【短編】呪いの魔女として歴史に名を残すようになるまで。本当は心優しい泣き虫クロエ
むかしむかし。
遠い昔。
『呪いの魔女クロエ』として歴史に名を刻んだ美しい女性がいた。
彼女は時の国王から寵愛を受け、人々を魅了し、多くの罪のない人を呪い殺したと言われている。
これはそんな彼女の、歴史とは違う本当のお話。
**===========**
深い森の中。
私はおばあちゃんと2人、小さな家で暮らしていた。
おばあちゃんは厳しくも優しくて、いろいろなことを教えてくれた。
家事の仕方。
森の生き物たちと共存する方法。
文字の書き方。
どうしても困った時は、町に降りて買い物をする方法。
どれもこれも、1人で生き抜く方法だった。
けれど1つだけ違うものがあった。
それは……
言葉の紡ぎ方。
極力喋らないこと。
言葉を発する時は、必ず頭の中で考えること。
その2つをコンコンと言い続けられた。
喋ってはいけない私は、おばあちゃんに大きく頷いてみせた。
すると決まって、おばあちゃんが柔らかく笑い、暖かいシワくちゃの手を私の頭に乗せた。
「クロエはいい子だね。お前の大きくなった姿を見られないのが残念だよ」
おばあちゃんはいつもそう言って、私に言い聞かせていた。
そのうち訪れる別れをいつも匂わせて、私に覚悟をさせていた。
……おばあちゃんが居なくなったら、私は1人で生きていかなくてはいけないから。
私もおばあちゃんにほほ笑み返していたけれど、心の中では傷付いていた。
でも、仕方のないことだとも理解していた。
**===========**
2桁の年齢にとどこうとしたころ、おばあちゃんは私を残して天国へと旅立った。
私は1人、森の中に住む。
誰にも迷惑をかけず、孤独に耐えながら、ひっそり暮らしていた。
そんなある日。
町の子供たちが、私の家の近くまでゾロゾロとやって来た。
同い年ぐらいの彼らは、町の人から隠れるように生きている私が気になったらしい。
怯えた私は家の中で息をひそめ、窓から彼らの様子をそっと窺っていた。
「おーい! 呪いの魔女! 出てこいよ!」
「いるんでしょ?」
「呪いをかけてみろよ!」
「「きゃはははは!!」」
大声とともに、小石が壁に当たる音がした。
彼らが投げているのだ。
どうしていいか分からずに、とりあえず言われた通り外へと向かった。
1つしかない出入り口用の扉をくぐる。
ゆっくりとその扉を後ろ手で閉めると、彼らが息を呑む声が聞こえた。
5人いる子供たちの中で、1人の少年がずいっと前に出て、私に詰め寄る。
「ふーん。思ったより普通じゃん」
「…………」
ジロジロと上から下まで見られて、私は目線を下に向けた。
「本当に呪いがかけられるのか?」
「…………」
「何か言えよ」
「…………」
私は両手で口を塞ぎ、彼を見上げながらフルフルと顔を横に振った。
「チッ!」
舌打ちをした彼が乱暴に私の両手を掴み、口から引き剥がした。
「ぁぅ……ご、ごめんなさい」
私は一生懸命考えたあとに、謝りの言葉を口にした。
なんでこんな事になっているのか分からずに、怖くて涙が目に浮かぶ。
泣いてしまった私に、さすがに目の前の少年も動揺した表情を浮かべた。
「おい、ルカ。気を付けろよ。こいつが喋った言葉が呪いになるんだから」
いつの間にか私たちの近くに来ていた別の少年が、私の目の前にいる彼の肩を掴んだ。
「……分かってるよ」
落ち着いた少年が、私の両手から手を離した。
すると彼らの仲間である他の3人も、近くまでやってきた。
「何か呪いをかけてみてよ」
「でも、わたしたちにかけられたら困るわ」
「……そうだなぁ、じゃあ町の意地悪なおじさんにかけてもらう?」
「ティオはあのおじさんによく怒られるもんね。あはは!」
彼らだけで話が盛り上がり始めた。
置いてけぼりの私は、キョロキョロ見ているしか無かった。
「こらー!! お前たち!!」
彼らの背後から怒号が聞こえた。
私を含めたみんながビクッと体を跳ねさせる。
見ると、町の大人が3人そろって立っており、子供たちを睨みつけていた。
「げっ。親父……」
「……っママ!?」
子供たちが青ざめて少し逃げ腰になる。
どうやら彼らの親のようだ。
「ここに来てはいけないという、町の決まりがあるだろ!! 帰るぞ!!」
大人たちが子供らをひっ捕まえた。
その時、大人の1人が私をチラリと見た。
その人は私に恐怖の眼差しを向けながらも、ペコリと頭を下げてくれた。
「…………」
私も小さく会釈をし、彼らが去っていくのをただ呆然と眺めていた。
遠くの木々の間に消えていく彼らの会話だけが、しばらく私の耳にも届いた。
「いいか、呪いの魔女が喋ったことは、本当になるんだ。下手をすれば殺されるぞ」
「そうよ。もうここに来てはいけないわ」
「……はーい」
「もう来ませーん」
「本当に分かっているのか!?」
親は子供たちを心配しているのに、子供たちはまるでピクニックにでも来ていたような陽気な雰囲気。
幸せそうな普通の人たち……
いつまでも騒がしい一行は、ゆっくり町へと帰っていった。
ーーーーーー
しばらくたってから、私はヘナヘナと地面にしゃがみ込んだ。
……良かった。
余計なことを喋らなくて……
私は心底ホッとした。
そして自分の喉元を押さえる。
……私は呪いの魔女。
私の言葉には、凄まじい力があった。
負の言葉を発すると、それが魔法となり現実になってしまうのだ。
それでおばあちゃんは、幼いころから私に言い聞かせていた。
極力喋らないこと。
言葉を発する時は、必ず頭の中で考えること。
…………
もう不必要なことを喋って、人を傷つけるのは嫌だった。
でも、独りは……こんなにも寂しい。
私は人知れず涙を流した。
**===========**
それからも私は1人でひっそりと暮らした。
おばあちゃんの言いつけを守り、森の中で細々と暮らす。
おばあちゃんがいろいろ教え込んでくれたおかげで、特段困ることも無かった。
穏やかに月日が経ち、私の背丈もだいぶ伸びて、大人の女性へと成長していった。
ーーーーーー
その頃、変わらない毎日にある変化が起こった。
誰かがお花を届けてくれるようになったのだ。
朝起きて家の外に出てみると、軒下にある木の机の上に何か置かれていた。
見るとピンク色のお花が紙に包まれている。
野草なんかじゃなく、見たことのない綺麗で大きなお花だった。
町の花屋さんで買ったもの?
