1.勝気な令嬢
女探偵、上条翼のところにやって来た依頼人は、勝気な、それでいてどこか暗い顔を見せる美しい社長令嬢だった。
「翼って言うから、男かと思ったわ」
上条翼のオフィスに、浜崎涼香があらわれたとき、最初に言った台詞がこれだった。
翼が椅子に座って週刊誌を読んでいるときに、ドアがあいた。振り返ってみると、そこに涼香が現れて、そう言ったのだった。
「浜崎さんですね。お待ちしてました」
翼は微笑むと、フラットなアルトの声でこう返した。
上条翼は、週刊誌をブックラックに戻して、立ち上がった。部屋のほうが白で統一されているので余計に黒がきわだつ全身真っ黒ないでたち。染めていない髪に囲まれた顔は、やや面長の逆三角形で、あごも、鼻もとがっている。
来客者の浜崎涼香のほうは対照的。亜麻色に染めた髪をウェーブさせ、グリーンのワンピースを金色のバックルのついた蛇革の細いベルトで絞りこみ、その上にとび色のジャケットを羽織っている。オーストリッチのハンドバッグを左肩からさげ、長い首には純白のシルクのスカーフ。人目を引く丸顔をしていた。
立って相対してみると、二人の視線は、ほぼ水平に見合った。
翼は布張りの応接ソファーに来客者をいざなった。
「あなた、私と同い年ですってね。」
ソファーに腰をおろしながら、涼香が言った。
「私のこと、先に探偵されたのですか」
「鬼塚君に教えてもらったのよ。うちの父、彼のこと、とても気に入ってるの。この前、ビール瓶を空手で切るって余興を見せてくれたけど、それでいて細かいことにはよく気がつくから、株主総会が終わっても、ずっと専属ボディーガードとなってもらおうか、なんてことまで言ってたわ。その彼がとても強くあなたを推すのでね、あなたに依頼しようって話になったの」
「でも、私が女だってことは言わなかったのですね。もしかして、がっかりなさった?」
「まさか」急に来客者は真面目な顔になった。「冗談よ。行方不明になったフィアンセを探しに来たっていうのに」
浜崎涼香はオーストリッチのバッグをあけながら言葉を継いだ。
「でも女にできるの? こんな仕事」
「できないと思われるのにいらしたんですか?」
「まあ、半分は見ものかなと思ってね」涼香は、バッグの中をまさぐりながら言った。「あなた、有名みたいだし、それで、どんな人か見に来たってわけ」
浜崎涼香は、1枚の写真を取り出し、投げやりな感じで、探偵の前に置いた。
むくんだような丸顔の男が、大きな水玉の紺のネクタイを締めて、見合い写真のような白い背景の中に写っている。髪はスポーツマン風に短くしているが、色は白く、むしろ乳臭さが残っているといった顔。
「名前は、日高孝男」
「では、日高建設の?」
「そう、次期社長。話が早くて結構ね。来年の6月に、結婚する予定だったの。それが4日ほど前にいなくなった。もちろん、むこうの親のほうにも音信不通。こんなこと、今までなかったものだから、先方もうちのほうも、騒いでるってわけ」
「おひとりで、旅行に行ってらっしゃるとかは?」
「ひとり旅なんてする柄じゃないわよ。取り巻きをつれてないと歩けないんだから」
吐き出すように社長令嬢は言った。
「あのう、浜崎さん」
「何?」
「フィアンセとおっしゃいましたよね?」
涼香は、組んでいた長い足を解くと、急に暗い顔になって、言った。
「……親の決めた結婚なのよ。彼にもしものことがあると、浜崎組が……うちの父の会社が困るの」
来客者は、探偵から、視線をそらしたまま続けた。
「うちの会社、受注減でね。危ないの。株主も怒りだしていて、それで、総会の前にボディーガードも必要になったってわけなの。それがなんとか、娘を先方に差し上げることにして、再興の目処までこぎつけはしたんだけど、その矢先に相手が消えてしまった。そこで、うちの父もあわてふためいて、こっちでも彼を探そうなんて言い出したのよ。先方には内密にね。それで優秀な探偵さんを雇おうと、こういう話になったの」
涼香はまたバッグから、数枚の書類を取り出すと、またそれをぞんざいに置いた。
「彼の履歴書」
翼が目を通す。依頼人は、かいつまんで説明していた。
日高孝男。東証1部上場の中堅建設会社、日高建設の社長、日高義信の長男。清応大学経済学部を卒業。のち、アメリカの大学に1年留学。そののち、世界視察を1年ばかりしたのち帰国。帝王学を学ぶべく系列の銀行に一時勤務したのち、昨年8月に、日高建設に入社。そして、次期社長となるべく、現在、社内のすべてのセクションを順番に回っている。
「で、失踪したときは本社じゃなくて、三塚市の丸橋電気さんの新社屋工事、そこの現場事務所にいた。現場事務員としてね。そこの人たちも、彼のいなくなった理由は心当たりがない」
