9 過去
翌朝、目が覚めるとリビングへ。
飲みかけのジュースや自分が脱がせたTシャツ…昨日の夜に優奈がここにいた痕跡が色々残っている。
昨日初めて体を重ねたソファに少し座ると、昨日の事は夢だったのではないかという想いがこみ上げてきてすぐに学校へ行く準備を始めた。
着替えて歯を磨いてカバンを担ぎ玄関を出る。そして階段下にふと目を向けると…
「おはよー」
「あれ…お、おはよ…何やってんの?」
「一緒に学校行こうと思って」
「俺歩きだぞ?」
「知ってるよ?だからこの時間に来たんじゃん」
「素人にいきなりこの距離はツラいぞー」
冗談を言いながら階段下で合流すると2人並んで歩き始めた。
「ホントはね…昨日の事が夢だったんじゃないかって不安になって…それで来たんだ」
「俺も同じこと考えてた」
「え?…ホントに?!」
嬉しそうな表情の優奈。そしてふと気になり
「昨日、寝れたか?」
「寝れなかった…幸せ過ぎて」
「歩くのは大丈夫?」
昨日の初体験の後の体を気遣うが、逆にそのことを話題にしてしまうと優奈が照れ始め
「もぉ…またニヤけちゃうじゃん。ちょっとまだ違和感はあるけど勝也と一緒にいるみたいで幸せだよ」
「そ…そっか」
その後しばらくは昨日のことを思い出して照れてしまい会話もなく歩く。
しばらくすると思い出したように
「あ!あのね…昨日言いそびれちゃったんだけど、涼ちゃんの店でバイトさせてもらえる事になったの。相談もせずに勝手に決めちゃってごめんなさい」
「へーそうなんだ?…っていうかそれは思いつかなかったな。全然知らないトコ行くよりいいじゃん」
「うん。涼ちゃんの店ってさ、あたしも何回も行ったことあるトコだったの。すっごい可愛くておしゃれで…あんなトコでバイト出来るのってウソみたい」
「じゃ今度からあの香水買う時は涼ちゃんじゃなくて優奈に言えばいいんだ。こりゃ楽チンだ」
今日も普通に名前で呼ばれたことが嬉しかった。
「ちゃんとバイトするから、初めてバイト代貰ったらカレーだよね?」
「あぁ、楽しみにしとくよ。ところで涼ちゃんの店ってドコにあんの?」
「え、知らなかったの?バーバリー買いに行ってたんでしょ?」
「いつも無くなる前に頼んどいて次会う時に持って来てもらってたから…」
「そうなんだ…まぁ確かにあんな人の多い店にブランカのKATSUYAが来たら大騒ぎになるもんね。○○駅降りたとこ、すぐ目の前だよ」
「え…駅の前?…○○って居酒屋あるトコ?」
「そうそう、ホントにその真ん前…って…え?…」
「俺のバイト先だよ」
「あそこの○○だったんだ!…やったぁ!ねぇ、時間合わせたら一緒に帰れる?」
「あぁ、そうだな」
「信じらんない…何もかもウマくいきすぎて怖い!」
そんな楽しい会話をしながら学校へ向かっていたが、やはり昨日の影響か優奈の足取りが少しだけ重くなってきた。
「ほら見ろ、やっぱ歩くのツラいんだろ」
「…そ、そんな事ないもん…」
「意地張るなバカ」
そういうとスッと優奈のカバンを取り上げて持つ。
「ちょ…いいよ、自分で持てるよ!」
「歩きにくいのは俺のせいだからな」
「…ありがと」
結局2時間以上かかってようやく学校に着いた。
教室に入る寸前に優奈にカバンを渡すと
「今日はあんまり動かないで大人しくしとけよ」
「…わかった」
教室に入るとそのままそれぞれの席へ向かう。
いつもよりも少し遅くなったせいもあり、みさ達は先に着いていて
「あ、勝也おはよー」
「おうおはよ。土曜日はありがとな」
「きゃーっ!」
もうファンのようになっていた。
そして優奈が到着したのをみると、迎えに行くように周りに群がり席まで連行されて
「ちょっと!朝も一緒に来るようになってんじゃん!」
「あ…う、うん…」
「あれからどうだったの?楽しかった?」
「うん、すっごく楽しかった。ごめんね、気使ってくれて…」
「ホントだよ!次は絶対ウチらも行くからね」
「もうあれから千夏がフテくされちゃって…オールでカラオケだよ全く」
「あはは♪でもみんな次は友達も連れてこいって言ってくれてたから今度は行こうね」
「ホント?ホントにみんなが言ってくれてたの?うっれしー!」