私はせっかくだから、その日から花瓶代わりにした古いコップにその花を挿した。
部屋を彩るお花の姿に、思わず笑みがこぼれる。
その贈り物は、たびたび届くようになった。
いつも朝に気付くその花に、夜にわざわざここまで来ているのかな?
と疑問に思う。
けれど誰が置いているのか、正体を暴こうとは思わなかった。
お花を貰えるだけで嬉しかったから。
私は日々の暮らしの中で、花瓶に挿したお花を見つめてはニッコリほほ笑んでいた。
それが、小さな小さな私の幸せだった。
**===========**
ある日、私は風邪を引いてしまった。
こんな時に頼れる人もいない私は、大人しく寝ているしかなかった。
熱が引くまで何もすることが出来ず、食事も満足に用意できないから、回復するスピードも遅い。
ベッドに横になったまま、そばの窓を眺める。
外は真っ暗で月が出ていた。
……何日寝ているのだろう?
まだ熱が引かず、体を起こすのがだるい……
再び目を閉じようとした時に、扉をノックする音がした。
……誰?
この家に誰かが訪ねてくるなんて、すごく珍しいことだった。
……こんな夜中に?
けれど森で迷って困っている人かもしれないし……
私は何とか起き上がってショールを羽織ると、フラフラと扉まで歩いていった。
途中でランプを灯す。
扉をあけると男性が立っていた。
「…………」
その男性に見覚えがある気がした。
私が思い出そうとジッと見つめていると、目線をそらした彼が告げる。
「……花が外に置かれたままだったから……」
「!!」
なんと彼は、花を届けてくれている人だった。
花が受け取れていない私を心配して、訪ねてくれたのだ。
私は思わず顔を綻ばせる。
彼がチラリと見てくれた気がした。
けれど同時に私は熱でふらりとよろけてしまった。
「うわっ!」
慌てて彼が抱き止めてくれた。
そしてハッとして私の顔をのぞきこむ。
「…………熱があるのか?」
「…………うん」
頷けばいいものを、熱で頭が回らない私は、気付けば返事をしてしまっていた。
ホッとため息をついた彼が、私を抱き上げてベッドまで運んでくれる。
そして私を優しく横たわらせ、ブランケットをかけてくれた。
私は一生懸命、頭の中で考えてから喋った。
これだけは伝えておきたかったから。
「……ごめんなさい。お花を外に置いたままにして」
彼はベットの近くに椅子を持ってきて座った。
そして私の前髪をかきあげるように撫でてから、オデコに手を置く。
「いいよ。体調悪くて寝込んでいたんだろ?」
「…………」
私はゆっくりと頷いた。
そして、言おうと思っている言葉を頭の中で反芻させて、よく吟味する。
「お花、嬉しかったの。ありがとう」
感謝の言葉と共に笑みを浮かべると、そのまま目を閉じて眠りに落ちてしまった。
**===========**
それから気が付けば、彼が手厚く看病してくれていた。
町に薬を買いに行ってくれて、食べやすいスープも用意してくれた。
おばあちゃんが亡くなってから1人で頑張っていた私は、とても嬉しかった。
だから、優しい彼に甘えさせてもらった。
なるべく喋らないようにして。
すっかり元気になったころ、私は彼と筆談をするようになっていた。
おばあちゃんとよく使っていた、小さな黒板にチョークで文字を書く。
家の外にある長椅子に並んで座り、私たちはお喋りを楽しんだ。
「名前は?」
彼に聞かれて、私は黒板に文字を書いた。
『クロエ。あなたは?』
書き終えた私は、隣の彼を見上げる。
「ルカ」
『会ったことある?』
「…………ある。子供の時に、君をからかいに来た」
私は〝あぁ〟と納得した表情を浮かべた。
彼に見覚えがあったのはそのためだった。
「あの時は……怖がらせてごめん」
『いいよ。けど、なんであんなに喋らそうとしたの?』
「声が聞きたかったんだ」
『なんで?』
ルカがフイッと顔をそらした。
「……初めて見たクロエが……その……かわい……」
ボソボソと喋る彼のセリフが、そっぽを向かれていることもあり、よく聞こえなかった。
それでも静かに待っていると、不意にルカが私に向き直り、ジトッと見てきた。
「何となくだよ」
私はきょとんとしてから返事を書いた。
『そうなんだ』
「……熱で倒れた時は喋っていたのに、あれからはなんで筆談なんだ?」
「…………」
私はルカを見て苦笑を浮かべる。
それからチョークを動かした。
『私が喋ると魔法がかかるから』
「でも、あの時は何もかからなかったよ」
『負の言葉を喋ると魔法が発動するの。あの時に喋った言葉は大丈夫だったの』
「…………」
『言葉にする前に、よく考えてから喋るようにするんだけど、どうしても遅くなっちゃうから』
「そういうことか……遅くなってもいいから、喋っていいよ」
優しいことを言ってくれたルカに、私はフルフルと顔を振った。
『何が負の言葉になるか、全部分かってない。ルカに呪いをかけたくない』
私はニッコリと笑った。
**===========**
ルカは、それからも変わらずにお花を贈ってくれた。
ただ夜ではなく昼に来てくれるようになり、受け取った後に長椅子に座って筆談をするのが習慣になった。
楽しかった。
ずっと孤独に生きてきたから、会いに来てくれるだけで嬉しかった。
だから、恋に落ちるのに時間はかからなかった。
……私はルカを好きになっていた。
部屋の中で1人、彼にもらった花を眺めてニコッと頬をゆるめていると、誰かが訪ねてきた。
ルカかな?
