第32話:宴会
社員旅行のメインイベントの一つ、宴会が始まろうとしていた。
大広間の襖が開かれると、そこには畳敷きの広大な和室が広がっていた。座卓と座椅子が整然と並べられ、部屋の中央には七十名ほどの社員が徐々に集まり始めている。
普段はそれぞれの部署やプロジェクトごとに分かれて働く社員たちが、こうして一堂に会する機会は意外と少ない。オフィスではオンライン会議やチャットが主流だが、こうして顔を突き合わせて話すことで、普段とは違う一体感が生まれるのだ。
社員旅行ならではの賑やかさと高揚感が漂い、みんな自然と笑顔になっていた。
こういう場で親睦を深めるのも、社員旅行の重要な目的の一つだ。
俺の席は、左隣に田代、右隣にはプロモーション担当の小泉が座る配置だった。
基本的にはプロジェクト単位で席が決められているが、時間が経つにつれて自由に移動するのが恒例だったりする。
「うおー、今年の宴会は随分と豪華だな!」 田代が感心したように呟く。
「ほんとですね。座敷の雰囲気も、すごくいいですね」
小泉も感嘆の声を漏らしていた。
程なくして、宴会の開始を告げるために、副社長が壇上に立った。
「皆さん、今年もお疲れ様でした!」
彼の声が響くと、場内のざわめきが一気に収まり、全員が注目する。
「この一年間、皆さんの努力のおかげで会社は順調に成長を続けています。我々の業界は日々進化しており、それに適応するためには、チームワークが不可欠です。こうした場を通じて、普段あまり話さない同僚とも親睦を深めてもらえればと思います」
副社長に続いて、社長が登壇し、今後のビジョンや経営方針について話す。普段はあまり交流のない経営陣の言葉に、社員たちの士気も自然と高まっていくのが分かる。
「それでは、総務部長、乾杯の音頭をお願いします!」
社長の声に促され、総務部長が手を上げる。
「では皆さん、乾杯の準備を!」
各々がグラスを手に取る。
俺は田代とともに、栃木の地酒を選んだ。小泉はビール派のようで、瓶を片手に嬉しそうな表情をしている。
「それでは——乾杯!」
その掛け声と共に、宴会がスタートした。
グラスを傾け、一口飲む。
口の中に広がるのは、花酵母を使った純米吟醸のフルーティーな香り。滑らかな舌触りで、飲みやすいのにしっかりとした味わいがある。
「これは……うまいな」
「だな。やっぱり地酒はその土地で飲むのが一番だ」
田代もうまそうに日本酒を二口、三口と進めている。
小泉がビールをぐいっと飲み干し”やっぱり宴会はこうでなくちゃ”と満足げに笑う。
酒も入ったことだし、俺は改めて、座卓の上の豪勢な料理の数々に目をやった。
「……これはまた、すごいな」
目の前に広がる料理を見て、思わず圧倒される。まるで高級旅館の会席料理のようだ。
「今年は、相当気合入れてるな」
田代が呟きながら、料理のメニューを手に取った。
「いや、これはすごいな……どれから手をつけるか迷うな」
俺も、メニューを確認してみる。
【先付(前菜)】 那須御養卵の茶碗蒸し ~山椒と出汁ジュレ添え~ 那須高原の湧水トマトとアメーラトマトの冷製お浸し 霧降高原豚の梅肉和え ~大葉の香りと共に~
【御造り(舟盛り・別注)】 本マグロ、ヒラメ、甘エビ、ホタテ ヤシオマスの昆布締め ~わさび醤油と岩塩で~ 栃木名産 湯波の刺身 ~自家製割り醤油で~
【焼物】 那須牛の炭火焼き ~藻塩と柚子胡椒を添えて~ 那須どりの西京焼き ~酒粕と味噌の香り~ 那須の恵み 野菜の炭火焼き(ズッキーニ・パプリカ・アスパラ)
机に乗っているこれらは、第一陣だというから笑ってしまう。
このあと、煮物、食事、水菓子と続くらしい——どんだけ食わす気だ!?
