第3話:冒険者セシリアとの出会い
「お、おぬし……いや、貴様! ち、違う! ええい、こういう時は何と言えば……そ、そうだ! お前、なぜこんなところに一人でいるのだ。危ないだろうが!」
なんか、妙に慌ててるなぁ。この人。
「……それは、こっちが聞きたいんだけど?」
俺は周囲を見渡しながら、思わずため息をついた。
汗の水気を伴って肌にまとわりつく湿った森の空気が、先ほど感じていた恐怖を反芻させる。
それでも、こうして無事に立っていられることに気づくと、少しずつだが緊張が解けてきた。
俺は大きく息を吐き出し、体の力を抜いた。
「なんにしても助かったぁ~……」
地面に座り込みながら息を整えるが、荒い呼吸が耳に響いている。
ついさっきまで、化け物じみた狼に追いかけられていたと思うと、まだ心臓の鼓動が落ち着かないのだ。
目の前には、剣を構えたまま仁王立ちしている女剣士。
助けてもらったのは間違いないが、この異様な状況をどう捉えればいいのか、どう処理すればよいのか、さっぱり分からない。
俺はゆっくりと立ち上がると、目の前の女を改めて観察してみる。
ブロンドの髪をポニーテールにまとめ、金属製の胸当てをつけた軽装の甲冑姿。
剣士のようだが、その立ち振る舞いにはどこか洗練されすぎた雰囲気がある。
まるで、実戦よりも見た目を意識したような——
「……ていうかアナタ、どちらさん?」
「むっ……お、お前こそ誰だ! 名を名乗れ! まったく礼儀を知らんやつだな」
「……まぁ、助けてもらった側が名乗るのが筋か。悪いな、俺は藤倉直哉だ。助けてくれて、本当にありがとう」
「ふふーん♪ まあいいだろう。私はセシリア・ローレンツ——そう、冒険者だ!」
冒険者? そんな職業が普通に出てくるのか……。
森の異様な雰囲気や、さっきの化け物じみた狼。その獣臭がまだ鼻に残っている気さえする。
少なくとも、俺が知っている世界とはかけ離れているのは間違いない。
冷静に考える余裕が出てきたところで、ようやく自分がとんでもない状況にいることを実感し始めた。
というか、セシリアさんだっけ? この人、妙に嬉しそうに『冒険者だ!』だとか言ってたな。
「で、ナオヤ。君は何者なんだ? なぜ危険な森に一人でいた?」
考えを巡らせていた俺だったが、セシリアの鋭い声に思考を断ち切られてしまう。
彼女は真剣な表情でこちらを見据えていた。
その眼差しからは、俺が何者なのかを見極めようとする強い意志と、俺の見を案じる優しさが感じられた。
俺は少し戸惑いながらも、口を開く。
「俺はただの会社員だ――のはずだったんだけど……」
「会社員? なんだそれは??」
セシリアが小首をかしげる。
「ま、説明するのは面倒だから置いといて……とにかく、助けてくれてありがとうな。ほんと死ぬかと思ったよ」
「ふ、ふむ。ならば、私も君に礼をさせてもらおうか」
「礼?」
なんだろう、俺が感謝を伝えたはずなのに、逆に礼をされる流れになっているぞ?
「消えゆく命を助けることができたのだから、私はとても嬉しいのだ! もっと何か役に立てることがあればいいのだが……あっ、そうだ!」
セシリアは何か思いついたように手を叩いて、満足げに頷く。
「そうだ、ナオヤ。腹は減っていないか? さっきの戦い、いや逃亡?――で体力を使っただろう?」
セシリアは腰の袋から干し肉のようなものを取り出し、俺に差し出してみせる。
「これは冒険者の必需品、干し肉だ! いざというときに頼れる心強い食糧なのだぞ!」
セシリアは得意げに干し肉を掲げ、俺に手渡した。
なんだろう、この誇らしげな表情。まるで、自分の知識を披露して誇らしげにしている子供みたいだ。
俺は苦笑しながら、手渡された干し肉をかじった。
「なぁ、セシリアさん? 本当にありがとうだけど――ここって一体どこなの?」
「どこって……お前、本気で分かっていないのか?」
セシリアが驚いたように目を見開く。
「ここはエルバーディア王国領内にある『奈落の森』だな。魔物の巣窟として知られ、戦えぬ者が一人で入るなど、正気の沙汰ではないのだぞ?」
「エルバーディア王国……?」
聞いたことない国名だな。
俺はもう一度、周囲を見渡す。
相変わらず、見たことのない木々や植物が広がっているし、空には二つの月——。
「マジで、日本じゃないっぽいな……」
それはつまり――俺は異世界に来ちまったってことか?
頭が追いつかないまま、俺はセシリアに色々と質問をしてみることにした。
セシリアによると、ここはエルバーディア王国と呼ばれる国の辺境にあたるらしい。
『奈落の森』と呼ばれる森林地帯らしく、強い魔物が生息しているため、基本的に人は近寄らないということだ。
「……そんな危険地帯に、なんでナオヤは一人でいたのだ?」
「その……まあ、いろいろあってなぁ~」
「……ふーん」
どうしても歯切れが悪くなっちまうな。
「で、ナオヤは、どこへ行くつもりだったんだ?」
「いや、それもよく分かってないんだよなぁ……」
「なんなんだ君は。ふ~む……」
セシリアは俺の顔をじっと見つめると、突然クスクスと笑い始めた。
「ぷっ……ナオヤは本当に何もわかっていないのだな!」
まるで子供の珍妙な行動を見たかのように肩を揺らしながら、彼女は楽しげに笑っている。
普通に考えて気味が悪いであろう俺を笑ってくれるなんて、ずいぶん大らかな人だな……。
不安でいっぱいだった心が、セシリアの屈託のない笑い声に、少しだけ軽くなった。
「ならば、ひとまず森を抜けることを優先しよう。このままここにいては危険だからな」
セシリアは腕を組みながら少し考え込む。
「近くに私が立ち寄る予定だった村がある。そこまでなら案内してやれるが?」
「村?」
「そうだ。ここに長くいるのは危険だし、お前の様子を見ていると、まるで記憶を失って困っているようにも見える」
まぁそう見えて当然だよな。
正直、異世界転移したっぽい理由も、元の世界に帰る方法もわからない以上、しばらくは情報収集しながら行動するしかない。
ならばセシリアと一緒にいた方が安全だろう。
「……んじゃ、お言葉に甘えてついていくわ」
「よし! ならば出発だ!」
こうして、俺の異世界生活は、突如として幕を開けることになった。
とはいえ、何の準備も覚悟もないまま始まるとか、ゲームだったら確実に詰むパターンじゃないか?
そんな不安を抱えながらも、俺はセシリアの後を追うしかなかった——。