第12話:七夕キャンプ
異世界から帰ってきて八日が経過した土曜日の早朝。
ガレージに止めた愛車の軽バンに、キャンプ道具を積み込んでいく。
この車は、俺がコツコツとDIYで改造した相棒だ。
ベッドキットを組み込んで、車中泊ができるようにしたおかげで、いつでも気軽に旅に出られるようになった。が、それだけじゃない。
車内の壁には断熱材を仕込み、冬でも快適に過ごせるようにしてある。
荷室には折り畳み式のテーブルを設置し、簡単な調理もできる仕様だ。
床下の収納スペースには調理器具やキャンプ道具がぎっしり詰まっているし、天井にはLEDランタンを取り付けて夜でも明るい。
ポータブル電源を積んでいるから、ノートPCを開いて映画を見たり、コーヒーメーカーで淹れたてのコーヒーを楽しむことだってできる。
俺の”無駄に凝り性”な性格が詰まったこの軽バンは、まさに"動く秘密基地"ってわけだ。
とはいえ、結局オートキャンプ場でも普通にテントを張ってることが多いんだけどな——故に無駄だ。
「ふぅ……準備完了」
最後に食材を積み込み、荷室の扉を閉める——が、詰め込みすぎて扉がうまく閉まらない。
「くっ……! これもDIYの弊害か……!」
と無駄にドラマチックに呟きながら、荷物を少しずらし、ようやくパタンと扉が閉まる。
うん。これで準備は万端だ。
予報では快晴とのことなので、今日は星空が綺麗なキャンプ場に向かうつもりだ。
「さて、行くかー」
車に乗り込みハンドルを握り、アクセルを踏む。
軽バンのちょっと煩いエンジンの音が、ワクワクする俺の気持ちを代弁していた。
◆
常磐道柏インターから高速に乗り、一路北へ。
しばらくは見慣れた都市の風景が続いていたが、北関東を越えたあたりで、次第に景色が変わっていく。窓の外には緑が増え、山々が連なり始めた。
磐越自動車道に入ると、さらに空気が変わる。
雄大な山々が広がり、道路脇には緑々しい木々が並んでいる。深く澄んだ青空と、風に揺れる樹々。
猪苗代磐梯高原ICで高速を降り、五色沼方面へ向かう。
道は徐々にカーブが増え、周囲はさらに自然に包まれていく。
裏磐梯の森の中を抜ける道を走っていると、不思議な感覚に陥る。
「なんか、この感じ……奈落の森を抜けて村へ向かった時と似てるな」
あたりまえだが、異世界と森と同じような景観というわけではない。
けれど、一本道の先に広がる壮大な自然の光景が、なんとなく既視感を覚えさせた。
「また、あの世界に行くことってあるのかな?」
そんなことを考えたところで、現実にはありえない。前回だって、きっと事故みたいなものだろう。
「ははっ。車で事故らないように気を付けないとな」
苦笑しながらハンドルを握り直し、目的のキャンプ場へと車を進めた。
◆
5時間ほど掛けて、キャンプ場に到着。
すでに中天に登った太陽が、高原の涼しい空気に負けぬとばかりに、俺を照らしている。
チェックイン手続きを済ませ、指定されたサイトに車を止める。
まずは設営からだな。
タープを広げ、ロープをピンと張る。ペグを打つ角度と深さは完璧。
テントを組み立てながら、ふと“やっぱり無駄に凝り性なんだよな”と思う。
テント、タープ、焚き火台に、アウトドア用のテーブルとチェア。
すべて予定通りの配置で完了。これなら万が一雨が降っても問題ないだろう。
動線も確保できているし、青い風を感じながらゆっくり飯が食える——うん、完璧だ。
「よし、設営完了」
腹が減ってきたので、手軽だがしっかり手間をかけたランチを作ろうと思う。
メニューはチーズたっぷりのホットサンドだ。
ベーコンをカリカリになるまでじっくり焼き、その香ばしい脂をパンに吸わせる。
スライスチーズをたっぷり乗せ、さらに細かく切ったピクルスとハニーマスタードを加える。
ホットサンドメーカーに挟み、じっくりプレス。カリッと焼き目がついたパンから、トロリとチーズが溢れ出す——思わず唾を飲み込んだ。
「ふぅ……できた」
ホットサンドメーカーを開くと、表面にこんがりと焼き目のついたサンドが現れた。パリッとしたパンの間から、とろりと溢れ出るチーズ。ベーコンの香ばしい匂いと、ハニーマスタードのほのかな甘さが鼻をくすぐる。
キャンプ用のウッドプレートにサンドをのせ、コーヒーを片手にアウトドアチェアに腰を下ろした。
目の前には広がる高原の風景。ゆるやかに揺れる草原、遠くに見える水のきらめき。耳を澄ませば、木々がそよぐ音や、どこか遠くで鳴く鳥の声が聞こえる。
俺はゆっくりとサンドを持ち上げ、サクッとひとかじり——。
「……うっま!」
思わず声が漏れた。
カリッと香ばしいパンの食感に続いて、濃厚なチーズとベーコンの旨味が一気に広がる。ピクルスの酸味がアクセントになり、ハニーマスタードが絶妙な甘みを加えている。
口の中に幸せが広がる中、ふと顔に涼しい風が当たる。ふわっと吹き抜ける高原の風。空を見上げると、雲ひとつない青空が広がっていた。
