8 告白
かなり長めです。
鍵をガチャッと開けると先に入っていく勝也。
優奈が緊張からなかなか玄関に入れなくて立ち止まっていると
「何やってんの、入れよ」
「あ…うん…お、お邪魔します…」
恐る恐る入り、靴を脱いでキチンと揃えて入っていく。
「わぁ~勝也の匂い」
「なんか臭い?」
「そうじゃなくて勝也の匂いって好きなの。何かつけてんの?」
「バーバリーだよ。どっかその辺適当に座ってな」
男の一人暮らしとはいえ本当に必要最低限の物しか無いといった部屋。
テーブルとテレビ、そして二人ぐらい座れるような床置きのソファだけがあり床にはベース雑誌やCDなどが散らばっている。
どこに座ればいいのかわからず、とりあえず床にチョコンと正座してみる優奈。
すると玄関脇にあったもう一つの部屋から勝也が着替えを済ませて出てきた。
「お前そのカッコでいいの?なんか服着るか?」
「…え?あ、いいよ!そんな…」
みんなで張り切って買った新品の服。本当はシワにしたくなかったが、さすがに服まで借りるのは申し訳なく断った。
「そんな硬いトコじゃなくてそっちのソファに座ればいいじゃん」
「だって、勝也も床に座ってる…」
「一応お前はお客さんだろ」
「その言い方ヤだ」
「あー、もう!メンドくせぇな!」
そういうと立ち上がってドカッとソファに座り
「ほら、ここ!」
隣をアゴで差す。すると素直に
「えへ…じゃそっち行く」
勝也の隣に並んでストンと座った。
打ち上げで少しだけお酒を飲んだからか夜中だからか、いつもより大胆に行動する優奈。
テレビを2人で見ながら
「朝までだいぶあるから眠くなったら寝ろよ」
「…ヤだ」
ソファの上で体育座りのように両膝を抱えている優奈。
しばらく無言でテレビを見ていたが
「ねぇ…聞いてもいい?」
「何を」
「色々…勝也の事」
「俺の事?いいけどあんま変な事聞くなよ」
「変な事かどうかはわかんないけど」
それから優奈は今まで気になっていた事や聞きたかった事を質問し始めた。
「なんで一人で住んでるの?」
「ブランカやるには俺の地元からだと遠すぎるから」
「地元って?やっぱりこの辺の人じゃなかったんだ」
「○○市だよ」
「ご両親…は?」
「いるよ、地元で小さな居酒屋やってる」
「…良かったぁ」
「独りぼっちだと思ったか?このアパート、俺の叔母さんが大家なんだ。だから実際の家賃よりも安く貸してくれてる。俺の親もここに住むならいいって条件で家出る事許してくれたから」
「そっかぁ、そこまでしてでもブランカやりたかったんだね」
「あぁ」
「あ!勝也ってさ、学校行くとき朝何時に家出てるの?」
「ん~っと…6時…ぐらいかなぁ」
「そんなに早く!?なんで?」
「だって2時間近くかかるもん、歩きだし」
「…え?!…歩いて行ってるの?!…あの距離を?」
「そうだよ?運動にもなるし金もかからねぇし」
「信じらんない…普通歩く距離じゃないよ」
「俺には歩ける距離だ」
「だから待ってても会えなかったんだ…」
もうテレビはただのBGMになっている。
「んじゃ俺も聞いていいか?」
「変な事聞かないでね」
「変かどうかはわかんないけど…お前、なんで俺なんかに声かけてきたの?」
「…え?」
「もっとカッコいいヤツとか優しいヤツとかいっぱいいるだろ」
「なんで?…いないよ、そんな人」
「わざわざあんな暗いキャラの俺みたいなのに声かけてこなくても」
「迷惑だった?」
「迷惑じゃないけど…あ、最初は迷惑だったかな(笑)」
「ヒドーい!(笑)」
笑い合いながらいつしか2人の腕と腕は自然にくっついていた。
「なんかね…最初はいつも寝てばっかりいるなぁって思ってただけだったの。でもそれから、なんであんなに眠いのかなぁって思って…遅くまでバイトとかしてるのかなぁって。それでだんだん目で追うようになっちゃったの。そしたらゴミ箱の近くに落ちてるゴミとかわざわざ拾って入れたり、人が落としたものスッと拾って黙って戻してあげたり…そういう事が自然にできる人なんだなぁって思って…」