茶碗蒸しを口に含んでみると、出汁の風味と那須御養卵の濃厚な旨味が広がる。舌に優しく絡む山椒の香りがアクセントになっていて、思わずため息が漏れる。
「……これは、たまらん」
那須牛の炭火焼きを口に運ぶと、肉の甘みと藻塩の旨味が絶妙に合わさり、噛めば噛むほどジュワッと肉汁が広がる。
「うまっ……」
ホタテの刺身は、まるで口の中で溶けるような甘さとプリプリの食感が楽しめる。わさび醤油をつけると、さらに風味が引き立ち、もう一口、もう一口と箸が止まらない。
「すげぇ量だな……小泉、全部食えるか?」
「いや無理だよ、半分も食べられるかなぁ」
田代と小泉が互いに目配せをしながら”挑戦してみるか”と冗談混じりに話している。
しかし、俺は違った。
食べても食べても、まだ食べられそうな感覚がある。満腹感がこないどころか、むしろどんどん食が進む。
美味しいから、というのもあるが……俺はこんなに食べるタイプだったか?
「これも……異世界の影響か?」
ふと、ベルクの言葉が蘇る。
『強くなるには、食え』
異世界での訓練中、ベルクは俺に信じられないほどの量の食事を摂らせていた。
『力をつけたければ、とにかく食え!』
と何度も言われ、俺は満腹でも関係なく食べさせられた。狩った魔獣の肉を豪快に焼き上げ、根菜のたっぷり入ったスープと一緒に、無理やり流し込むように食べたあの日々。
最初は苦行でしかなかったが、次第に体がそれを受け入れ、以前よりも動きやすくなったことを実感した。
そして今——その影響が、現実世界の俺にも現れているのかもしれない。
「おいおい藤倉、お前……止まんねぇな!?」
◆
宴もたけなわ、料理を堪能しながら杯を重ねていると、小泉がふと俺の方を向いた。
「そういえば、藤倉は森山君と同室なんだよね?」
「ああ、そうだな。森山はお前の部下だったけな」
森山は元気があり余ってるが、決して無礼なタイプではない。一緒にいて気持ちのいい奴だ。人懐っこく、適度に気を遣えるタイプでもある。以前、社内の飲み会で初対面の先輩たちとすぐに打ち解けていたし、誰とでも距離を縮めるのがうまい。少しお調子者なところもあるが、場の空気を読む能力は高いほうだ。
「悪いやつじゃないな。明るいし、場を盛り上げるのが上手い。ただ……まあ、ちょっと調子に乗りやすいところはあるのかもな」
小泉が苦笑いを浮かべながら頷く。
「確かに、それはあるね。彼のようなタイプって、どう接すればいいのか迷うことがあるんだよ。期待してるからこそ、つい厳しく言っちゃうんだけど……それが正しいのかどうか」
「それはお前がちゃんと面倒を見てるからだろ?」
小泉は少し驚いたような顔をした。
「そうかな?」
「そうだよ。期待があるからこそ厳しくなる。それは普通だ。お前が森山にちゃんと向き合ってる証拠だと思う」
俺の言葉を聞いて、小泉は少し考えるように視線を落とした。
「そういえば、藤倉は北沢君を指導してるんだよね?」
「まあ、指導っていうほどじゃないけどな」
「彼女、評判がすごく良いよ。仕事もできるし、周りからの信頼も厚い。藤倉君の教育のコツ、聞いてみたいな」
「別に特別なことはしてないな。北沢は素直な性格だから、こっちも飾らずに話すようにしてる。お前も森山に対して気を遣わずに素で接してみたらどうだ? 森山も素直な質みたいだからな」
「……僕の素、か。うーん、部下に素を見せるのは、言うは易しで難しいものだよ」
「そんなに構えることか? 遠慮せずに接した方が、むしろ気が楽じゃないか?」
「そうだね……そうかもしれない。うん、ちょっと考え方を変えてみようかな」
小泉は納得したように頷いた。
「今度、詳しく話を聞いてみたいんだけど、サシ飲みに行かない?」
「いいぞ。近いうちに行こう」
「ありがとう。それじゃ日程の候補を今度連絡するよ」