自然の中で食べる飯は、なんでこんなにうまいんだろうな。
都会の喧騒を離れ、ただこうして風を感じながら、うまい飯を食う——それだけで、日々の疲れがじんわりと溶けていく気がする。
ふと、異世界でセシリアや村人たちと飯を食ったときのことを思い出した。
あの時も、こうやって風を感じながら飯を食っていた。
なんとなく、あの村に帰りたくなるような、そんな感覚が胸をよぎる。
——まあ、考えても仕方ないか
俺はもうひとくち、サンドをかじった。
「やっぱ、キャンプ飯は最高だな!」
◆
ランチを終えた後、俺は食器を軽く片付けると、ふぅっと一息ついた。
陽射しはきついが、高原の風が心地いい。まだ午後の時間はたっぷりあるし、少し周囲を散策してみることにした。
木々の間を縫うように作られた散策路を、ゆったりと歩く。
道の両脇には背の高いカラマツが立ち並び、木漏れ日がキラキラと地面に映っている。
深く息を吸うと、湿った木の香りと草の匂いが鼻をくすぐった。
「あー、気持ちいいな……」
誰に言うでもなく、思わず呟く。
こうして自然の中を歩いていると、余計なことを考えなくて済む。
仕事のこと、都会の喧騒、毎日のルーチン……そんなものが、ここでは一気に遠のく気がする。
湖畔のベンチに腰を下ろし、ぼんやりと水面を眺める。
湖は静かで、時折吹く風がさざ波を立てるだけ。
遠くでは、小さなボートがのんびりと浮かび、釣りを楽しんでいる人の姿も見える。
「……やっぱ、キャンプはいいな」
体の力を抜き、背もたれに身を預ける。
普段は時間に追われる生活だけど、こうして何もしない時間を楽しむのも悪くない。
ふと、異世界のことを思い出した。
あの世界にも、こんな風にのんびり過ごせる場所があるのだろうか?
いや、あの村の風景をみると、のんびり過ごす場所しかないような気がする。いや、もしかしたら人がたくさんいるような街に行けばまた違った印象なのかもしれない。
王都とかあるなら、かなり行ってみたいかも。
「……ま、考えたって仕方ないか」
俺は肩をすくめ、湖を見つめながらしばらくぼんやりと過ごした。
◆
ひとしきり自然を満喫しながら、自由で贅沢な一人だけの時間を楽しんだ。
時間の無駄遣いに思えるかもしれないが、現代社会人に必要なのは、おそらくこういった”時間を無駄を楽しむこと”なのだと思う。
日が傾き始め夏の日差しが和らぐと、高原は涼しさを超えて軽装だと寒さを感じるほどになってくる。夜の気温は15度程度になるのだから当然だ。
腹も減ってきたし、夕飯の準備を始める。
昼はお手軽に作ったので、夜は少し手の込んだものを作りたいところだが、野外で行う料理は、手軽さを前提にした方が工夫の余地があって楽しい。
限られた材料と器具をどのように使うか?それがアウトドアの料理の醍醐味なのだ。
まずは鶏肉の下ごしらえから始める。
鶏もも肉にフォークで無数の穴を開け、スパイスが染み込みやすいようにする。
その上から、調合したスパイスを満遍なくまぶし、手でじっくりと揉み込む。
「このひと手間で、味が全然違うんだよな」
さらに、香り付けとしてニンニクとローズマリーを擦り込んでいく。
「さて、次は火加減だ」
ダッチオーブンにオリーブオイルを薄く引き、鶏肉の皮目を下にして配置。
皮がパリッと焼ける音とともに、香ばしい匂いが広がる。
その間に、付け合わせの野菜を準備。
ジャガイモ、人参、ズッキーニを適度な大きさに切り、オリーブオイルとハーブで和える。
ダッチオーブンに野菜を詰め込み、フタを閉じたら、熾火の上にセット。
「よし、あとはじっくり火を通すだけだ」
上から炭を乗せ、全体に均等な熱が回るように調整。
じっくりと時間をかけ、鶏肉の旨味を引き出す。
「……この待つ時間がまた、いいんだよな」
焚き火の炎を見つめながら、再び贅沢な時間の無駄遣いを始めた。
◆
ダッチオーブンのフタを開けると、立ち上る湯気とともに香ばしい香りが鼻をくすぐった。
こんがりと焼けた鶏の皮はパリッと、肉はほろりと崩れるほどジューシーだ。
野菜もホクホクに仕上がり、ローズマリーの香りがふわりと漂う。
「おお……これは絶対うまいやつだな」
期待に胸を躍らせながら、ナイフを入れる。
鶏肉を切ると、中からじゅわっと肉汁が溢れ出た。
一口、口に運ぶと——
「ん~~~最の高!」
噛むたびに広がるスパイスの風味と、鶏肉の旨味が一体となって口の中を満たす。
シンプルな調理だが、じっくり時間をかけた分だけ味わいは深い。
付け合わせのジャガイモや人参も、オリーブオイルとハーブがしっかり染み込み、素材の甘みを引き立てている。
炭火でじっくり焼いたおかげで、余計な水分が抜け、ギュッと濃縮された旨味が口の中に広がる。
焚き火の炎をぼんやりと眺めながら、ゆっくりと食事を楽しむ。外で食べる飯は、なぜか何倍も美味く感じるのだろう?