話していると勝也の頭が優奈の肩にトンと乗ってきた。
「…え?」
ドキッとして横を見ると小さな寝息を立て始めている。
「…うっそぉ…寝てるし…」
ドキドキしながら話していたのが急に照れ臭くなった。
だが初めてこんなに近くで顔を見つめ
「どんなにカッコいい人よりもあたしには勝也が一番輝いて見えたんだもん…」
ゆっくりと勝也の頭を持ち上げてそのまま体を寝かせ自分の太ももに頭を乗せる。
膝枕をしながら優しく髪をなでているとなぜか涙が溢れてきた。
勝也の手に初めて触れてみると弦を押さえる左手の指先は皮膚が固まり分厚くなっている。
親元を離れてここに住み、必死に働いて生活をしながらたった一人で生きている。
誰よりも自分には輝いて見えるこの男が好きで好きでたまらなかった。
「声をかけたのは…勝也のことが好きだからだよ」
寝ている勝也に小さな声で生まれて初めて自分からの告白をすると、起こさないようにそーっと顔を近づけて頬にキスをした。
翌朝、顔に当たるかすかな風のようなモノに気づいて勝也が目を覚ますと太ももに乗せた自分の頭を抱きしめるようにして寝息を立てている優奈の顔のドアップがそこにあった。一瞬驚いたものの、その子供のような寝顔にクスッと笑いしばらく眺める。
「おーい、もう朝だぞ」
小さめの声をかけると少し間をおいて優奈が目を開けた。
「わっ!…ご、ごめん!寝ちゃった…」
パッと離れようとする優奈の首に腕を回すと、超至近距離のまま
「…おはよ」
驚いた表情をしたものの、その優しい声にフッと笑顔を浮かべ
「…うん…おはよ」
そのまま無言でしばらく見つめ合う。
鼻先が触れ合うかという距離のままで見つめ合っているとそのまま優奈がゆっくり唇を重ねてきた。唇が触れ合っているだけの軽いキスだがお互い離れようとはせず、その温もりを感じていた。
結構な時間に感じた初めてのキスからゆっくりと離れると、お互い照れ笑いを浮かべて体を起こす。
「とりあえず家に帰んなきゃな」
「えー…ヤだ…」
「ったく…お前今日なんか予定あんの?」
「なんにもないけど…」
「Junクンのとこ一緒に来るか?」
「いいの?!行くー!」
「一回家に帰ってからだったら連れてってやる」
「今すぐ帰る!」
スッと立ち上がるとカバンを持って、
「あ…ねぇ、外じゃなくてこの部屋に帰ってきていい?」
「別にいいけど…なんで?」
「いいから。じゃあ用意してすぐ来るね」
「そんなにすぐじゃなくていいぞ。まだJunクンも起きてないだろうしみんな集まるのって昼過ぎてからだから」
「ここでお昼まで待ってちゃダメ?」
「別に好きにすればいいけど…」
急いで玄関に向かうがふと振り返って
「ねぇ、勝也って女の子のどんなカッコが好き?」
「どんなって…別に大してないかな」
「…ぶぅ…じゃあ女の子のどの部分が好き?」
「どの部分って…あ、俺脚好きかも」
「わかった!じゃあ後でまた来るね!」
玄関を出ると急いで階段を降りて小走りで家に向かう。
早くあの部屋に戻りたかったのと、もう一つの理由はキスしてしまったことでドキドキが治まらなかったからだ。
優奈にとってのファーストキス。その相手が勝也だった事が嬉しくてたまらなかった。
アッという間に家に着くと玄関を開けてもらい両親に「ただいま!」だけ伝えるとそのまま脱衣場へ。パパッと服を全部脱いで浴室へ入りシャワーを浴び始める。
頭からシャワーを浴びながら大きな鏡に映った自分の顔を見ると、唇にばかり視線が行ってしまう。
「キスしちゃった…エヘヘ」
一人で照れ笑いを浮かべながら化粧を落とし体を洗ってすぐに出る。
バスタオルだけ巻いた状態で今度は自分の部屋へ駆けあがると、タンスやクローゼットを全部開けて
「…脚……脚……ミニかショーパンか…どっちがいいかなぁ」
1階では家族や犬や猫があっけにとられていたがそんな事はお構いなしにバスタオル一枚のカッコで家中をドタバタ駆け回る。
