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32 樹(いつき) ①

 同棲生活が始まって数日後。


勝也の指先はどんどん回復しもうかさぶたも取れかかってきている。

傷口が塞がってしまった以上もう消毒の必要もなく、はずみでかさぶたがめくれてしまわないようにバンドエイドを貼る程度になっていた。


「ちょっとぉ、治るの早すぎない?」


「そんな事言われたって…それに早くベース弾きてぇし」

「治っちゃったらあたし実家に帰らなきゃいけないんだよぉ?」


「ならもっかいケガすりゃいいのか?」

「そうじゃないけど…」


2人での生活は想像よりはるかに楽しく幸せで、この毎日が終わる事など考えられなかった。だが勝也の指が治れば実家に帰らなければならない。


「あ~ぁ…このままずっとここで一緒に暮らしたいなぁ」


そんなグチも頻繁に出るようになった。


勝也との登下校は傍から見れば完全にカップルとわかりそうなものだが、それでも優奈の人気は凄まじくSNSやTikTokへの投稿のせいもあって堂々と声をかけてくる男もいればこっそり盗撮してくる輩も多い。

見知らぬ男に声を掛けられるたび不機嫌そうになる勝也。

優奈も堂々と『彼氏と一緒なんでごめんなさい』とはっきり断るのだが、それでも突撃は毎日続くのだった。


そんなある日、優奈がalesisでのバイト中。

夕方頃にもなると続々と店には客が増え始める。

バイト中はお客さんに対しては笑顔で接客する優奈。


すると一人の女性が入って来た。


「いらっしゃいませー♪(うっわぁ…綺麗な人…)」


だがその女性が優奈の前を通り過ぎる時、フワッと香りがして


(あれ?勝也と同じ匂い。男物なのにめずらしいな)


その女性は店内を見渡すこともなくまっすぐにレジの方へ向かい


「すいません、オーナーの小泉さんお願いします」


どうやら涼子の客のようだ。

仕事関係なのか友人なのか、どちらにしても優奈はさほど気に留めなかった。


だが店員に呼ばれて奥から出てきた涼子の顔が豹変する。


「は~い、お待たせしま………え?」


ギラッとした目つきに変わると明らかに低い声で


「…何しに来たの…何の用?」


「えー!ヒドーい、せっかく久しぶりに会いに来たのに~」

「よく来れたね、あたしには考えられないけど」


「そんな事言わないでよぉ(笑)」


客に対する態度ではなさそうだ。

違和感を感じて優奈がチラチラと2人の方を見ていると、その視線を感じた涼子がよっちゃんにボソボソと小さく声をかける。

するとよっちゃんがスッと優奈の方へきて


「優奈、涼子さんがちょっとバックヤードに入ってろって」


「え、どうして?」

「わかんないけど顔がマジっぽかった」


「…わかりました」


意味が分からないままバックヤードに引っ込む。

店には徐々に客が増え始めているためよっちゃん一人では対応が大変だと心配しながら座っていると、レジ前で話す二人の会話がかすかにだが聞こえてきた。


相変わらず低い声で完全に不機嫌な声の涼子。

そして相手の女性の言葉に耳を疑う。


「ところで勝也は元気?」


(……え?…勝也?)


見知らぬ女性の口から出てきたその名前に驚き、耳をすまし始めた。


「どうせそんな事だと思った。アンタの口からアイツの名前は聞きたくないよ」


「なんでぇ?あたしもあの時はちょっとどうかしてて…悪かったなと思ってるもん。だからちゃんと謝りたくて電話かけてみたんだけど携帯も勝手に解約されてるし」


(「あの時」……「携帯」……)