——いや違うな。
こんなに手際よく絶品料理が作れるようになったのは、やはり異世界に行ったことが、俺の身に何らかの影響を与えたのだ。と考える方が納得できる。
そんなことを考えながら、最後の一口を頬張って満足げに息を吐いた。
「ふぅ……食った食った」
食後のコーヒーを淹れ、椅子にもたれかかる。
時間はいつの間にか夜に差し掛かり、辺りはしんと静まり返っている。
——視線を上げた瞬間、世界が変わった。
夜空いっぱいに広がる無数の星々が、静かに、しかし確かに瞬いている。
天の川は淡くぼんやりと流れ、まるで夜空に溶け込む光の川のようだ。
息をするのを忘れるほどの、美しさだった。
あまりにも広大で、果てしなく、静かで。
まるで自分が宇宙の一部になったかのような錯覚に陥る。
普段、星なんて気にもしない。
都会の空では、夜になってもネオンが輝き、空はただの暗い天井に過ぎない。
けれど——。
ここには、人工の光はない。
静寂に包まれた夜の中で、星々だけが悠然と存在している。
無数の光が、遠い過去から今へと届き、俺の瞳に映る。
——この星の光は、いったい何万年前のものなんだろう。
途方もない時の流れに想いを馳せると、自分の存在がどこまでも小さく思えた。
ふと、星々の中に見覚えのある並びを見つける。
あの星座の名前はなんだっただろう。
あちらににも、星座ってあるのかな? セシリアや村の人たちは、今頃どうしているのだろう?
そんなことを考えていた、そのとき——。
「ワンワンだー!」
子供の声に、意識が現実へ引き戻された。
視線を向けると、暗闇の中に光るいくつかの目。
——野犬?
◆
数匹の犬が、キャンプ場に入り込んでいた。
近くの子供が無邪気に指をさしているが、親たちは明らかに慌てている。
やはり誰かの飼い犬ではなく、野良犬、野犬の類のようだった。
「おい、ちょっとまずくね?」
他のキャンパーたちもざわつき始める。
俺はすぐに車へ駆け戻った。
落ち着け、落ち着け。慌てるな。深呼吸をしながら、冷静に状況を整理する。
子供たちが指をさしている先、野犬たちはまだ距離を保っているが、こちらに危害を加えないとも限らない。
じりじりとこちらの様子をうかがいながら、時折唸り声を上げている。
食い物にありつけば大人しく帰ってくれるかもしれないけれど、それが癖になってしまうのもマズい。だからといって、誰かが大声を上げたり急に動いたりすれば——一気に襲いかかってくる可能性だってある。
「……まだ大丈夫だ。落ち着け」
自分に言い聞かせながら荷室を開け、奥にしまっていた熊よけスプレーを取り出した。
何年も前に”転ばぬ先の杖”ってことで買ってしまっておいたが、ありがたいことに使う機会が無かった無用の長物だが、今がその時だ! 蓋を外し、スプレー缶をしっかりと握り締める。
「風向き……よし」
慎重に野犬に近づいていく。
ヤツらの視線が一斉に俺へ向けられ、背筋に冷たいものが走った。
だが、ここで怯むわけにはいかない。
俺は大きく息を吸い込み、意を決してスプレーの噴射口を野犬たちに向けた。
「人間の都合で申し訳ないことですが!」
シュッーーー!
高圧で噴射されたスプレーが野犬たちに向かって拡散する。
刺激臭の混じった霧が鼻をつき、俺ですらむせ返りそうになるほどだった。
「ギャウッ!」
先頭にいた一匹が鼻を押さえるように身をよじり、次の瞬間、全速力で逃げ出した。
他の犬たちも慌てて後を追うように、森の中へと消えていく。
「ふぅ。とりあえず皆無事でよかった……」
息を吐き、スプレーを持つ手の力を抜く。
キャンパーたちの間から安堵の声が広がり、俺の背後では拍手が沸き起こった。
「あ、あの。ありがとうございます……!」
近くで子供の母親が、震える声で礼を言った。
「いや、大したことじゃないですよ」
犬たちを気に掛ける言葉を言うわけにもいかず、俺はスプレー缶をじっと見つめた。
なんとなく既視感を感じた。
黒狼に追われ、セシリアと一緒に森を逃げたときと、どこか似ている。
結局あのときは、まともな武器もなく、ひたすら全力で逃げるしかなかったが——もし、あのとき熊よけスプレーがあったら?
(……なんてな)
そんなことを考えながら、俺は夜空を見上げた。