田代がニヤリと笑いながら口を挟んできた。
「小泉は、飲みすぎると人が変わるんだよな~」
「え? そうかな? たしかに飲みすぎると記憶が曖昧になることはあるけど……僕、酔うとどうなるの?」
田代と俺は、意味深に顔を見合わせる。
「秘密だ」
「秘密だな」
同時に答えると、小泉は不安そうに眉をひそめた。
「えっ……そんなにひどいの? ちょっと教えてよ!」
「それを知るのは、また次の機会にな」
俺たちは笑いながらグラスを合わせた。
そんな他愛のない話をしていると、美咲が俺の座卓の正面にやってきた。
手には一本の徳利がある。
「先輩、日本酒、飲まれますよね?」
「ああ、好きだぞ」
「乾杯の時も日本酒ですか? 甘口のものが最初でしたっけ?」
「よく分かったな」
「以前、”最初の一杯は甘口のすっきりとした日本酒がいい”って仰ってましたので」
美咲は得意げに微笑む。
「よく覚えてるな~。それで、その日本酒は?」
「先輩は本来、辛口派でしたよね? なので、”超辛口純米”って書いてあるものを選んできました!」
「ほぉ……いいセンスしてるな~。じゃあ、もらおうか」
美咲が徳利を傾けて俺の杯に酒を注いでくれたので、俺はそれをゆっくりと口に含んだ。
舌の上に広がる、鋭い辛口の刺激。しかし、決して尖りすぎず、後味はすっきりとしている。喉を通る頃には、米の甘みがほのかに感じられ、料理の味を引き立ててくれるだろう。
「……旨いな。食中酒としては最高だよ。北沢、ありがとうな」
美咲は嬉しそうに微笑んだ。
「先輩……」
美咲がふと、グラスを弄りながら俺を見上げる。
「ん?」
「最近、自分の仕事ぶりに自信が持てなくて……」
思いがけない言葉だった。
美咲は、周囲の評判も高く、業務もそつなくこなしているというのに、それでもそういう不安を抱えているのか?
「認められるのが目標なんです。特に、先輩に」
照れくさそうに、美咲は言葉を続けた。
「でも……先輩みたいにはなれない気がしてまして」
俺は少し考えてから、静かに口を開く。
「別に、俺みたいになる必要はないだろう?」
「え?」
「そもそも俺とお前は、持ってる能力が違う。俺は俺の強みを活かしてるし、お前はお前の強みを活かせばいい」
「私の強み……ですか?」
「気づいてないのかもしれないけど、お前は広い視野を持ってるし、人の気持ちや変化に敏感だ。それはお前の大きな強みだぞ」
美咲は驚いたような顔をした。
「例えば、一つの仕様変更がどれだけ影響を与えるか。そういうのを、自然と察する能力があるだろ?」
「そうでしょうか?」
「それに、お前は人の動きを敏感に察して、どう動くべきかを考えられる。そういうのは、俺にはない能力だ。だから、お前はもっと自信を持って伸ばせばいいんだよ」
美咲はじっと俺の言葉を聞き、少しの間、考え込んだように視線を落とした。
そして、やがて小さく微笑む。
「……ありがとうございます、先輩。なんか、ちょっと元気出ました」
そう言って、彼女はぐっと気を引き締めるように頷いた。
少し落ち着いた雰囲気の中、美咲が意を決したように口を開く。
「先輩。あの……明日の山登り、一緒に行動してもらえませんか?」
「ん?」
唐突な申し出に俺が返事をする前に、後ろから声が飛んできた。
「駄目です。オレが一緒に登るんです!」
森山が勢いよく割り込んでくる。
「だって、せっかくの社員旅行ですよ!? 先輩とじっくり話しながら登りたいじゃないですか!」
そんなことを言う森山を見て、田代がケラケラと笑う。
「いやいや、だから藤倉の隣はオレのものだろ?」
「いやいやいや、藤倉と一緒に登るのは僕ですよね?」
最後には小泉まで加わった。
「なんだこれ……」
ツリートレッキングの流れから、小泉まで混ざってきたぞ。何がどうなってこうなった?
