7 ブレイズ
【数か月前、すでに日本中でかなりの人気を誇っていた『ブレイズ』。
そのベースが音楽性の違いを理由に脱退するというニュースが流れ、そして新しいベースを見つけて活動は継続するとも報じられた。
当時ブランカは勝也が加入してまだ間もない頃だったが精力的にライブを重ね、すでに勝也の存在も定着していた。
ある日のライブ当日、店長から「今日ブレイズの関係者がライブを見に来るかもしれない」という情報を聞かされた。
ブランカのメンバーはそれを聞いて、関係者の目的が対バンのベースではなく勝也を見に来るのだろうと察知した。
まだ高校生になったばかりの勝也だったがその実力はすでにプロになっていてもおかしくないほどだったからだ。
ライブ後、楽屋を訪ねてきたのは関係者ではなくブレイズのメンバー本人達だった。
筋を通してまずはメンバーに挨拶し「KATSUYA」をブレイズに引き抜きたいという意思を告げられた。
ブランカのメンバーが相談の上出した返事は「本人に任せる」だった。
誰もが勝也の脱退など全力で阻止したい事だったが
もし勝也が上を目指しているのなら、もし勝也がそれを望むのならそうさせてやりたいとの結論だった。
そして勝也にブレイズからの勧誘が伝えられた。
一度実際に音だけでも出してみたいとのブレイズ側からの強い希望でスタジオリハの日程が伝えられ、その日は結論を迫られなかった。
指定された日はちょうどブランカのリハと同じ日だった。
あのライブ以降メンバーの誰も勝也と話すことなくその日を迎えたがスタジオに集まったメンバーは誰一人勝也の名前を口に出さず、ただ頭の中で「そろそろ始まる時間かな…」と時計を見ながら意識していた。
自分たちのリハ開始時間になっても誰もブースに入ろうとはせず、気になってスタジオに来ていた涼子とみぃも一緒に全員ロビーの椅子に黙って座っていた。
すると…入り口のドアが開き、勝也が入ってきたのだ。
「ごめーん!いきなりチャリンコがパンクして…歩いてきたから遅刻したぁ」
全員開いた口が塞がらず…そしてその後
「おまえ何やってんだよ!今日ブレイズだろ!」
「忘れてたのかよ!今からでもすぐ連絡して…」
口々にまくしたてるが、
「え、俺行かないよ?とっくに断ったし」
と驚きの言葉を発する。
「はぁ?!ブレイズだぞ?こんなチャンスなんて二度と…」
「ねぇ…俺ってクビなの?」
それを聞いてみんな黙ってしまった。そして静かに続ける。
「ブランカをクビだっていうんならそれから考えるよ。でもそうじゃないんなら俺はここにいたい。ここ以上に楽しんで弾ける場所なんて俺には無いから」
涼子とみぃの目からは涙が溢れメンバー達は堪えるために上を向いた。
あのブレイズより勝也はブランカを選んだ。
売れる事やお金持ちになることよりも自分にとって一番楽しい場所を選んだ勝也に
「…お前はホンットにバカなんだな…よーくわかった。さて、そろそろリハ始めるか。…あ、勝也は遅刻だから後でジュース奢れよ?」
涙声のSyouの言葉でブランカのリハが始まったのだった】
「…っていう事があったの」
「ダメだぁ…今でも思い出したら泣けてくる」
聞き終わる頃には優奈の目からは大粒の涙が止まる事無く溢れ続けていた。
自分はなんという男を追いかけているのだろうか。
誰の目から見ても「成功」という道が開けたはずなのに、勝也にとっては「一番楽しい場所」の方が大事だったのだ。
今まで彼にとってバンド、音楽、ベースが何より大事なのだと分かっていたつもりだったが、自分の想像など足元にも及んでいなかった。
学校で極力目立たないようにしていたのも、自分の周りに集まってくる目的違いの女性をあれほど警戒していたのも全ては自分の一番大事なものを守りたかったからなのだと改めて感じた。