そのころ勝也もシャワーを浴びていた。
勝也にとってもファーストキスで、想像以上の優奈の唇の柔らかさを思い出していた。
シャワーから出て部屋着に着替え、テレビをつけるとさっきまで優奈と一緒に座っていたソファに一人で座る。
優奈の膝枕で朝を迎え、そしてここでキスをした。もうすでに優奈の存在がどんどん大きくなってきている事を改めて自覚するも、あれほどの美貌を持つ校内校外問わず超人気の優奈を自分なんかが振り回してもよいものか…。その葛藤と戦っていた。
そしていつの間にかまたウトウトとし始める。
ファッションショーのように服を着てみては脱ぎ…を何度も繰り返している優奈。
脱ぎ捨てた服がベッドに山積みになっていく中でもう訳が分からなくなり母と姉まで部屋に呼びつけ、下着だけの姿で普段は着ることのない『脚を見せる服装』に悩みながら
「もうこれでいいんじゃないの?」
「それだと脚があんまり見えないじゃん!」
「じゃあこっちは?」
「それだとまた上を変えなきゃいけなくなる!」
「もう…なんなの?いつもこんなに悩む事ないくせに」
「今日は特別なの!」
「へぇ~、特別な人に会うって事?」
「そう!すっごくすっごく特別な人!」
優奈の口から初めて聞いた『特別な人』。
これほどまでに外見を気にするという事は確実に相手は男だと分かる。元々気さくで優奈も色々相談しやすかった母も
「ふーん、一回ぐらい連れて来なさいよ」
「そんな簡単に来てもらえるような人じゃないよ」
「ついに優奈に彼氏が出来んの?信じらんない…」
「あたしなんか彼女にしてもらえないって。あー!もうこんな時間…」
ドタバタの大慌てでようやく服装が決まると大急ぎで家を飛び出していく。
「行ってきまーす!」
「ちょっと優奈!今日ご飯は?」
「あ…まだわかんないから電話するっ!」
そう言い残しあっという間に走っていった。
驚くほど近かった勝也のアパート。
その前まで辿り着くとピタッと立ち止まり息を整えて気持ちを落ち着かせる。
そしてゆっくり階段を上がるとインターホンを押した。
『ピンポーン♪』
返事がない。
もう一度押してみるもやはり反応は無い。まさか連れて行ってくれると言うのは自分を帰らせるためのウソで、もうすでに出かけてしまったのだろうか…。
ドキドキしながらドアノブをひねってみると、あっさりドアは開いた。
「あ、良かったぁ…っていうかカギ開けっぱなしじゃん」
そーっと玄関に入ると
「…勝也~…来たよー?」
だがまたしても返事はない。
テレビの音が聞こえるからいるのは間違いないが…靴を脱いで入ってみる。すると2人で寝たソファでまたスヤスヤ眠っていた勝也。
「やっぱり…家でもいつも寝てる」
音を立てないように入っていくとゆっくりその隣に腰を下ろす。そしてジーッと寝顔を眺めていたら突然寝返りを打った勝也がそのまま朝のように太ももの上に頭を乗せてきた。
「わっ……そりゃ昨日ライブで疲れたもんね。もうちょっと寝かせてあげる」
また髪を優しくなでながら寝顔を見つめていたが…ふと今朝のキスを思い出す。この体勢から発展した出来事だっただけに鮮明に思い出し顔が熱くなっていくのが分かった。
しばらくして、今まで優奈に背中を向けるような方向で寝ていた勝也がまた寝返りを打って今度は上を向いた。優奈の方を向いた寝顔をジーッと見つめていると
「あ、こんなトコにホクロある」
色々観察し始める。
そういえば勝也の写メを一枚も持っていないことに気づきスマホを取り出すとパシャパシャと撮り始めた。天井にかざすような角度から自分と一緒に収まるように撮ってみたりしながら…
「…やっぱり起きてる時に一緒に撮りたいなぁ」
と、少し寂しい気分になってヤメた。
確かみんなが集まるのはお昼過ぎだと言っていたのを思い出す。時計を見ればまだ10時にもなっていなかったため、ついていたテレビを見ながら勝也の顔を交互に見たりしてのんびり過ごしていた。するといつの間にか優奈までウトウトし始める。