と思いながら扉を開けると、見知らぬ女性が立っていた。
神妙な顔をした女性が、開口一番に叫ぶ。
「……もう、ルカをたぶらかすのはやめてよ!」
「…………」
私は彼女の勢いに驚いて身をすくめる。
「ルカがここに来てるの知ってるんだからね。私の恋人なんだから、会ったりするのやめてくれる?」
「!!」
「迷惑なの。町のみんなもルカのことを心配しているわ。あなたに操られているんじゃないかって」
女性が眉をひそめて私を見下した。
握りしめた拳を私への恐怖心で震わせながら。
……恋人がいたの?
私は驚きすぎて動けずにいると、突然、町から鐘の音が聞こえた。
甲高く何度も鳴るその音は、危険が迫っていることを知らしていた。
「え? まさか……あの噂は本当だったの!?」
女性が驚いて青ざめている。
「…………」
私は嫌な胸騒ぎがして、町へと走った。
ーーーーーー
町につくと、隣国であるルネアム国の兵士が押し寄せていた。
小さな町に対して、たくさんの敵兵……
町の人たちも武装して戦っていたが、戦力が違いすぎるのは一目見て分かった。
男性たちが必死に敵を食い止めている間に、女性や子供たちが走って避難している。
私はルカを探した。
町の入り口にあたる門の外に出ると、更に大勢の人たちが戦っていた。
そこで剣を手にして戦っているルカを見つける。
ちょうど敵の剣を自身の剣で受け止めている所だった。
「ルカ!!」
私がつい名前を呼ぶと、気付いた彼がこちらをチラリと見た。
けれどその隙に、対峙している兵士が剣を押し込み、ルカが後ろによろけてしまった。
すかさず剣を振り上げる敵の兵士。
彼が……
ルカが殺される!?
たとえルカから何とも思われてなくても……
彼を助けたい!!
私は思わず叫んでしまった。
「ルネアム国の兵士は……消えろっ!!!!」
目を閉じて叫んだ私の声は、戦場に響き渡った。
ゆっくり目を開けると、そこには町の人たちしかいなかった。
こつ然と敵の兵士が全員消えたので、みんな驚いて動きを止めている。
「クロエ!」
ルカだけが私に駆け寄ってくれた。
「…………っ!!」
けれど彼が辿りつく前に、私は泣き崩れてしまった。
へたり込み、両手をついて地面に向かって泣き叫ぶ。
またやってしまった……
人を……殺めてしまった……
**===========**
泣き喚いて話にならない私を、ルカが家まで送ってくれた。
そしていつもの長椅子に私を座らせると、黒板とチョークを持ってきてくれた。
「……いいかげん泣きやめよ。俺たちにとっては命の恩人なんだから」
ルカが弱々しく笑いながら、私の隣に座った。
私はゆっくりとチョークを握った手を持ち上げた。
黒板に文字を書き込む音だけが、しばらく辺りに鳴り響く。
『こんな魔法、使いたくないのに』
「…………でも助かったよ。噂は聞いていたけど、本当に隣国が攻めてくるなんて……」
「…………」
私は消してしまった隣国の人たちを思い、うつむいた。
ルカが私を慰めるために、横から優しく抱きしめてくれた。
「助けてくれて、ありがとう」
それをやんわり押し返す。
『私は呪いの魔女だから』
「俺はそう思ってない」
『それに、恋人がいるんでしょ?』
「はぁ?」
『ほら、迎えにきたよ』
私が書いた文字を読んだあとに、ルカが目線を前に向ける。
するとそこには1人で私に言い込みに来た、あの女性が立っていた。
「……リーナ……」
「ルカ、危ないよ! 早く帰ろうよ? ルカも見てたでしょ? 大勢の人が消される瞬間を!!」
リーナが悲痛な表情をして叫んだ。
ムッとしたルカが返事をする。
「危なくない。今までクロエと一緒にいたけど、何も起こらなかった。クロエは町のみんなを助けてくれたんだ」
「っでも!! ルカもそのうち呪われるよ!」
リーナの言葉を浴びた私は、思わず顔を伏せた。
そんな私を見てルカが逆上した。
「お前っ!! いい加減にしろよ!? クロエに俺の恋人だって嘘をついたんだろ? 何がしたいんだよ!?」
「だって! 心配なんだもん!! ルカが好きだから!!」
リーナが思いを叫んだ。
私はそっとルカをうかがうように盗み見る。
彼は難しい表情をしていたけれど、ゆっくりと口を開いた。
「ごめん。俺はクロエが好きだから……リーナの気持ちには答えられない……」
そう言い切ったルカが私をチラリと見た。
目が合ってしまった瞬間に、私は真っ赤になって目を逸らす。
……どうしよう。
好きって言われちゃった。
こんな時なんだけど、たまらなく嬉しい。
そんな私たちを見たリーナが歯痒そうに顔を歪める。
「……でも……いつ殺されるか分からないよ!? その子は自分の母親まで呪い殺したんだから!!」
目線を下に向けていた私は、そのままビクッと体を跳ねさせた。
そして小さく震えながらルカに目を向ける。
彼は驚いたあとに、眉をひそめて痛ましそうに私を見つめ返した。
ルカの表情が、当時罵声を浴びせた人々と重なる。
……そしてフラッシュバックが起きた。
ーーーーーー
幼いころ、まだ私の負の言葉の魔法がよく分かっていないころ……
私は大好きなママに言ってしまった。
私のために怒ってくれていたママに、反抗した私は……言ってしまったのだ。
『ママなんて嫌い! こんなママはいらない!』
そう叫んだあと、ママは私の目の前から消えてしまった。
その場面は、多くの町の人に見られていた。