「……5人で班になるらしいから、この5人で登るか?」
俺の提案に、全員が「おお!」と声を揃えた。
◆
宴も終盤に差し掛かり、食べて飲んでの繰り返しだったが、俺は相変わらずまったく酔っていなかった。
「随分食ってたし、全然酔ってねぇな? 酒、強くなってないか?」
田代が、軽く酔いの回った顔で俺を見てくる。
「酔わない日ってのがあるのかもな」
「お前さ、昔はもうちょっと弱かった気がするんだが……まあいい。どうだ? バーがあるらしいから場所移そうぜ」
そんな誘いを断る理由もない。
小泉と美咲、森山はすでに潰れかけていたので、それぞれの部屋に帰すことにした。
「じゃあ、行こうか」
俺と田代は、ホテルのバーへと向かった。
バーに足を踏み入れると、落ち着いた雰囲気の照明と、ゆったりと流れるジャズの音色が心地よい。
「おっ、結構雰囲気いいな」
田代がカウンターに腰を下ろし、俺も隣に座る。
カウンター越しのバーテンダーが、静かにグラスを磨いていた。
「何にする?」
「そうだな……せっかくだし、ウイスキーをもらうか」
「じゃあ俺も。ストレートで」
グラスに注がれた琥珀色の液体を見つめながら、二人で乾杯する。
「しかしまあ……藤倉とこうやって飲むのも久しぶりだな」
「はは。そうでもないだろう?」
「そうなんだよ。会社帰りに飲むことはあっても、こういう落ち着いた場で腰を据えて飲む機会って意外とないだろ?」
「……まあ、そうかもな」
ウイスキーを一口含む。
心地よいスモーキーな香りと、ゆっくり広がるコクが舌を満たす。
「それでさ……」
田代が、ふっと真剣な表情になる。
「お前、ここんとこ変だぞ。悪い意味じゃないがな」
俺はグラスを軽く回しながら、眉を上げる。
「どういうことだ?」
「居酒屋で様子が変だったし、料理の腕前が突然上がった。会社のランチで突然手品するし、身体能力上がりすぎ」
「……」
「付き合いが長いから分かる。なぁ、困ったことには……なってないんだよな?」
田代の問いかけに、一瞬だけ考え込むが、俺はゆっくりと頷く。
「ああ、それは大丈夫だ」
「ならいいや。ただ、相談したいことがあったら、いつでも言うんだぞ。俺の相談所は秘密厳守だから安心だぜ?」
「……ああ、助かる。そのときは頼むな」
田代が満足げにウイスキーを一口飲み干す。
「そういやお前、北沢の気持ちに気づいてんのか?」
「気持ちって?」
「相変わらずの朴念仁だな。あいつ、お前に惚れてんだろ? 本人の自覚もそこまでじゃないみたいだし、どこまで本気かは知らんけどな。だけど確実に好意を持ってるぜ」
「そうなのか? お前の勘違いだろ」
「俺のそういう目は確かなんだがな……。お前に心当たりがないってのなら、俺の勘違いかもしれんが……。まぁ気にかけてやってな。アイツのこと、嫌いじゃないだろ?」
「そういう対象で見たことが一切ないからな。よくわからん」
「だから藤倉は結婚できねぇんだよ!」
「ほっとけ!」
その後もグダグダと親友同士の会話を楽しみ、大浴場でひとっ風呂浴びて、明日の登山に備えた。
部屋に戻ると、森山はすでに爆睡していた。