しばらくして優奈がハッと目を開けると、すでに自分の脚の上に勝也の顔は無かった。
「…あれ…勝也ー?」
声を掛けても返事はない。
トイレでも行っているのかと思い立ち上がって探してみるもトイレにもいない。
まだ優奈が開けた事のないドアは風呂と、入り口横にある寝室だけ。
コンコンとノックしてみても返事はないが、中から音は聞こえる。
恐る恐るゆっくりとそのドアを開けてみると…
「う…うわぁ…」
その部屋でヘッドホンをつけた勝也が練習用と思われるベースを弾いていた。
だが驚きだったのはその指の動き…弦を押さえる4本の指は目で追いかけるのも大変なほどの速さで動いており、それをいとも簡単に弾いているかのような表情で…。
目を奪われるとはまさにこの事だった。
そしてその指がピタッと止まったかと思えば
「おう、起きたか」
勝也がこちらを向いていた。
「あ…うん…ごめん、呼んだんだけど返事なかったから勝手に入っちゃった」
「いつのまにか寝ちゃってたんだ、ごめんごめん」
そういうとスタンドにベースを置いて立ち上がってくる。
「もう弾かないの?」
「だってお前起きたから」
「もうちょっと見てたいなぁ」
「また今度な」
優奈の頭をポンポンとしてリビングへ戻る。
「そろそろ行こっか」
「もう行くの?」
「もうって…もう昼過ぎだぞ」
「えーーっ!!」
結構な時間寝てしまっていたのに今頃気づく優奈。
「もったいなーい…せっかく早く来たのに」
「お前ヨダレ垂らして寝てたからな」
「…え?…ウソォ!」
慌てて口元を拭く優奈に
「冗談だよバーカ。騙されてやんの」
「もー!信じらんない!」
こんなやり取りが楽しくてたまらなかった。
出かける準備をする勝也に
「あ、ねぇねぇ…バーバリーだっけ、ちょっとだけつけてみたい」
「いいけど男物だぞ」
「いーの!」
「変なの。あっちの部屋のタンスの上にあるよ」
一人でさっきの寝室に入っていきタンスの上に黒いスプレーを見つける。少しだけ自分につけてみると一気に勝也と同じ匂いに包まれた。
満足気に部屋をグルッと見渡すと床に敷いたマットレスと布団、そしてさっき弾いていたベースと小さなタンスだけ。
「ここで寝てんだ」
すると向こうの部屋から
「おーい、またそこで寝んなよ?ホントにもう行くぞー」
「あ、はーい!」
廊下で落ち合うとそのまま玄関へ。
勝也が先に靴を履いて外に出るが、優奈は靴を履こうとしない。
「何やってんの?」
「…だって…今ここ出たらもう二度と来れないかもしれないもん」
「なんで?」
「来てもいい理由がないじゃん…」
すこし半泣きになる優奈。
「なんなんだよ…。わかったよ、じゃあ今日は一旦ここに一緒に帰ってきていいから」
「え!ホント?!」
「そのかわりその後ちゃんと家に帰るんだぞ」
「えー…わかった…」
ようやく納得して靴を履いた。ほぼ黒で統一した勝也の私服は優奈にとって大のお気に入りで、今日の自分の服装が果たして隣を歩くにふさわしいかどうか気になっていた。
「ね、ねぇ…あたしの服おかしくない?」
上は薄手のTシャツにパーカーを羽織り、そして下は勝也が好きだと言っていた脚を全開に見せた普段は優奈が全く履かないショーパンではあったが…
「…うん」
ハッキリとは言わなかったが勝也の好みに合っているようだ。
その言葉に気分を良くした優奈。駅に向かうまでの道で
「人が増えてきたらヤメるから腕組んじゃダメ?」
「そういうのっていちいち聞くモンか?」
「だってそういうの嫌いだったらイヤじゃん…」
そういいながらスッとヒジあたりに腕を回してきた。
もうどう見ても付き合っているカップルの姿である。色々会話を交わしながら駅に近づくとやはり人は増えてきて、優奈がスッと腕を抜くと
「いーよ、そのままでも」
「え?…うん」
もう一度腕を組むと人混みの中を駅に入っていくのだった。