土曜日の事で話は盛り上がっていた。
「そういえば昨日もいっぱいLINEしたのに…どっか行ってたの?」
「あ、ごめんね。昨日は勝也とちょっと…」
「はぁ?…何?ひょっとしてあれからずっと一緒にいたの?」
「い、家にはちゃんと一回帰ったよ!それで昨日また会ってくれたから…」
一度家に帰ったのが朝だったことは内緒にしておいた。
「へぇ~すっごい進歩じゃん!この間までのこの世の終わりみたいな顔の優奈はドコ行ったんだろうね」
「言わないでよその事はぁ…」
「ねぇ、もうこのままの勢いで告っちゃえば?可能性高いと思うんだけど」
その言葉に一瞬優奈が固まる。
「え…あ、うん…えっと…その事…なんだけど…」
あまりにもうろたえる優奈を見て3人はすぐ気づいた。
「ええええぇぇぇぇっっ!!!!」
「ちょっと!声が大きいって!」
チラッと勝也の方を見る。どうやらもう寝ていて気付いていないようだ。
そしてみんなが顔を寄せて小声になり
「ウソでしょぉ?!いつの間にぃ?!」
「何よー!いつ?昨日?!」
「信じらんない!」
「…えへ♪」
「えへ♪じゃねぇよっ!」
そこから集中攻撃を受けた優奈。
昨日のJunの家でのバーベキューの事は友達を連れて行くわけにはいかないため伏せておいた。そしてHRのチャイムが鳴るとそれぞれが自分の席に戻る前に
「良かったね優奈。あんなに頑張ったんだもんね」
「うん…ありがと」
友達に祝福されるとまた幸せな実感がわいてきた。
学校ではほとんど接することが無い勝也と優奈。
そしていつもと同じ一日が過ぎて最後の授業が終わる。
いつも一番といっていいほど真っ先に黙って教室を出る勝也に、どうすればいいのか分からず様子をうかがっていると
「優奈ぁ、帰るぞー」
「あ、はーい!…じゃごめんね?また明日!」
集まっていた3人に笑顔でそう伝えると勝也の後を追っていった。
「ねぇ…今「優奈」って呼んだよね」
「なんなの!あの幸せ満開女ぁ」
「いーんだよあの子は…やっと気持ちが届いたんだから」
2人で校舎を出て学校を出る。
周りから見ても親密感が今までと全然違っていた。
勝也の態度はさほど変わらないものの笑顔も見せるようになり、優奈は常に笑顔で時折勝也の腕にしがみつくようにじゃれたり服の袖をつまんで歩いてみたりと勝也に触れることが多くなっていた。
「あ、今日のバイトどこ?」
「居酒屋」
「やった!今日このまま涼ちゃんのお店に面接…じゃないな、話しに行くの。そこまで一緒に行ける」
「あ、そうなんだ。今日から働くの?」
「…わかんない、とりあえずお店においでって言われただけだから」
自分達の自覚が現れているのか、もう完全に誰が見てもちゃんと付き合っているカップルだ。
そしていつも別れる曲がり角で同じ方向に曲がると一緒に電車に乗って○○駅に着いた。
「じゃあな」
「…待ってちゃダメ?」
「ダメに決まってんだろ。何時間待つつもりだよ」
「お店とかいっぱいあるし時間潰せるもん」
「ダメ。お前がナンパとかされたらヤだ」
「そんなのついていかないに決まってるじゃん!」
「声かけられる事自体ヤなんだよ」
「あ…はい」
「帰ったら電話するから家で待ってろ」
「…うん、わかった」
駅前で勝也と別れると涼子のalesisに向かう。
客としては何度も入った店だが違う緊張感を持ちながら店内に入ると
「すいません、オーナーの…えっと…涼子さんおられますか?」
よく考えると涼子の苗字も聞いていなかった。
「オーナーですか?少々お待ちください」
そういって中に入っていく店員。しばらくすると
「お、来たね。とりあえずちょっとおいで」
レジの奥のスタッフルームに連れていかれた。
そこにはさっき応対してくれた店員さんもいて
「よっちゃん。今日からこの子バイトとしてくる事になったからよろしくね」
紹介はそれだけだった。そして
「いつ入れるの?希望の曜日言っといたらよっちゃんがシフト組んでくれるから。勝也の休みにも合わせたいでしょ?」
「いえ、ちゃんと他の方と同じように扱ってください。」
「あらら…しっかりした子ですね、涼子さん」