当時は普通に町の人と接しており、私とママは買い物に来ていたからだった。
町の大人たちが口々に言う。
「〝いらない〟なんて願ってしまったから、あの人は居なくなったんだ」
「そう言えば、あの子に〝こっち来ないで〟と言われた息子はそのあとに怪我していたわ」
「〝しばらく一緒に遊びたくない〟と言われた娘は、1週間原因不明の熱が出たよ」
「あの子は……クロエは、呪いがかけられる?」
「恐ろしい。自分の母親まで呪ってしまう残酷な魔女だ!」
ーーーーーー
ママを失ってしまった時のことを鮮明に思い出して、私はポロポロ涙をこぼした。
「クロエ?」
心配したルカが私をのぞき込む。
私は一度、瞼を閉じた。
たくさんの涙がポタポタと流れ落ちていく。
「……ごめんなさい」
消え入りそうな声でそう告げると、私は走り出した。
走って走って……
森の奥の開けた丘までやって来た。
そこは遠くの渓谷まで見渡せ、息を飲むほど美しい森の風景が広がっていた。
この場所には、ママとおばあちゃんの墓石がひっそりと置かれている。
孤独に耐えられなくなった時なんかに、私はよくここに来ていた。
……ママの亡骸は土の下には無いんだけどね……
私は2人に向かって喋る。
「……どうして、私にはこんな魔法の力があるの?」
ここには誰も居ないから、気兼ねなく喋ることが出来た。
スルスルと胸の内を吐き出していく。
「こんな力いらないのに……私はただ……普通に生きたいだけなのに……」
その時、私の背後で物音がした。
振り向いた私の口から、彼の名前がこぼれ落ちる。
「ルカ……」
走って追いかけてきた彼は、片手を木の幹についてうつむき、肩で大きく呼吸をしていた。
それが落ち着くと、私に真っ直ぐ視線を合わせる。
私はルカの視線に耐えられずに、地面を見つめた。
何を言われるのだろう。
私は、自分の親にまで手をかけてしまった恐ろしい魔女だ。
リーナさんに言われた通り、いつルカに呪いの魔法をかけてしまうか分からない。
そんな自分を……私が1番怖がっている。
「……クロエ」
「…………」
ルカがうつむいている私の頬に手をそえる。
「俺はクロエがいろいろ我慢して……みんなに魔法をかけないようにしているのを知ってる。そんな優しくて、いじらしい君をひとめ見た時から気になっていたんだ」
私は優しい彼の声色に、惹き込まれたかのようにゆっくりと顔をあげた。
穏やかに笑う彼の目線とぶつかる。
「けれど、初めて会った時に泣かせてしまったから……また会った時に拒絶されるのが怖かった」
「…………」
私は言いたい言葉を頭の中でよく考えた。
「だから、お花をくれてたの?」
「あぁ。……言っとくけど、柄にも無いのに花なんて買うのは、周りからすごくからかわれたんだぞ」
ルカが薄っすら顔を赤らめて、目を逸らした。
私の頬から手を離して腰に当てる。
不貞腐れた彼が可愛くて、思わず笑ってしまった。
「そんなに笑うなよ」
そう言いながらルカも釣られて嬉しそうに笑う。
私は言いたい言葉をまた慎重に選んだ。
「ありがとう。私のために」
「クロエが喜んでくれるなら、これからもずっと贈らせて?」
「…………」
私は目を丸くしてルカをジッと見つめた。
顔を赤くしたルカが少し大きな声で言う。
「それほど好きなんだけど」
言い切った彼は、私をギュッと抱きしめてきた。
真っ赤になって固まってしまった私の耳元で、ルカの少し拗ねたような声が聞こえる。
「……返事は?」
「…………ありがとう。けど私は……みんなに言われる通りの魔女」
私は言葉を選んだ。
不吉な言葉は出来るだけ使いたくない。
「リーナさんが言うように……私といるのは……」
ルカは抱きしめていた力をゆるめた。
そして私の両肩に手を置くと、顔をのぞき込んできた。
ゆっくりゆっくり言葉を紡ぐ私を、急かすことなくルカが待ってくれている。
そんな彼を見つめて、私はフルフルと顔を左右に振った。
〝私といるのは、よくないよ〟と伝えるために。
「クロエと居たいかどうかは俺が決める。人の言うことなんか気にするな。それに……そんな返事が聞きたい訳じゃない」
いつになく真剣な表情をしたルカの、力強い目線に射抜かれる。
私の心がドキッと跳ねた。
「……クロエは……俺のことどう思ってるんだよ?」
少しむくれた彼が目を伏せた。
「…………私も……好き」
真っ赤になりながら言うと、ルカが私を見て嬉しそうに笑った。
そして彼の手が乗った両肩が引き寄せられたかと思うと、ルカと私の唇が重なっていた。
私はそっと目を閉じる。
思いが通じ合った幸せな瞬間だった。
**===========**
恋人同士になった私とルカは、時間の許す限り一緒にいた。
ますます、彼のことが好きだと思う気持ちがあふれる。
相変わらず喋ることが怖い私は、一生懸命、態度で示した。
ルカに笑いかけて、抱きしめて、キスをして……
恥ずかしいけど、この想いをちゃんと彼に伝えたかった。
『愛してるよ』って。
ーーーーーー
けれど、その幸せは長くは続かなかった。
静かな午後。
私は1人、家で過ごしていた。
掃除をしながらパタパタと家の中を動き回っていると、ルカがくれた白い花が目についた。
その花に向かってニッコリとほほ笑む。
すると、家の外が騒がしくなった。
ザッザッと地面を踏み鳴らす音と、ガチャガチャと何かが規則的にぶつかり合う音。
複数の人が私の家に向かってきていた。