Junの家は車の整備工場を経営しており、その裏に今は使っていない大きな倉庫がある。そこがブランカの機材置場になっていてアンプやたまにしか使わない機材などが置かれている。
中はソファやテーブルや冷蔵庫にカウンターまであってアメリカ映画で見るようなおしゃれな溜まり場の雰囲気だった。
工場の敷地へ優奈を連れた勝也が入っていくと
「オヤジさーん、こんちはー!」
「ん?おう勝也か。…おっ?お前やっと彼女出来たのか!」
「そんなんじゃないってば。もうみんな来てる?」
「すごく可愛いじゃないか、彼女じゃないんならここに置いてけ(笑)。平蔵とみぃがまだだったかな、あとはみんな来てるぞ」
「ほーい、お邪魔しまーす」
「あの、はじめまして!…お邪魔します!」
ペコッと頭を下げて挨拶する優奈の事をJunの父はさっそく『いい子だ』と気に入っていたようだ。
工場の前を通って奥にあるJunの自宅の横を抜けると裏の倉庫に出た。
大きな鉄の扉の横にある入口のドアを開け
「おはよー」
まず勝也が中へ入っていく。そして後から続いて優奈が
「お…おはようございます…お邪魔します…うわぁ…映画の中みたい…」
昨日はライブのテンションもあってみんな受け入れてくれたが、果たして昼間に会っても昨日と同じように受け入れてもらえるのだろうか。
ドキドキしていた優奈に向かって
「あー!優奈だー、おっはよー!」
涼子が駆け寄ってきて飛びかかるように抱きしめられた。
「わっ!…ちょ…涼ちゃん…苦し…」
するとみんなが
「おー優奈ぁ」
「おはよー」
「また昨日と雰囲気違うじゃん」
全く心配などいらなかった。
「何しに来たの?」みたいな雰囲気など無く、まだ打ち上げの続きにいるような温かい空気で迎えてくれた。
抱きついたまま離れない涼子が
「あれ…勝也と同じ匂いする」
その言葉でメンバーが驚き
「なぁにぃいい!…ま、まさかお前ら…」
完全にそういう事が昨日の夜に行われたのだと決めてかかってしまった。
「…え?…え?いや…あの…」
「なぁに言ってんだよ、コイツが俺の香水つけたいって言うからちょっとつけてみただけだよ、ったく…」
「へ~なぁるほど」
まだ信じ切ってはいないような顔だったが
「あれいい匂いでしょ」
「はい。前から勝也が通るたびにいい匂いだなーって思ってて…涼ちゃんも知ってたんですか?」
「え?言わなかったっけ、あれ涼ちゃんの店で買ってんだよ」
「…涼ちゃんの…店?」
「あはは♪そう、何を隠そうあたしはセレクトショップのオーナーなので(笑)」
「えー!オ…オーナー?経営してるって事ですか?」
「しかも3店舗だっけ」
「わはは!4店舗めがオープン間近だ、小僧」
「…すごーい…」
尊敬のまなざしで見つめる。
まだ二十歳過ぎぐらいのはずなのに4店舗も経営するオーナー、つまりは社長である。
「勝也ぁ。あと車に残ってんのはお前のベースだけだぞ」
「あぁ、ごめんごめん」
全ての機材が降ろされているが勝也のベースだけがハイエースの荷台にポツンと残されていた。不思議そうな顔で優奈が見ていると
「あぁ、あれ?勝也はね、誰にもベース触らせないの。ケースに入ってる時だったら運搬ぐらいは触ってもいいんだけど中身は絶対にね」
「へぇ~…」
「最初の頃に一回平蔵が触りかけてめっちゃ怒られてた」
自分の分身のように扱っているのが伝わってくる。
そしてそのベースを担いで戻ってくるとソファの横に立てかけ
「平蔵クンまだなんだ?俺ハラ減ったよぉ」
「んじゃとりあえず準備だけでも始めとくか」
メンバーがみんな立ち上がりなにやら準備を始める。
「なにが始まるんですか?」
「ん?ライブの翌日はよっぽどの用事が無い限りここでバーベキューだよ。ほら、優奈も手伝って」
「あ、はい。…でもホントにみんな仲いいんですね、羨ましいなぁ」
「羨ましいって何よ。もうアンタもその中の一人でしょ?打ち上げはスタッフとかもくるけどコレはホントに身内だけの集まりだから」
「え…あたしも?」
「それからもう一つ。これからあたしに敬語使ったら…こういう目に合うからね!」