「でしょ?よく言ったね優奈。よっちゃん、あたしが連れてきたっていう事は今すぐ忘れて。新しいバイトの子です。名前は安東 優奈。高校生だから時間帯は学校にあわせてあげて?以上」
「はーい」
面接はそれだけで合格だった。
その後はよっちゃんに店員としてやるべき事を色々教わり、今後のシフトはよっちゃんが決定してから連絡が来ることになった。
「優奈ー、今日この後は?」
「え、帰りますけど…」
「ちょっとお茶しに行こっか」
「あ、はい」
店はよっちゃんやバイトの子に任せて二人でカフェに向かう。
近くのお洒落な店に入ると涼子は馴染みの客らしく、店員と親しそうに話した後通り側の窓際に案内された。
「はい、今からオーナーじゃなくて涼ちゃんね」
「なんか切り替えむずかしー」
涼子と二人っきりで話すのは初めてだ。
昨日の楽しかったバーベキューやおとといのライブ、メンバーの過去の失敗談などを聞いていると笑いが止まらなかった。
結構な時間話した後、ついに昨日勝也の彼女になれたことを告白した。
笑顔で喜んでくれるものとばかり思っていた優奈だったが、それを聞いた涼子の顔は必死に涙を堪えていた。
「え…涼ちゃん?」
「あ…ごめんごめん(笑)…でも良かったね…ホントに良かった」
最後にはついに一筋涙をこぼした。
その涙を見て何も言えなくなりしばらく無言の状態が続く。そして
「涼ちゃん…昨日Syouさんが言ってた、前に勝也がヒドい目にあったって…何があったの?」
その言葉を聞いてしばらく考えた後
「知らない方が幸せな事だってあるんだよ」
「あたしは勝也の事なら何でも知りたい。それが聞いて後悔するような内容でも」
その強い視線を見てため息をつき、少しの沈黙の後
「…勝也がまだブランカに入って間もない頃、勝也につきまとい始めた子がいたの。ウチらのちょっと下…勝也にとっては年上のね。いつもライブに来ては「勝也♪勝也♪」って。最初は勝也も戸惑ってたけど…アイツは心を許した人にはあんな風に人が変わるでしょ?いつの間にか勝也もその子を意識するようになって…付き合うとまでは行かなかったけど、ウチらも時間の問題だなって思ってた。
…ある日にね、ライブ当日に勝也がバイクとぶつかって救急車で病院に運ばれた事があったの。リハを中断してみんな病院に行った。軽い脳震盪だけだったけど様子を見るために一晩だけ入院って事になって、みんなはライブをキャンセルすることにしたんだけど…勝也が凄く怒ってね。見に来てくれる人がいるんだからライブはヤメちゃダメだって。アイツ無理矢理退院しようとしたんだけどみんなで止めて…。前のベースが抜けた後、何人かの人にスタジオの時だけヘルプで弾いてもらった事があって、片っ端から電話かけてようやく一人弾いてくれるって人が見つかったの。それでようやく勝也は納得したんだけど…当然ライブはガタガタ。平蔵もJunも間違えまくるしBanもリズム合わないし、Syouなんて何度も歌詞間違えて…。勝也がどれだけ演奏の要になってたかよくわかった。
…そのライブにね?その子が友達連れて見に来たんだ。みんなびっくりして「勝也が入院したの聞いてないのか?」って。そしたら「せっかく勝也に会わせてあげるって友達連れて来たのにこんな日に何してくれてるんだ」みたいな事言ったの。「自分の面目が丸つぶれだ」って。ステージに本人がいないんじゃ友達連れて来た意味が無いって怒り出してね…。
結局その子は「ブランカのKATSUYA」にしか興味が無かったんだ…。
ウチのヤツらも怒り狂ってね…みぃなんて殴りかかろうとまでした。もちろんあたしもブチギレちゃったけど。…それからだよ、勝也が女を信用しなくなったのは」
話を聞いていた優奈は体を震わせながらポロポロと涙を流していた。
「…ヒドい……どうしてそんな事……」
「あいつ未だに携帯持ってないでしょ」
「うん…そんなトコまでお金かける余裕無いって…」
「ホントは持ってたんだよ…持たされてたの方が正解かな。その子がいつでも勝也を呼び出せるように無理矢理渡されて。友達と居る時に「ブランカのKATSUYA」に会わせてあげるって言いまくって、いいように利用されてた。結局二人っきりで会った事は一度も無かったみたいだけどね」