逃げようか迷った時にはもう遅く、扉が外から乱暴に開け放たれ、武装した男性たちが雪崩れ込んできた。
たちまち私は捕まってしまい、床にうつ伏せに押さえつけられた。
両手を後ろ手に固定されて、布の口枷をかまされる。
「隊長、出来ました」
「あぁ」
隊長と呼ばれた兵士が、私の前に立った。
床に這いつくばっている私には、彼の靴だけが見える。
「イルミナート様が、お前の呪いの魔法を欲している。抵抗はせずについてくるんだ」
隊長の言葉が頭上から降ってきた。
イルミナート様。
この国の国王様だ。
まえに隣国の兵士たちを根こそぎ消してしまったから、私の行いが国王様の耳に届いたのだろう。
私は必死に顔を上げて、涙ながらに訴えた。
「んー! んー!」
「喋ろうとするな! お前の言葉が呪いになることぐらい知っている」
「んー! んー! んー!!」
私は隊長を見つめて、目線だけで必死に伝えようとした。
大粒の涙がこぼれ落ち、口枷を濡らしていく。
「…………立たせろ」
隊長は訝しげに私を見ながらも、背後で腕を掴んでいる部下に指示を出した。
立ち上がった私は、泣きじゃくりながら机の上を見た。
「んー、んー……」
そこには黒板とチョークが置いてあった。
「……いいだろう」
あまりにも泣き喚く私を気の毒に思ったのか、意図をくんでくれた隊長が、黒板とチョークを取ってきてくれた。
私は泣き濡れた瞳で彼を見つめ、恐る恐る受け取ってから文字を書く。
『せめて、お別れの手紙を書かせて下さい』
私は黒板を自分の胸の前にかかげて、目の前の隊長に訴えた。
悲しくてうつむくと、涙が落ちて床に模様を作る。
「…………」
隊長は、他の部下たちの顔を見回すと、大きなため息をついた。
「……分かった。待ってやるよ」
それから私は急いで手紙をしたためた。
もちろん愛するルカへだった。
彼のために嘘を書いた。
私は望んで国王様の元に行くと。
さよならだと。
私が居なくなっても心配しないように。
ルカだけは幸せな人生を歩めるように……
最初で最後のラブレターだ。
それが出来ると机の上に手紙を起き、端を花瓶で押さえた。
白い花が、悲しげに首をもたげて私を見ているようだった。
**===========**
イルミナート様のいる城に連れて行かれた私は、まず身なりを整えさせられた。
呪いの言葉を吐かないように、口枷をつけたまま。
国王様に対して見苦しくないように、侍女たちが体を洗ってくれて、綺麗なドレスに着替えさせてくれた。
それが終わると、私を捕まえにきたあの隊長に連れられて、イルミナート様に会いに行った。
「イルミナート様、呪いの魔女を連れてきました」
国王様のいる部屋に通されると、隊長がそう言って礼をした。
隣に立つ私も彼に倣って頭を下げてみる。
礼儀とか分からないけど、一応国王様だから……
悲しみに暮れすぎて、あまり回っていない頭でそんなことを考えていた。
「顔をあげろ」
気がつくと目の前にイルミナート様が立っていた。
言われた通りに顔を上げて、イルミナート様を見る。
彼は思ったより若かった。
私より幾分かは年上だが、随分若い国王様だ。
キリッとした顔立ちのイルミナート様が鋭い目つきで私を見る。
背中が震え、思わず恐怖心が湧いた。
「口枷を外せ」
イルミナート様が隣の隊長をチラリと睨むように見た。
「ですが……」
「顔がよく見てみたいのだ」
隊長はすこし間を置いてから、私の口枷を外すために後ろに立った。
結び目を外してくれたようで、口枷が顔から離れていく。
その間も、焦点が定まらない視線をイルミナート様に向けていた。
そんな私の顔を彼がのぞきこむ。
「……こんな小娘が本当に?」
顔を見た国王様に鼻で笑われた。
隊長がすかさず答える。
「町の人たちに聞いた所、彼女で間違いありません」
「おい、本当に隣国の兵士たちを一瞬で消し去るほどの魔法が使えるのか? ……何か言ってみたらどうだ?」
イルミナート様が冷ややかな目つきで私を見た。
思わず目線を下げる。
隣の隊長が代わりに喋ってくれた。
「彼女は極力喋ろうとしません。筆談なら応じます」
「……ふむ」
それを聞いたイルミナート様が、みずから机の上にあった紙の束とペンを私に差し出した。
戸惑いながらも、私はそれらを受け取った。
「お前の言葉が強力な呪いになると聞いた。本当か?」
イルミナート様が睨むようにして私を見ている。
『はい。本当です』
「言葉が全て、魔法になるのか?」
『いいえ。負の言葉を発すると、魔法が勝手に発動します』
「ふーん……隣国の兵士を消し去った時は何て言ったんだ?」
『ルネアム国の兵士は消えろと言いました』
「そうか」
そこまで聞いたイルミナート様が、何やら考え込んでいた。
じきにそれが終わると、また私に質問しようと口を開く。
「名前は?」
「…………」
私の手からペンが滑り落ちた。
慌てて床に落ちたそれを拾い上げる。
イルミナート様の声が、ルカの声と重なって聞こえた。
今まで気を張り詰めていたから大丈夫だったけれど、ルカを思い出してしまい途端に悲しくなる。
『クロエです』
「……なぜ泣いている?」
私は紙の束を見つめたまま泣いていた。
自分が書いたこれまでの文字が滲んで見える。
手が震えて綺麗な文字が書けなくなった。
私は下を向いて涙をこぼす。
そして……
「……ごめんなさい……」
消え入るような声で告げた。
ーー私は何に謝ったのだろう。
文字が書けないから?