いきなり脇腹をくすぐられた。
「きゃあぁぁ!!ちょ!…ちょっと!涼ちゃん!だめぇっ!」
「あたしは身内からは敬語使われたくないの。わかった?」
「わかったぁ!わかったからっ!お願いっ!」
女子二人の格闘にみんな呆れ顔で
「涼子は完全に優奈の事気に入ったみたいだな」
「…だね」
準備を進めていると平蔵とみぃがやってきた。
「ごめーん!平蔵が全然起きなくてさぁ!」
「だからそれは夕べのお前にも原因あるだろっつってんじゃん」
無言で頭をはたかれる平蔵。そして
「おー優奈!おはよー」
「おはようございます!」
「…ございます?」
「…ちょっと…みぃもあたしと同じだよ」(小声)
「あ!…え、えっと…おはよう…」
「よしよし」
そのまま平蔵とみぃも参加して準備が進んでいく途中でJunの父の大きな声が聞こえてきた。
「おーい勝也ー!こっちも今から母ちゃんと酒飲むんだ!こないだの鶏のヤツ作ってくれー!」
「いいけどこっちで一緒に飲めばいいじゃん」
「俺はお前らみたいな庶民と違って『ワイン』とやらを飲むんだ。材料買ってきたから!」
「わかったよ!んじゃちょっと行ってくるね」
「おー、いつも悪いな」
優奈を残して一人家に入っていく勝也。
ほどなくして準備は終わり後は勝也が帰ってくるのを待つだけとなったが…とりあえずみんな缶ビールを開け、優奈はジュースを貰い乾杯だけした。
一度だけ口をつけて後は勝也を待っている様子の優奈にSyouが口を開く。
「なぁ優奈…どうだ『ブランカのKATSUYA』と一緒にいて楽しいか?」
その質問に少し驚きながら
「…はい。昨日からあまりにも色々あり過ぎて頭がついていけてないです。まさかこうやってあの有名なブランカのメンバーの人と仲良くなれるなんて思ってもみなかったし、涼ちゃんやみぃちゃんもすごく仲良くしてくれるし…夢見てるみたいです」
その返事にその場にいた全員の表情が少し曇った。
だがそれに気づいていない優奈。
「そっか…」
「はい。でも…」
優奈が言葉を続けようとするとみんなが顔を見る。
「こんな事言ったら失礼かもしれないけど、あたしが一緒にいたいのは『ブランカのKATSUYA』じゃないんです。あたしは『松下 勝也』と一緒にいたいんです。昨日涼ちゃんが言ってた言葉の意味が今はよーく分かります。『ライブが始まったらただの1ファンになる』って。確かにステージの上にいるあの人はものすごくカッコいいけど…それはKATSUYAであって、その時はあたしももちろんKATSUYAのファンです。でも、あたしが追いかけてるのはブランカのKATSUYAじゃなくて松下 勝也だから…」
その言葉を聞いてみんなの顔に満面の笑みが浮かんだ。
「…うん、100点満点だ」
「やっぱりアンタはいい子だね」
「…え?」
「もしお前が『ブランカのKATSUYA』の事だけを話したら、俺たちはまだ優奈のことを信じきれなかったかもしれない。アイツはそれほどの目に合ってきたから。でも今の言葉を言えるお前なら安心だよ」
「ちゃんと面倒みてやってくれよな。あいつは俺たちの弟だから」
「そんな、面倒なんて…あたしの方が困らせてばっかりで…」
「ワガママだし頑固だしすぐ怒るしガキだし…なのにベースだけは異常なぐらいウマいしよ、ホントに世話の焼けるヤツだけどな」
「俺はもうアイツのベースじゃないと全開で叩けねぇんだよな~」
みんな本当に勝也のことが大事なのだと伝わってきた。
目に涙をいっぱい溜めてそれを聞いていた優奈に
「まぁた…アンタって勝也のことになるとすぐ泣くよねぇ」
「だってぇ…みんながそんな事言うから……ふぇぇぇぇん…」
やはりポロポロと涙をこぼし始めた優奈。
「はいはい、よしよし」
みぃに抱きしめられると声を上げて泣き始める。
こんな人たちに囲まれている勝也が愛おしくてたまらなかった。
「ほら、もうすぐワガママ坊主が戻ってくるぞ。お前が泣いてたら俺たちが怒られちゃうじゃねぇかよ。そろそろ始めるか!」
