36 スタジオミュージシャン
修学旅行騒動も一旦は落ち着いた。
また毎朝優奈が起こしに来る日々が始まったのだが、修学旅行の費用を捻出するためバイトを一気に増やした勝也。
夜ゆっくり会える日はほぼ無くなり休みも無くなり学校では今まで以上に寝っぱなしになり、登下校も眠そうな目をこすりながらのため会話はほとんど一方通行になる。
毎日アパートに行っては勝也の夕飯を作って置いておくのだが、翌朝来てみると疲れ切っているせいか食べずにそのまま置いてあったりヒドい時はリビングで食べながら途中で寝てしまっている日もあった。
自分のために修学旅行行きを決めてくれただけあってさすがに優奈も止める訳にもいかず、これだけ会えなくても文句は言わなかった。
そんなある日の朝
「ねぇ、大丈夫?」
「…ん~……うん…」
たったそれだけの返事を返すのにも随分と時間がかかる。
「目ぇ覚めてる?」
「…覚めてるよ」
「ホントに?学校こっちじゃないよ」
「…え?」
驚いて周りを見ると曲がり角を間違えているのに気づいた。
「は…早く言えよバカ…」
無意識だった。
正直言うと体力的にもかなりキツくなってきている。
今はブランカのリハも無くレコーディングの日程を待つだけなのがせめてもの救いだが、徐々に気温も上がってくる季節になっていてたまにフラッとする時もある程だった。
「おたくの旦那さん、日に日に弱ってってない?」
「…殺人的なバイトの量だからね」
「ちょっとセーブさせた方がいいんじゃない」
「う~ん、だけど余計な事言ったら怒られるし」
「いや、余計な事ではないでしょうよ」
体を休ませるにも休みは無い。かといって学校を休めとも言えない。
優奈に出来る事と言えば少しでも勝也が食べてくれそうなものを作って置いておく事ぐらいである。
そんな思いから今日もアパートで料理していたある日、涼子から電話が鳴った。
「優奈?店の前で勝也拾ったんだけど」
「え?…拾った…って」
「アイツ、バイト中に厨房で倒れたんだって」
「……えっ?!」
コンロの火を止めカバンだけを拾い上げるとアパートを飛び出る。
通りに出てタクシーを探すもなかなか来ず駅の方にダッシュで向かい、ようやく来たタクシーに飛び乗るとそのままalesisに向かった。
表のシャッターのうち一枚だけが開いている。
店内に駆け込みバックヤードへ入ると、長椅子に仰向けに横たわり顔の鼻から上全体にタオルを掛けられて寝ている勝也がいた。
涼子の顔を見ると人差し指一本で「シーッ」という合図をされる。
どうやら眠っているようだ。
アゴでクイッと外に出るように言われ、勝也のことを気にしながらも後をついて外に出た。
涼子の話によると、バイト中厨房のあまりの暑さに意識が朦朧とし始め、それでも頑張っていた所でそのまま倒れた。
すぐに意識は戻ったものの当然バイトは中止。少し休んでそのまま帰宅しようと外には出たがやはり足元はフラフラで、なんとか向かいのalesisまで歩いたところでシャッターに突っ込むようにまた倒れたようだ。
バックヤードで一人事務仕事をしていた涼子が大きな物音に驚いて見に出たところ勝也が横たわっていた。
そして居酒屋の店長を呼び、事情を聞いて奥まで二人がかりで運んだという事だった。
「なんでそんなに必死になって働いてんの?アイツ」
そこで今回の修学旅行の一件を説明すると
「なーるほど、勝也らしいね」
「でもこのままじゃ体が先に壊れちゃうよ…」
「ムリしないであのバイトすりゃぁいいのに。ったく頑固坊主なんだから」
「あのバイトって?」
「プロの歌手のレコーディング。スタジオミュージシャンっていうんだけどね」
「…そんな話あったの?」
「あんた自分の彼氏を誰だと思ってんの。あのブレイズが引き抜こうとするようなヤツだよ?」
「…あ…」
「今まで何度も何度もあったはず。今でも話とかは来てるんじゃない?」
「聞いたことない…」
「言うような男ですか?」
言われてみれば何も不思議ではない。そんな話が来ていてもおかしくない程のベーシストだという事は優奈にもわかる。
だがその話を受けない事も、そのことをわざわざ優奈に話すような男ではないという事も同時に理解できる。