イルミナート様に返事が出来ないから?
……ルカを傷付けてしまったから?
私の涙はとめどなく流れていた。
**===========**
それから私は王宮で飼われていた。
侍女たちにお世話をされて、好きな時に寝て、起きて、食べて……
それはそれは大事にされていた。
相変わらず口枷をされたまま。
周りの人たちは、私が呪いの魔女だと知っていた。
侍女たちは怖がってビクビクしながら世話をしてくれる。
私を恐れて話しかけてくる人もおらず、こんなに大勢の人に囲まれているのに、私は孤独だった。
イルミナート様の前に出る時だけ、口枷を外された。
彼は私を気に入ったらしい。
皮肉なことに、喋りかけてくるのは彼だけだった。
イルミナート様と2人でいる時、私は筆談することを許されず、喋ることを強要された。
おそらく彼は、私の口から負の言葉が飛び出すかもしれないスリルを楽しんでいる。
意地悪な質問をして、返答に困っている私を見るイルミナート様の目には、悪いことを楽しんでいる好奇心のようなものを感じるからだ。
そんな歪んだ毎日に嫌気がさしていたけれど、まだ呪いの魔法をかけたことは無かった。
だからこんな生活でも耐えようと、自分で自分を慰めていた。
……でも、その考えは甘かった。
私は……
戦場に連れて行かれた。
**===========**
小高い丘の上に、私は馬車から降ろされた。
遠くには、もつれ合う幾人もの兵士が、小さく見えていた。
金属同士がぶつかり合う甲高い音や、叫び声……
自分を鼓舞するための声なのか、悲鳴なのか分からない、大勢の人の声がした。
何をさせられるのか薄々感じている私は、隣に立つイルミナート様を恐る恐る見上げた。
同じく戦場を見つめていたイルミナート様が、私の視線に気づくと振り向いた。
「さぁ、クロエの力を見せつけろ! 敵を滅ぼせ」
「っ!!」
私はフルフルと顔を左右に振った。
イルミナート様が眉間にシワをよせて、冷ややかな目つきに変わる。
「……なぜだ? 町の人たちを守るために、隣国の兵士を消したのだろう? 今度はこの国の人たちを守るために、呪いをかけろ」
「…………」
「……そうか。やはり呪いをかけられるのは嘘だったんだな。国王である私に嘘をついた罰として、町の人たちもろとも処罰してしまおうか」
イルミナート様がニヤリと笑う。
「!?」
私は目を見開いて彼の顔を見る。
……冗談ではなく、イルミナート様は本気で言っている……
「…………ぁ……」
私はわなわな震えながら泣き出した。
それでも口を引き結んで戦場に目を向ける。
呪いをかける気になった私に満足したイルミナート様が、穏やかに笑いながら耳打ちしてきた。
「……消すな。捕虜にしたい。そうだな……〝クレイドル国の兵士は死の淵をさまよえ〟と言うんだ」
そんなことを言ってしまったらどうなるんだろう?
けど、命を奪う訳じゃないから……
私は泣きながら口を開いた。
「クレイドル国の兵士は……死の淵をさまよえ!」
ギュッと目を閉じて言い切ると、戦場から一瞬、音が消えた。
そのあとに大勢の人がバタバタ倒れて、苦痛に叫ぶ声と断末魔……
??
……誰かが死んでる?
