! 案外悪くないよな♪」
こうして俺は、異世界での最初の食事を楽しんだ。
その後、俺たちは交代で見張りをしながら休むことにした。
そして朝——。
「さぁ、行くぞ。村まではもう少しだ」