「…なんであんなにガンコなんだろ」
「そんな男だってわかってて付き合ってんでしょ」
「そうだけど…」
「アイツね、学費だけは御両親に出してもらってるじゃん?」
「うん」
「その学費も卒業までに返すんだって。そのために貯金してるんだってよ」
「…え?」
「学費ぐらい親に甘えてもよさそうなモンだと思うけどねぇ」
この話はさすがに響いた。
以前勝也に聞いた昔の話…居酒屋を開店した当初の両親の苦労を目の当たりにしてきたからこそそんな想いでいるのだろう。
今更ながら修学旅行の事で勝也を責め、優奈の為に旅行に行くと決めてくれた事を喜んでいた自分を恥じた。
その代償が今この奥で長椅子に横たわる姿である。
「あたしのせいだ…」
「は?」
「あたしがスネてイジけて怒ったから、それでこんな無理させちゃったんだ…」
「ホントあんたらって何でも自分のせいにしたがるカップルだね」
「…え?」
「勝也も前に言ってたよ、自分のせいでいつも優奈に我慢ばっかりさせてるって」
「…そんな…」
「どうする?このままここで休ませるならあたしが見とくし、家に連れて帰って寝かせるなら車で送ってくけど」
「あ、じゃあ…送ってください」
2人がかりで肩を担いで涼子の車に乗せ、そして最大の難関であるアパートの階段は優奈の両親に来てもらってなんとか上がれた。
父に事情を説明するとこのまま看病する事を許可してくれて、明日は学校を休んでもいいと言ってくれた。
寝室のベッドでグッスリ眠る勝也の顔を見ていると涙がこぼれてきた。
なぜこの人はこんな人なんだろう。
高校の学費など両親に出してもらうのが当たり前というような世の中で、それさえも働いて親に返すという。
自分の生活費、家賃や光熱費にリハのスタジオ代や楽器の消耗品、その上に優奈と遊びに行ったりご飯を食べに行ったり…その全てをたった一人でバイトで稼ぐ。
そんな人に携帯を買わせ、今度は修学旅行代まで…。
自分のワガママさに無性に腹が立った。
倒れるまで頑張らせてしまったのは自分だ。
申し訳ない気持ちでいっぱいになり、外が明るくなってもまだずっと勝也の顔を眺めていた。
みさにLINEで自分と勝也が休むことを報告し担任に伝えてもらう。
勝也が目を開けたのはもうお昼近かった。
「…ん~…あれ…ウチ?」
キョロキョロと辺りを見渡し、体育座りでこちらを見ている優奈に気づく。
「あれ?優奈…なんで」
「おはよぉ」
「お…おぉ…俺なんでここにいんの?」
その言葉には答えず
「ねぇ、もうヤメよ?体壊れるまで働かないで」
涙をいっぱい溜めた目で見つめる。
「別に大丈夫だよ。ちょっと忙しくて疲れただけだし」
「…もうヤだ、見てられないもん…修学旅行も、もういいから…」
「お前の為じゃないしお前が決める事でもない」
「だって…」
ムクッと起き上がろうとするもまだ体に力が入らない。
また優奈に寝かされると
「俺が行きたいって思ったから行く事にしたんだ、お前の為じゃない。それにブランカのレコーディング始まったらバイトもあんまり入れなくなる。今のうちに働いとかなきゃいけねぇんだよ」
「だったらあたしにも手伝わせてよ」
「またそれかよ。何回言わせんだ、お前の金で俺が…」
「ここはあたしの家でもあるんだよね」
「ん…まぁそれはそうだけど」
「だったらあたしが家賃も光熱費も半分払ったっていいんじゃないの?」
「いい加減にしろよお前」
「今なんて勝也はここに寝るために帰ってるだけじゃん。あたしはご飯作ったりテレビも見るしトイレもお風呂も使う。服だって荷物だって今じゃあたしの物の方が多いよ。だったらそれ全部持って帰ればいい?次からまたお邪魔しますって言って入ればいい?鍵も返して勝也がいる時だけ入れてもらう方がいい?あたしだって堂々とここに住んでるって言いたい!」
「……………」
「会えないのはなんとか耐えられる。でも勝也が体壊すのは耐えられないよ…」
「…はぁ…ったく…」
「スタジオミュージシャンはイヤなんでしょ?」
「は?……まぁた涼ちゃんか。なんであの人は余計な事をベラベラと」
「勝也の決めた事に口挟む気はないけどなんでイヤなの?」
「別に…ベースを金儲けの道具にしたくないだけだよ」