おずおずと目を開けると、倒れた敵国の兵士に、自国の兵士たちがトドメを刺していた。
「……そんな!?」
あまりにも悲惨な光景に、私は意識が遠のいていくのを感じた。
力が入らない体が後ろに倒れていく。
そんな私をイルミナート様が抱き止めてくれた。
腕の中から見上げた彼の表情は、とても生き生きしていた。
目を爛々と輝かせて、戦場の有様に釘付けになっている。
私の瞼が閉まり、意識を完全に手放そうとしたその時に、イルミナート様の声が聞こえた。
「……素晴らしい。クロエの魔法があれば、我が国が大国になるのも夢じゃないな」
彼の楽しそうな声が続く。
「本当に……良いものを見つけた」
**===========**
イルミナート様は、周りの国々に好戦的に仕掛けていった。
そして私を駆使して勝利を収めていく。
私はイルミナート様に言われた通りの言葉を繰り返すだけの、殺戮兵器になってしまった。
大勢の人の命を奪ってしまった。
どんどん心が擦り減っていく。
ある時をさかいに、目の前で起きてる無惨な光景から、色がなくなっていった。
白と黒だけに支配され、ゆっくりと感情が無くなっていく。
私の世界は……
真っ暗で独りぼっちだ。
ーーーーーー
「クロエ」
イルミナート様に呼ばれる。
彼は私を気に入っていた。
ただただ彼の言うことを聞く、順従なお人形のような私を。
彼が、うつむいている私の頬に手を添える。
否応なく上を向かされ、イルミナート様の瞳にうつる無感情な自分と対面した。
「君の特別な魔法のおかげで、この国は立派な大国にのしあがった。1番の功労者はクロエだ。それを評して私の妃にしてやろう」
「…………」
イルミナート様が私を見つめて笑っている。
彼は……
私の能力を継ぐ子供を作りたいのだ。
呪いの言葉の力を持つ、国の次期支配者を。
**===========**
この国が大国になった祝賀会と、私のお披露目が一緒になった催しが開かれる当日。
綺麗に磨き上げられた私は、控室のソファに1人で座っていた。
相変わらず口枷をされており、私は何をする訳でもなく、うつむいてじっとしていた。
このあと会場へ向かい、イルミナート様と合流する予定だった。
時間がくると従者が呼びに来てくれたのか、背後の扉が開いた。
私はじっと動かずに従者を迎え入れる。
その従者がソファの後ろに立ち、口枷の結び目を外し始めた。
不思議なことに鼻をすする音も聞こえる。
……泣いている?
ぼんやりしている私の意識が浮上する。
そんな私の耳に懐かしい声が届いた。
「……クロエ、迎えに来たよ」
すぐに振り返って、後ろに立つ人の顔を見る。
「…………ルカ!?」
そこには、涙ぐんでいるルカの姿があった。
彼を見た途端に、世界が色であふれた。
ルカと暮らしていた時に感じた、たくさんの感情がよみがえる。
「……どうして?」
困惑しながらも、たくましい青年の姿になったルカをよく見ると、この国の兵士の格好をしていた。
ルカがソファ越しに私を優しく抱きしめてくれた。
「……兵士に志願したから……ずっと戦場でクロエの姿を見ていた。ちっとも幸せじゃないクロエの姿を」
「…………」
「手紙に書いてることなんて、全部嘘だって分かってたよ。俺はずっとずっと、クロエを想い続けていた」
「…………」
私の瞳からは涙があふれた。
すがるように彼を抱きしめ返す。
ルカがそんな私の頭の後ろに手を添えて、頬をすり寄せるように抱きしめ直した。
そして私の耳元で静かに告げる。
「……今しかチャンスがない。逃げよう」
ーーーーーー
私たちは手を繋いで城内を走った。
幸い、イルミナート様や仕えている大勢の人は祝賀会に参加しており、近くには人があまりいなかった。
しかも呪いの魔女である私が口枷をしていないので、誰もこの異常な事態に触れようとはしなかった。
無事に外に繋がる大きな扉をくぐることができた私たちは、庭園を走り抜けた。
外は暗くなっており、私たちは月明かりを頼りに進む。
「待て!!」
誰かの叫び声と共に、私たちの行く手に弓矢が放たれた。
風を切る音と共に地面に数本の矢が刺さり、思わず足を止める。
矢が飛んできた方を見ると、慌てて追ってきたらしい兵士たちが、息を切らしながら弓をこちらに構えていた。
「…………」
ルカがそっと私を背中に隠す。
すると弓兵たちの間から、1人の男性が前に進み出てきた。
「ルカ隊長……なぜ……」
その男性が、ルカを悲しげに見た。
どうやらルカは、兵隊の中でそれなりの地位を築いており、進み出た彼は親しい部下のようだった。
「クロエは、もともと俺の恋人だ」
「…………近頃怪しい動きをしていたから、少し見張らせてもらいました。……今なら引き返せます。イルミナート様のお妃様を攫う真似なんてやめて下さい!」
部下の男性が悲痛な叫び声を上げた。
私たちの騒ぎに気付いた他の兵士たちも駆けつける。
辺りを見渡すと、人がどんどん集まって来ていた。
「……行こう」
ルカが私に言った。
それから繋いだ手を引いて彼が歩き出す。
「……っ! 放て!」
部下の男性が、他の兵士たちに指示を出す。
たまらずに私は叫んだ。
「待って! 何もしないで!」
呪いの魔女である私が喋ったから、兵士たちがビクリとして固まった。
「ルカを傷つけたら、私の特別な魔法をかけます」
私は兵士たちをキッと睨むように見た。
精一杯の威圧だ。
「…………」
兵士たちは息を呑んで、弓を下ろした。
ルカと私はお互いを見つめて頷き合うと、繋いだ手をギュッとにぎりしめて再び走りだした。
ーーーーーー
この城には、敷地と外を繋ぐ場所は1つしかない。
その唯一の出口である立派な門が、遠くに見えてきた。
私たちはそこを目指して黙々と走る。
お互いの荒い息遣いだけが背後の暗闇に溶けていった。
今頃、祝賀会に参加しているイルミナート様の耳に、私が逃げ出したことが届いているかもしれない。
だから、早く。
ここから逃げ出さなきゃ。