身内だけのバーベキューが始まった。
ブランカの打ち上げに二次会が無いのはこれが理由だそうだ。
肉が焼ける頃になってようやく勝也が戻ってきた。
「さすがオヤジさんだよね。『ワインとやら』を湯のみで飲んでたよ」
大爆笑が巻き起こると、そこからは昨日の続きそのままのような楽しい宴会になった。
昼過ぎから始まった宴会は大盛り上がりで、水風船を出してきていたずらを始めた平蔵を集中攻撃してずぶぬれにさせたりと子供のような遊びではしゃいでいた。当然みんなもそれなりの返り討ちにあい勝也と優奈も無事では済まなかった。
そして日が少し落ち始めた頃…
片付けもみんなで手分けして終わりお開きとなるが
「涼ちゃん…あの…知り合いとかでバイト募集してるお店とかありませ…ないかなぁ」
敬語になりかけて慌てて直す優奈。
「バイト…誰?優奈が?」
「うん、実は…」
先日の初めてのデートの時の晩御飯の支払いの件を涼子に話した。
「あはは(笑)アイツらしいね。うん、わかった。じゃあ来週にでも○○駅前の「alesis」って店においで?アンタならウチで即採用してあげる」
「え?…alesisって…あそこ涼ちゃんの店なの?!」
「知ってる?」
「知ってるも何もあたし大好きなの!何回も行ってる!」
「ありゃ…いつもありがとうございます(笑)」
あっという間にバイトまで決まってしまった優奈。
みんなお酒が入っているため電車やバスでの解散となり、勝也と優奈も家路についた。
まだ服は少し濡れていて
「あー気持ちわりぃ。ホント平蔵クンって遊びだすと手が付けらんねぇ」
「勝也も十分手が付けられなかったけど(笑)」
そんな会話をしながらいつもの駅で降りる。
もうそこから徒歩で帰るのが定番となってしまっていて、ブラブラ歩きながらいつもの曲がり角に来ると
「んじゃな、風邪引くなよ?」
いつものようにそこで別れようとすると急にブスッとした表情になり
「…一緒にアパート帰っていいって言ったじゃん」
「え?…だって服も濡れてるし、早く帰って着替えた方がいいだろ」
「…ヤだ…じゃあ次はいつ行っていいの?」
「あーまったくメンドくせぇな…わかったよ、ちょっとだけだぞ」
「やった!」
スネた表情からコロッと笑顔に変わる優奈。
アパートに2人で帰ると
「服、乾くまでいていい?」
「しょうがねぇだろ、ったく…。なんか代わりの着とくか?」
「いいよ、このまま……やっぱ着る!なんか貸して!」
2人で寝室のタンスの前に行き
「ここ開けてなんか着れそうなの探していいよ。クローゼットにハンガー入ってるから服はその辺に干しとけ」
「うん、わかった」
自分は部屋着を持ってリビングにいくとサッと着替える。
しばらくすると優奈が戻ってきた。
「コレ借りたー」
その声でふと見ると、大きめのTシャツを一枚だけワンピースのように着た優奈が立っている。脚は付け根ギリギリまで見えていてちょっと動けばパンツが見えそうな短さである。
「お…お前、それ一枚だけかよ」
慌てて目を反らすが
「だって脚好きなんでしょ?」
「そうは言ったけど…」
目のやり場に困りながら無理やり視線をテレビの方に向ける。するとまたチョコンと隣に座ってくる優奈。太ももが丸見えでまた目のやり場に困る。
「あんなにいっぱい食べたから全然お腹減らないね」
「…あ、あぁ…そうだな…」
「あ、晩ごはんいらないってお母さんにLINEしとこ」
体を起こしてスマホをカバンに取りに行く優奈は…やはりチラチラ見えていた。
ソファの背もたれに体を預けて必死にテレビに集中していると、戻ってきた優奈も同じように背もたれに体を預けものすごい速さでLINEを打っている。
今日初めて開いた優奈のスマホにはみさやありさ、千夏から爆量のLINEが来ていたが、今はそこに時間を取りたくないため「明日学校で話すから、ごめん!」とだけ勝也に内緒で返した。
返信し終わってスマホをポンと置くとそのまましばらく無言でテレビを見る2人。