「お金儲け…確かにそう考えたらイヤかもね」
「地道に働くよ。ちゃんと寝れば…」
「人の曲聞いて、もし自分だったらこう弾いたのにって思う事ある?」
「まぁたまにあるかな」
「って事は勝也から聞いたら『不完全』な曲なんだよね」
「そういう訳じゃ…そのフレーズが正解って思う人もいるだろうし」
「でも勝也の思う『正解』ってのを欲しくて頼んでくる人もいるじゃん」
「何が言いたいの?」
「勝也に弾いてほしいって人は、お金儲けをさせるためじゃなくて勝也のベースの音を欲しがってる訳でしょ?いくらあげるからとかじゃなくて勝也に弾いてほしいって気持ちの方が先なんじゃないの?」
「ん~…でもなぁ」
「一回だけやってみたらいいじゃん。それでやっぱり腑に落ちないなら次からヤメればいいじゃん。ブランカで演奏するのとは全然違うだろうけど、逆に全然違うんだったら切り替えも出来るんじゃない?」
「…まぁそのうちな」
優奈がそれを勧めたのはあくまでも今の過密スケジュールから解放させるためだけの理由だった。
本当なら勝也の弾きたい場所でだけ弾いてくれればいいという気持ちではある。色々考え込んでしまった勝也だが、久しぶりにしっかり寝れた事もあり
「ハラ減った」
「ホント?昨日の夜作りかけてたのがあるからすぐあっためるね」
ほとんど何も食べていなかった勝也がお腹が減ったという。
喜んで準備をし始めると
「そこで食べる?持って行こうか」
「そっち行くわ。ちょっと肩貸してくれ」
まだ足は少しフラついているため優奈の肩を借りる。
登下校の時に並んで歩くぐらいしか接点が無かっただけに久しぶりに触れた気がした2人。リビングへ行きソファに座ると優奈が用意したご飯を食べ始めた。
「最近あんまり食べてなかったんだからゆっくり食べないとお腹がびっくりするよ」
「はいはい」
そう言いながらもあっという間に食べ終わる。
その皿を下げて洗い物をする優奈に
「もう大丈夫だから学校行けよ」
「朝のウチに休むって連絡しちゃったから今更行ってもおかしいでしょ」
「そっか、ごめん…悪いな」
すると水道をキュッと止め
「あのさ、そういうのいらない!勝也の世話できる人って他にいる?あたししかいないの!ごめんとか悪いなとかそういうの聞きたくない!」
「…はい」
普段から掃除や片づけは優奈がやってくれているため洗い物が済んだら用事は無くなった。隣にチョコンと座った優奈が肩にポンと頭を乗せてくる。
「倒れたって聞いた時はびっくりしたけどこうして元気になったら予定外に会えてちょっと嬉しいかも」
「ん」
そこへ家の電話が鳴った。
立ち上がろうとする勝也を止めて優奈が電話に出る。
「もしもし、松下です」
「私SGエンターテインメント○○と申します。松下勝也さん御在宅でしょうか?」
「あ、はい…おりますが。少々お待ちください」
勧誘やセールスではないことを確認して勝也に代わる。
「はい。…あぁ…はい。じゃあ一回音源と資料だけ送ってみてもらえます?やるかどうかはわかんないですけど」
電話の向こうの声が優奈に届くほど大きくなったのが分かる。そして電話を切ると
「なんか向こうの人すっごいテンション上がってなかった?」
「あぁ、ずっと断ってた話だからな」
「え…ひょっとしてレコーディングの話?」
「うん」
「すっごいタイミングじゃん!誰の?」
「聞いたことない人だけど…なんだっけ、あい…ぴょん」
「それって「あいみょん」じゃないの?ぴょんって(笑)………え?」
「変な名前だな」
「はああぁぁぁぁぁ?!!ちょ…ホントに言ってんの?!!」
「なにが」
「あいみょんってすっごい有名なんだよぉ?!まさか知らないの?!」
「知らない」
「信じらんない…こんな人いるんだ」
「だって知らないんだもん」
「ちょ…ちょっとお願い、これだけは受けて欲しーなー」
「なんで?」
「サインとか写真とか欲しい」
「なんだてめぇ、このミーハー女が。…まぁ音源聞いてからな」
結局優奈のしつこいほどのお願いを聞くカタチとなり初めて他人のレコーディングに参加する。
そして優奈の念願も叶い、その仕事で得た報酬は…
修学旅行に行ってもまだ余るほどの高額だった。




