5.自殺した女の姉
浜崎組の社長令嬢、涼香にフィアンセ日高孝男の行方さがしを依頼された翼は、日高孝男が失踪時に居た建築現場で、もうひとつの事件を知る。
その日高建設が請け負った建築工事現場は、広い河川敷の近くに、クローラクレーンのブームと、鉄骨の骨組みを見せていた。あちこちからボルトを締める音や、工事用リフトの上下する音が響きわたる。敷地の一角にプレファヴの現場事務所があり、2階が元請けである日高建設の事務所になっていた。中で、4、5人の男たちがパソコンと向き合っていた。
「すみません」
男たちは驚いたように作業の手をとめ、一斉に女の声のしたほうに顔を向けた。
「ああ、あんたが電話してきた探偵さんかいね」
部屋の真ん中にいた黄色いネクタイの男が言った。40代くらいで小太り、眼鏡をかけている。
男は「そっち、行きましょ、そっち」と扉の向こうを指差しながら、そそくさと寄ってきた。同僚から、美人だとすぐに出て行くとからかいの声が飛んだ。翼は聞こえないふりをした。
案内された別室の応接室は、なかなかこぎれいで、革張りのソファーと観葉植物、建物の完成予想図が壁に掛けられていた。
男は現場の事務長で後藤と名乗った。
「孝男さんは、5日前、急にこなくなったんですわ。もう、大変でね。うちの工事長なんて、ずいぶん社長にどやされましたよ。しかし、わしらも何も原因がわからんでね。教えてあげれることは残念ながらひとつもないんです。それが、あんたにここに来てもらうことを了解したんは、実は紹介したい人がおるからなんです」
「紹介?」
「実は、2週間ほど前ね、うちの事務員の秋吉恵美って子が自殺したんよ。それでね……」
そのとき、扉がノックされ、別の現場職員の男が顔をのぞかせた。
「後藤さん、メグちゃんのお姉ちゃん来たよ」
「ああ、ちょうどや。こっち来てもらって」
紺のウインドブレーカーを着た30前後の女が入ってきた。くせ毛の髪をポニーテールにしている。おどおどした態度で入ってきたその女に、後藤は言った。
「秋吉さん、この女の人ね、探偵さんやねんて」
秋吉と呼ばれた女は、座っている黒服の女に不審そうな目を向けた。
「この人、いなくなった孝男さんのこと探しとるらしいんやけど、それなら、メグちゃんが死んだ理由も、この人に調べてもらったらどうや。わしら本当に何も教えてやれることないんや」
「本当に何もご存じないのですか」
秋吉は怒りの声を出した。
「ほんまのほんまにない」
「日高さんだけじゃなくて、前の事務長さんだって、急に会社を辞めちゃうし、みなさん、誰に訊かれても何も言うなと、本当は、会社のほうから言われてらっしゃるんじゃないのですか! 日高建設の人ってそんな無責任な人ばかりなんですか!」
「本屋敷くんは、リストラにあったんだよ。メグちゃんとのことは関係ない。今、この探偵さんにも言ったんやが、なんで孝男さんがいなくなったんか、わしらも本当に分からんとや。この探偵さんとふたりで、どうぞお好きなだけ調べてください!」
後藤も最後は怒ったように言うと、腰をあげ、部屋を出ていってっしまった。
互いに見知らぬ女ふたりが、見知らぬ部屋に残されたが、目を合わせると、同時に「少し、お話いいですか」と言っていた。翼は微笑み、秋吉も弱々しながら笑みを返した。
「もてあそばれたんです。妹は、日高孝男に」
秋吉香織と名乗った女は10分後、喫茶店のコーヒーをはさんで、向き合った探偵にそう言っていた。
「遺書も簡単なものしか残されてなかったので、証拠は何もないんですけど、妹が死んだのは、日高孝男が妹をもてあそび、捨てたから、私にはそうとしか思えないんです。世間知らずの妹は日高という男を見抜けなかったんです。妹は、自分が日高孝男に見初められていると思っていたんです」
秋吉は自分たち姉妹のことを語った。小さいときに父親をなくして、母親1人に育てられたこと。その母も自分が中学を出るころに過労で死んだので、自分が家計を支えてきたこと。
「妹はそういう貧しい暮らしを嫌っていました。ひとつの理由は妹が美人だったからです。自分には魅力がある。だから、自分はもっといい暮らしができる資格があると考えていた。そんなところを妹はつけこまれたんです」
「先ほどの話をうかがったところ、妹さんは、他にもあの会社の方とつきあっていたようなことでしたが」
探偵の言葉に、秋吉は狼狽した様子を見せたが、すぐに言葉を継いだ。
「ええ、妹は1年ほど前、あの工事現場の前の事務長だった本屋敷という人と、つきあっていました。ところが、その人も、1年前に急に会社を辞めてしまいました。今の事務長さんはリストラにあったんだなんて、さっきも言ってましたが、私はその人も逃げたと思っているんです。そして今度は次期社長が、恵美をもてあそんで、捨てたんです! それで恵美は……」
秋吉は泣き出した。
探偵はテーブルの上に1枚の写真を置いた。
「この男性、ご存じですか?」
写真を手に取ると秋吉は、目を少しばかり見開いた。
「心当たりが?」
「え、ええ、私1度、妹がどんな男と付き合っているのかと、妹のあとをつけたことがあるんです。そのとき、派手な車の脇に日高孝男と、もうひとり男が立っているのを見たんですが、その人と似ています。それで、この人は?」
「日高孝男の友人です。自宅で殺されてました」
「殺された?」
秋吉は驚き、真っ青になった。
「い、いったい、何が起こってるんですか!」
次回、翼は、日高建設の本社で社長に話を振りにいく。