ちょうどやっていたお笑い番組を見て二人で笑ったりしていると、優奈の頭が肩にポテッと乗ってきた。
「…今日楽しかった」
「いつもあんな感じだよ、あの人達は」
「それもだけど…朝からずっと勝也と一緒にいれたから」
「昨日の晩からだけどな」
「あ、そーだった」
お互いの頭の中に昨日の夜からのことが思い出されていた。
そして二人ともほぼ同時に今朝のキスの事を思い出すと…スッと優奈が手を繋いできた。二人ともその繋がれた手を見つめていると、どちらからともなく顔を向けて見つめ合う。
徐々にその距離が近づいていくと…自然な流れで唇を重ねた。
お互いぎこちない感じではあるが、まるで離れるのを拒むかのようにテレビの音だけが聞こえる部屋でキスはずっと続いていた。
しばらくしてスッと離れると、胸元に顔をうずめて
「こんなに幸せでいいのかな…」
「いいんじゃねぇの?」
「うん…いいよね」
そういうとまた顔を起こし、もう一度唇を重ねてきた優奈。
今度は繋いでいた手を離し、両方の腕を首に回して抱きしめてくる。勝也も優奈の背中に手を回すとお互い抱きしめ合いながら、気持ちを伝えあうような長い長いキスを続けた。
しばらくするとまたスッと顔を少しだけ離し
「…いいよ?あたし…」
「まだダメだよ」
「え?…なんで?」
「順番が違うだろ。お前どうして俺なの?」
「好きだから…ブランカのKATSUYAじゃなくて勝也が大好きだからだよ」
「そっか…俺も『優奈』の事が好きだ」
「…え?……名前…」
「そう呼びたくなったら呼ぶって言ったろ」
一瞬で目に涙をためる優奈。
「…誰にも見れない景色を見せてやる。だからお前が俺のことを嫌いになるまで、『彼女』としてずっと俺の横にいろ」
「…はい」
ポロッと涙がこぼれる。
「あたしが勝也を嫌いになるまで…なら死ぬまで横にいていいって事だよね」
「…その言葉忘れんなよ」
その会話が終わるとともにまた唇が重なり…
電気は消えテレビも消えた真っ暗な部屋。
窓から入る月明かりだけだが、2人が下半身だけ毛布を掛けてソファで抱き合っている。
優奈が鼻をすする音だけが響く中
「…大丈夫か?」
「うん、大丈夫…幸せだったから」
ギューッとしがみついている優奈の頭に軽くキスすると
「さすがにもうそろそろ帰らないと、昨日も外泊だったろ?」
「…ヤダ…帰りたくない」
「そういう訳にはいかねぇよ、家まで送ってくから」
「離れたくないもん」
素肌の体全体が触れ合う温もりは確かに離れたくないほど幸せだった。
…が、そういう訳にもいかず
「また明日会えるから」
「…うん…」
仕方なく渋々起き上がる優奈。薄っすらとではあるが、驚くほどスリムで綺麗な体が月明かりに照らされて神秘的にさえ見えた。
寝室からもう乾いていた服をもってくると身支度を整える。
家まで送っていくだけなのに外出着に着替えた勝也に
「わざわざそれ着るの?」
「もし家の人とバッタリってなったら優奈が恥かくだろ」
「…そういうとこ好き♪」
その気遣いもだが、普通に名前で呼んでくれるようになった事が何より嬉しかった。
そして2人で部屋を出る時
「また来てもいいんだよね」
「当たり前だろ」
「うん」
街灯の灯りの下をしっかり手を繋いで歩く。
このときばかりは家が近いことが残念で仕方なかった。
「大丈夫か?」
「うん…なんかまだ勝也が中にいる感じ」
普段よりゆっくり目のペースに落とす。そしてほどなくすると
「あ~ぁ、もう着いちゃった…ウチここ」
「ホントに近いな」
「もっと遠回りすれば良かった」
「んじゃまた明日な」
「…もう帰っちゃうの?」
「そりゃそうだろ」
「え~…上がってかない?」
「ダメ」
「じゃあキスして」
「もうワガママ娘になってやがる」
そう言いながらも唇に軽くキスすると
「じゃあな…おやすみ優奈」
「うん…送ってくれてありがとね。おやすみ勝也」
一人帰っていく背中を見えなくなるまで見送る優奈だった。