それと同時に、優奈を守るために自分がブランカのメンバーだという事を学校で認めさせてしまった事が今更ながらとんでもない大事件だったのだと死ぬほど悔やんだ。
(やっぱりダメだ…あたしなんかが近寄っていい人じゃない…)
自分なんかが釣り合う人じゃない。
マイナス思考が先行し、今ここに自分がいる事さえも申し訳なく感じた。
「ごめんなさい…あたしやっぱり帰ります…」
「なんで?」
「…やっぱりダメ…あたしなんかじゃ…」
言葉を発するほどに涙が溢れて止まらなくなる優奈。そして立ち上がろうとしたとき
「帰るって言うんなら止めないけど、その前にアンタは自分の想いばっかりで勝也の気持ちは考えようとしないの?」
「…え?」
「勝也が今まで女の子を連れてきた事が無いっていうのは聞いたよね?でも今日はアイツが自分からアンタを呼んだ。勝也にとってブランカでベースを弾くっていう事がどれほど大事な事か今の話でわかったはずだよね。そのライブに初めて本人から見に来いって呼ばれたんでしょ?だったら今日のライブを一番見せたかったのは優奈だった…って事なんじゃないの」
「……あ…」
以前は『来たかったら自分で調べて自分でチケット買ってこい』だった。
だが今日は勝也から教えてもらい、勝也からチケットを貰い、そしてわざわざ楽屋にまで入れてくれた。
確かに彼にとって一番大事な世界に招かれたような気持ちだった。
「まぁどういう気持ちかは別としてアイツにとって特別な人であることは間違いないよね。自分の気持ちに自信がなくなったんなら帰るの止めないよ。でもさっき言った『ずっとついていきたい』っていう気持ちが本物なら今日を逃したら終わりかもね」
立ち上がろうとしていた腰をまた下ろした。
「どうせ砕けるなら当たってからにしろ、優奈♪」
「…はい」
その時2階へ上がってくる階段が急にギャーギャー騒がしくなり、ようやくスタッフとメンバーが到着して一気に部屋が騒がしくなった。
「もー!アンタたちは少しぐらい静かにできないの?」
「だってよ!タクシーん中でものすっげぇ臭い匂いしてさぁ、みんな俺の足の匂いだとか言いやがるんだぞぉ!」
「確かにいつも臭いじゃん」
「ほーら見ろ!やっぱ平蔵じゃねぇか!」
ギャーギャーと子供のように言い合いしながら席に着く。
すると当たり前のように優奈の隣にドカッと腰を下ろし
「いつもあれだよ、ホンットに成長しねぇ」
とブツブツ言いながら笑顔を向けてきた。
「…お…お疲れ…様…」
さっきの話を聞いた直後のため泣いてしまいそうでまともに顔を見ることが出来ない。
「どした、眠くなったか」
「…ううん…そんなんじゃない…」
「あ!ハラ減ったんだろ」
「もー!そんなんでもないっ!」
ようやく顔を見れた。
そこには髪型はライブそのままだがメイクだけ落としたいつもの勝也がいて…ホッとしたのと安心したのが入り混じって
「…ふ…ふぇぇぇぇ~ん…」
と泣き出してしまった。
「な、なんだぁ!?」
「お?勝也がいきなり優奈を泣かしてやがる!」
「だ、だって!俺なんにも…」
「…ご…ごめんなざぁい…」
両手で顔を覆って泣き出す優奈に、その場にいたスタッフ達は『うんうん、気持ちはわかる』『あのライブ見た後だもんねぇ…』と納得していた。
「なんだよ、ライブ来んの初めてじゃねぇじゃんか」
「…え、そうなの?」
「こいつ確か3回目ぐらいだよ」
「なんだよ!んじゃなんで今まで顔出さなかったんだ」
「だってやっと今回初めて勝也が自分から呼んでくれたんだもんねー」
「はは~んそういう事かぁ」
「うわーやっらしー!お兄さんは許しませんよぉ」
早くも座敷は大爆笑に包まれる。
それからというもの、勝也が連れてきたということもあり優奈は打ち上げに参加した全ての人達から可愛がられて本当に楽しい宴会になっていった。
そこそこ時間も経過した頃
「おい、もうそろそろ時間気にしないと終電無くなるぞ」