「特に親しいご友人とかは?」
「奥井という人を知ってるわ。何でも大学時代からの親友という話らしいんだけど。ところが、この人もつかまらない」
「その人は、日高さんと一緒によく行動を?」
「みたい。でも、私は一度、孝男さんに紹介されただけで、別にその人よく知らないから。その中に住所録が入っているから、お渡ししとくわ」
そういうと、浜崎涼香は自分の家のように、ソファーの背に身を投げ、オフィスを見回しながら羽を伸ばすようにして言った。
「いいわね。あなた。ひとりで仕事ができて。私なんてがんじがらめよ。生まれた時からね」
「でも生活にお困りにはなられないでしょう?」
「それに困りそうだからここに来たわけ。やーめたで済むものなら、すぐにでもやめたいわよ」
社長令嬢は、いーだのようなおどけ顔を探偵に向けた。しかし探偵は笑わず返した。
「浜崎さん。本当にいいんですか?」
「何が?」
「この人を探して」
探偵がそういうと、浜崎涼香はあからさまに狼狽を示しはじめた。
「あ、あ、あたりまえでしょ!」ようやく言って、さらにぎこちなく、付け足した。「依頼人に頼まれたことをやるのだけが、あなたの仕事でしょ。余計なこと言わないで!」
そこまで言うと、社長令嬢は、にわかに気まずそうな顔になり、はじかれたように横を向いた。
そのとき、扉が開いた。
髪を短く刈り上げた、スポーツマンらしいきびきびした動きの、丸顔の青年が現れた。
あごに頭髪と同じような髭をたたえている。もうすぐ12月だというのに、半そでの黒のポロシャツにリーバイスの511。ポロシャツの両袖からは、鍛錬を欠かさない太い腕が伸びている。しかし背はあまり高くなく、どう見ても、今この部屋にいる3人の中では1番低い。が、体重は少なく見積もっても1倍半。露出した肌はどこもかしこもよく日に焼けているが、瞳はつぶらで唇もあどけない。歳は20代の前半。
「あ、涼香さん! 本当に涼香さんがいらしたんですか」
男は入ってくるなり、明るく驚いて見せたが、場の雰囲気に、急にまじめな顔に変わった。
「どうしたんです?」男は翼のほうを見た。「え? もしかして、契約不成立?」
青年は、ふたりの女を交互に見比べながら、泣きそうな顔になった。
「いいえ、お願いしたわよ」
来客者がそう言うと、男は大げさに胸をなでおろした。
「ああ、良かったあ。これで俺も立つ瀬があります。俺、翼さんと涼香さんて合うんじゃないかと思ってご紹介させていただいたんですから」
鬼塚庄之助は、機嫌よく続けた。
「お二人、似てる感じがするんですよね。性格が似ていて環境が違うふたりって、友達になりやすいんですよ。ああ、俺、小さいときから、友だちの仲、取り持つのがうまいんです。現に涼香さんだって、僕の話聞いて、翼さんに興味ありそうだったし……」
そこまで言ったとき、鬼塚は、涼香がすごい目で自分を睨んでいることに気がついた。鬼塚は体を硬直させ、親に助けを求める子供のように、翼のほうを見た。
しかし翼は、鬼塚の言うことなど全然聞いてないかのように、キャビネットの天板で書類に、なにやら書き込んでいた。そして、浜崎涼香に歩み寄ると、その書類に封筒を添えて差し出した。
「探偵料の説明書きです。しるしをつけたところが該当部分です。分からないところがあったら、いつでも連絡してください」
ふたりの女はしばらく立ったまま対峙していたが、やがて依頼人が、探偵の眼から視線をはずさないまま、書類をゆっくりとひったくった。
「彼を見つけてくれたら、正規料金のほかに200万円差し上げるわ」
「200万!」
驚きの声は鬼塚。
「たいした額じゃないわよ」涼香はすまして言った。「たいした仕事というわけでもなさそうだから」
「ありがとうございます」
探偵に笑顔で平然とそういわれて、涼香の顔には、また狼狽の色が走った。が、令嬢はすぐさまたたずまいを正すと、「まあとにかく、がんばって頂戴」と言って、くるりと背を向けた。
白いスカーフがひるがえった。ふたたびにらまれた鬼塚は、自動扉のように脇へどいた。
扉の閉められ方は、意外と静かだった。階段を下りるハイヒールの音が聞こえて、そして消えた。
「どうしたって言うんですか、翼さん、どうして涼香さん、ご機嫌斜めになっちゃったんです?」
「さあ、自分の本当の気持ちとまともに向き合ったからじゃない?」
翼は、左右の手のひらを天井に向けて肩をすくめた。
次回、鬼塚が翼に弟子入り志願する。
女探偵、上条翼シリーズの長編です。短編「とわの恋人」に続いて、まだ2作目のアップで、いろいろ、なろうさんのシステムもよく理解してないのですが、お読みいただければ幸いです。