ショックだった。
まさかそんな事があったとは夢にも思わなかった。あれほど優奈に対して警戒していた理由が今ならわかる。例えようのない怒りと悲しみが頭の中に渦巻いていた。
「だから昨日の優奈の返事はホントにみんな嬉しかったんだ。アンタ達が帰った後みぃは泣いちゃうし…Syouなんて夜遅くまで何度も何度もずっと同じ事言ってた。『なんで優奈はもっと早く現れなかったんだ!』って」
声を殺しながら優奈は号泣していた。
どれだけツラかっただろう…。想像もつかないほど打ちのめされただろう…。
そして優奈を受け入れるのがどれだけ怖かったのだろう…。
「…勝也に逢いたい…」
それだけ言うのが精一杯だった。
それからしばらく涼子と話しカフェを出た。
涼子と別れて駅へ向かう途中勝也のバイトしている居酒屋の前で足を止めた。
今この中に自分がどうしても逢いたい人がいる。けど待っているわけにはいかない。
渋々足を進めて駅に入った。
バイトが終わって電車に乗る勝也。今日は平日という事もあって客足も少なかったため、いつもよりかなり早く上がる事になった。
(アイツこんな時間に電話したらびっくりするだろうな)
自分の過去を優奈が知ってしまった事など知らないまま、電車を降りて歩く。
そしてアパートの階段を上がっていくと、自分の部屋の前にしゃがみこんでいる人影に気づいた。
「ん……優奈?」
その声に気づいて顔を上げた人影が立ち上がったと同時に駆け寄って抱き着いてきた。
「な、なんだなんだ!…っていうかお前なんで待ってんだよ!」
「お願い…ちょっとだけこうさせて…」
そういうと泣きだした。ただ事ではないような雰囲気に言い返すこともできず、大泣きしている優奈をしばらく抱きしめた。
しばらくしてようやく落ち着き始めた優奈に
「近所迷惑だからとりあえず入れ」
鍵を開けて中に連れて入り、そのままリビングへ行くも優奈は座ろうとしない。
「何かあったのか?」
「…ううん…逢いたかっただけ…」
「それだけであんなに泣くか?」
「それぐらい逢いたかったんだもん…」
まだ制服のままの優奈。バイト先の前で別れてからまだ家には帰っていないことがわかる。
「何時だと思ってんだ。家には連絡したのか?」
「…してない…」
「遊んでたのかよ」
「そんなんじゃない…」
「ずっとここにいたのか?」
「…うん…」
「言ったよな。家で待ってろって」
「…ごめんなさい。」
視線を落としたまま何を言っても一言の返事だけしかしない優奈。
「送ってくからとにかく今日は帰れ」
その言葉には答えない。
ため息をつきながら立ち上がり、優奈の手を取って玄関に向かおうとするとその手にグッと力を入れて足を踏ん張り動こうとしない。
「ねぇ、一緒にいたい…。ずっと…ずっと一緒にいたい!」
「どうしたんだよ」
「あたしは…あたしは絶対に勝也から離れないから!勝也が言う事なら何だってする!何があっても絶対裏切らない!だから…だからずっと一緒にいたい!」
しばらく黙ったあと、何かを察知したように
「涼ちゃんに聞いたのか」
「………」
「余計な事しやがって…」
すると両手で優奈の顔をはさみ、グイッと自分の方を向かせて
「過去の話なんてどうでもいいんだよ!俺は自分の意志でお前を選んだんだ!お前に押し切られたんじゃない。こいつとなら一緒に生きていけるって…こいつじゃなきゃダメだって思ったから一歩踏み出したんだ。自信持ってろよ!俺の頭ン中にはお前しかいねぇんだから堂々と俺の横にいりゃあいいんだよ!」
「…ふ…ふえええぇぇぇぇん…」
また泣き出した優奈。痛いほどにしがみつき胸に顔をうずめて号泣し始めた。
しばらく泣き止むのを待ってから
「俺の彼女になったんだろ?だったらいつも笑ってろよ」
黙って頷く優奈。その唇に軽くキスすると
「…それだけ?」
「今日はもう遅いからまた今度な」
「ヤだ…」
「じゃ、次のバイト休みン時…」
「…いつ?」
「えっと…来週…かな」
「そんな先じゃヤダ!」
「無茶言うなってば…」
それから優奈をなだめて家に帰らせるのにはかなりの時間を要したのだった。