「あ…実は今日打ち上げまで来れるなんて知らなかったからライブの後みさ達と遊ぶかもしれないと思って…家にはみさン家に泊まるって言ってきちゃった」
「はぁ?あいつ帰っちゃったじゃん、どぉすんだよ」
「どぉしよ…そこまで考えてなかった…」
「っていうかそんなにしょっちゅう夜遊びしてんだ」
「そ、そんな事…ない…事もない…ごめんなさい」
「まぁ、俺が言うことでもないけどさ」
「勝也がダメって言うならもうしない!」
「はいそこー!イチャイチャしないように!」
「あー、そんな事言うならみぃちゃんに色々言ってやろー」
「ん?…色々ってなぁに?勝也クン」
どれだけ笑えば気が済むのかというぐらいにずっと大爆笑が続く打ち上げ。
あの圧巻のライブを繰り広げたバンドとは思えないほどみんな優しくて楽しくていい人ばかりだった。
そんな打ち上げもお開きの時間となりみんなが荷物を持って立ち上がる。
「…ね、ねぇ…お金は?」
「いらないよ。打ち上げは今日のギャラから出んの」
「ダメだよ!あたしまで出してもらう訳には…」
「じゃあSyouクンに直接文句言ってみるか?」
「…御馳走様でした…」
それから優奈はメンバーや涼子、みぃに一人ずつ御礼を言ってまわり「なんて礼儀正しい子だ」とまた評価が上がっていったのだった。
店の外に出てみんなと別れ際優奈は全ての人に名前を覚えてもらい、次のライブも必ず来る事と打ち上げにも参加する事を約束させられていた。
涼子やみぃとも連絡先を交換し、一晩で大きく知り合いが増えた日であった。
その店の前で解散となりそれぞれが帰路に就く。なんとか終電には間に合いそうだ。
駅までの道のりはまだたくさんの人たちと一緒だったが電車に乗る頃には方向が違う事もあってその数も減り、そしていつしかまた二人っきりになっていた。
「あ、ねぇ…そういえばベースは?」
「楽器は全部Junクンの機材車に積むんだよ。前日のリハ終わりに積み込んでまたどうせ明日みんな集まるからその時に持って帰るの」
「明日も会うんだ…ホントに仲いいんだね」
「別に仲いいわけじゃないけど」
そしてしばらく電車に揺られていると
「あ!ところでお前どうすんだよ。家の鍵は持ってんだろ?」
「持ってない…前に落としたことあって、それ以来よっぽどの時以外はお母さんが起きて待っててくれるようになったの。だから夜中まで遊ぶ時は起きててもらうの悪いから、みさの家とかありさのトコとかに泊めてもらうようになって…」
「はぁ?ったく…んじゃどうすんの?」
「大丈夫。家のガレージとかなら危なくないし朝まで待ってようと思って」
「バカかお前は…ったく、しょうがねぇな。ウチ来るか?」
「…え?」
「いくら家のガレージったって外で一人でなんて危ないに決まってんだろ。それに朝までなんて何時間あると思ってんだよ。どうせ待つんならウチで待ってろ」
「…え?…え?…勝也の家?…い、いいの?ホントに?」
「しょうがねぇだろ」
優奈の心臓がバクバクと大きな音を立て始めた。
ライブに呼んでもらえた、打ち上げに連れて行ってもらえた、そして二人っきりで帰ってきた。それだけでも夢のような一日だったのに最後に勝也の家に入れてもらえる事になった。
隣にいる勝也に聞こえないかと心配になるほど鼓動は大きく早くなっている。
駅からの帰り道、前に一度一緒に帰った道のりをまた二人で歩く。
平然を装って会話しているもののドキドキは止まらない。そして本当なら別れるはずの曲がり角で勝也の後に続いて同じ方向に曲がった。
ここから先はついていったことがない道で
「初めてだね、一緒にこっち曲がるの」
「ん?…あぁお前はあっちだもんな」
しばらく歩くともう一つだけ角を曲がる。すると小さな白いアパートがあった。
その階段を上がっていく勝也の後に続いて上がる優奈。
「こんなトコにアパートあったんだ」
「知らなかったろ」