「……っ門の外には、馬車を手配してあるっ!」
息を切らしながら、ルカが説明してくれた。
「それに乗ってっ……国を出よう!」
「ルカっ、私のために……ありがとうっ」
私も息つぎの合間に喋る。
地面を蹴る足音が2人分、仲良く鳴り響く。
嬉しかった。
幸せだった。
本当はずっとずっと会いたかったルカ。
私も彼を想い続けていた。
これからは、愛するルカと一緒にいられる。
そんな未来を思い描くだけで涙があふれた。
けれど……
なぜか門のところには見知った人がいた。
月明かりに照らされ、浮かび上がる人影は……国王様のものだった。
「!! イルミナート様……」
彼に気付いた私たちは、立ち止まった。
私とルカを待っていたかのように、イルミナート様がこちらを見て麗しい笑みを浮かべた。
そしてゆらりと動き、腰に刺した剣を鞘から引き抜く。
ゆっくりとこちらに歩いてくる姿に、震えるほどの恐怖を感じた。
「……誰かがクロエを連れ去ろうとしている、と報告を受けて泳がせていたのだが……お前か」
余裕の笑みを浮かべて、イルミナート様がルカに剣を向ける。
「下がってて」
ルカがイルミナート様を見据えたまま私に言った。
そして私から離れて剣を構える。
「ルカ! 戦わないで!」
私はフルフルと顔を振った。
瞳にたまっていた涙が飛び散る。
イルミナート様の残忍さを知っていた私は、ルカに戦って欲しくなかった。
そんな私を見たイルミナート様が、目を丸めて呟く。
「……別人みたいだな」
それにルカが答えた。
「当たり前です。クロエは国王の前では死んだ人形のようでしたから」
「…………」
イルミナート様がルカを睨み、ピリピリした空気が流れる。
国王様が剣を握り直したのを見て私は叫んだ。
「イルミナート様、やめて下さい! いくら貴方でも、私の特別な魔法を……かけますよ!」
するとイルミナート様がフッと苦笑した。
「そう言いながら、クロエがなかなか呪いをかけられないのは知ってるさ」
イルミナート様が悲しげな視線を私に投げかけた。
初めて見るその表情に、なぜか胸が痛む。
けれど次の瞬間、いつものようにニヤリと笑いながらイルミナート様が剣を振り上げた。
そしてあろうことか、ルカではなく私に向かってきた。
月明かりに照らされて、キラリと光る剣先。
それが私の頭上に振り下ろされる。
私はその光をただ眺めていることしか出来なかった。
「クロエ!!」
スローモーションのような光景の中、驚いたルカが私に手を伸ばしたのを、視界の端で捉えていた。
ーーーーーー
気がつくと、暖かいルカの胸の中にいた。
彼の肩越しに見えるイルミナート様の剣には、ベッタリと血がついている。
私と目が合ったイルミナート様が嬉しそうに笑った。
嫌な予感がする中、私は愛しい人を呼ぶ。
「…………ルカ?」
彼の背中に手を回して抱きしめ返した。
ぐっしょりと濡れる感覚を、手のひらがひろう。
「…………」
「ルカ!?」
力が抜けてしまったルカが、ドサリと地面に倒れた。
私は慌てて覆い被さるように、横向きに倒れた彼にしがみつく。
そんな私たちに、イルミナート様から非情な言葉がかけられた。
「離れろ、クロエ。とどめを刺す」
淡々と作業のように言う彼からは、体の芯が冷えてしまいそうな狂気を感じた。
……イルミナート様は、ルカが私を庇うと分かってて、わざと私を襲ったんだ。
…………
私を守ったルカの背中には、ざっくりと斬られたあとがあった。
真っ赤な暖かい血が止まることなく流れている。
「……っクロエ……」
痛みに顔を歪めたルカが、必死に私を呼んだ。
私はしがみついていた体を起こし、震えながらルカを見た。
彼の口元から血が伝う。
「ごめん……一緒に……逃げたかったのに……」
「ルカ……」
ルカが私に優しく笑いかけた。
それからゆっくりと目を閉じて、苦しそうな深い息をはく。
ルカが……死んじゃう?
せっかくまた会えたのに??
私は血で染まった自分の手のひらを、呆然と見つめた。
そんな私の腕を引っ張る人がいた。
「クロエ、こっちに来い。こいつは放っておいても、じきに死ぬ」
イルミナート様が冷たく言い放つ。
私が見上げると、口の端を上げてニヤリと美しく笑った。
「これで君の身も心も私のものだ」
イルミナート様のその言葉に……
私は気付いた。
これも、わざと……
私の目の前でルカを殺して、諦めさせようとした?
私の中に黒い感情がふつふつと湧き上がる。
私が呪いの魔女だから?
この魔法が怖くて、イルミナート様も怖くて……何も出来ないから?
私が悪いから??
だから……
ルカを失ってしまうの??
私はイルミナート様が掴んでいる腕を振り払った。
「クロエ!?」
初めて反抗した私に、イルミナート様が驚いた目を向ける。
そんな彼を泣きながら必死に睨みつけた。
「消えてしまえ! ルカと私以外、何もかも、消えてしまえ!!!!」
ーー私は、呪いの魔法をかけた。
ーーーーーー
フッと空気が変わった。
お城も、立派な門も、庭園の木々も……イルミナート様も……
何もかも無くなった。
どこまでも本当に何もない世界が、目の前に広がっていた。
砂漠のような不毛な大地が、月明かりに照らされている。
静寂の中、私とルカだけが確かに存在していた。
「…………」
鼓動が弱くなっていくルカに私はしがみついた。
涙が後から後からあふれてくる。
大勢の人を消してしまったのが悲しいわけじゃない。
この世で1人だけの、愛しい人を失うのが……
ーー私は呪いの魔女。
負の言葉を魔法にすることが出来る。
ただそれだけで、こんな時はどうしようもなく無力だ。
私は泣きながら、私らしい愛の言葉を贈った。
「私を独りぼっちにするルカなんて大嫌い。私が死ぬまでそばにいて……」
**===========**
一夜にして大国を滅ぼした『呪いの魔女クロエ』
その凄まじい威力の呪いに、彼女のことを伝え聞いた後の人々は震え上がった。
けれどこの出来事を境に、彼女の姿を見た者は誰もいなかった。