その2つのキーワードで気づいた。

今このレジ前にいる綺麗な人が、勝也を女性不信に陥れたその張本人だ。


気づけば優奈の両手は震え鼓動が速くなっていた。

怒りなのか恐怖なのかはわからないが、今壁一枚挟んだ隣の空間にその人がいる。

そしてどうやら勝也を探そうとしているようだ。


「ねぇ涼子さん。勝也の連絡先知ってるんでしょ?教えてよ」


「は?なんでアンタに教えなきゃいけないの」

「勝也だって待ってるハズだもん、あたしが連絡するの」


「呆れてモノが言えない…とにかく帰ってくれない?迷惑だから」

「ヒドーい、あたし客なのにぃ…」

「モノ買いに来たわけじゃないでしょ」


「…まぁまた来るね。次来た時は教えてねー」


そういって帰ろうとしたように聞こえた次の瞬間


「そういえばさぁ、勝也ってまだ一人だよね?」

「…一人じゃないって言ったら?」


「別に大丈夫だよ。その女『潰せばいい』だけだし」


優奈の背筋にゾクッと悪寒が走る。

その口ぶりから何をしでかすかわからない雰囲気だけは感じた。


その女性が帰ったあとすぐに涼子がバックヤードに入ってくると


「おう優奈、サービス休憩終わりだよん。店出てー」


「…涼ちゃん。今の人って…誰?」

「ん?昔の知り合い。あんま好きじゃなかった人」


「ウソでしょ…勝也の……だよね」


「聞いてたの?」


「最初店に来た時、勝也と同じバーバリーの匂いがしたの」


「……とにかく今は店に出な。よっちゃん一人で大変だから」

「…はい」


自然な笑顔を作れないまま優奈は店に出た。

頭の中はさっきの女性の事でいっぱいだったが時間まで仕事を続ける。


そしてバイト終了の時間になると急いでバックヤードに戻り


「時間なので上がります」


そういうもそこから動かずジッと涼子の目を見つめる。

その目を見て深いため息をつき


「優奈の言う通り…あれが『(いつき)』。勝也を散々苦しめた女だよ。今頃になって何をノコノコ出て来たのか知らないけど、よくもまぁ顔出せたモンだよね」


「勝也を探してるみたいだったけど…」


「教えるわけないでしょ、勝也にはアンタがいるのに。…あ、樹が来たこと絶対に言っちゃダメだよ」

「…うん」


「アンタは何も心配しなくていいの!黙って勝也のそばにいときなさい」


バイトからの帰り道、ずっと不安でたまらなかった。

あれほど勝也を苦しめた女がまた現れ、そしてまた勝也に近づこうとしている。

また勝也が思い出したらどうしよう…今の幸せな関係が崩れたらどうしよう…そんな事を考えていると、気づけば電車を降りてから走り出していた。


アパートに着くと急いでカギを開ける。

もしかしたらこの部屋の場所も樹は知っているのだろうか。

家の留守電を見ると、着信アリとなっていて録音が1件あるようだ。

もしかしたらこれも樹なのだろうか。急に不安が襲い電気を点けるのも怖くなってしまった。


居酒屋のバイトから帰宅する勝也。

駅から歩いてアパートに着くと電気が点いていない。


「ん?実家にでも行ったかな」


大して深くも考えずに階段を上がると鍵を開けて中に入る。

途端に奥からドタドタと走る音がして、真っ暗な中で抱きついてくる優奈。


「わあっ!!…ちょっ…い、いたのかよ!」


「だ…大丈夫だった?何もなかった?」


「は?!何が?」

「なんか…その…声かけられたりとか襲われたりとか…」


「んな事あるわけねぇだろ。っていうかなんだよ電気も点けないで…」


樹が来たことは言う訳にはいかず


「えっとその…ちょっとうたた寝?…みたいな…アハ♪」


「アハ♪じゃねぇよ!ったく…んじゃメシは?」

「……あ…」

「このヤロォ…」


「今から作るから!」

「いーよ、なんか食いに出よ」


「ダメ!外行きたくない!ここがいい!」


「なんだよお前、なんかヘンだぞ?」

「そ、そんな事ないよ。…だってあと何日ここにいられるかわからないんだもん…だから少しでも長くこの部屋にいたい」


「ったく…んじゃ何か作るか」


結局その日は2人で作ったありあわせのモノで夕飯を済ませた。


 その翌々日。


今日も優奈はAlesisにいた。

涼子が他の店舗へ行っている間よっちゃんともう一人のバイトと優奈の3人で店を回している。

バイト中もずっと一昨日来た樹の事が頭を離れない中、ふと入口の方を見るとその樹が立っていた。


「…え…い…いらっしゃいませ…」


ブラブラと店内に入ってきた樹。


「今日は涼子さんいないみたいだね。…ねぇ『安東 優奈』ちゃん?」


「え?!…どうしてあたしの名前…」


「そりゃ有名だもん、こんなに可愛いし。ブランカのファンの子捕まえて聞いたの『KATSUYAの今の彼女って誰?』って。そしたらすぐに教えてくれたよ」


「…え…あの…」


グイッと近くまで寄ってくると耳元で


「どうやって勝也に近づいたのか知らないけど……消えてくれない?」


「…は?」


「アイツはあたしの男なの。ウチらがちょっと会わない間に彼女面しちゃって油断も隙もありゃしない。とにかくあたしが戻って来たんだからアンタの夢の時間は終わりだよ。わかった?」


「いえ、勝也はあたしの彼氏です。別れるつもりも引くつもりもありません」


「へぇ~…生意気な口聞くんだ。後悔しないのかなぁ」

「後悔なんて…あの人のそばに居られるならあたしはどんな事でも耐えられますから」


「そぉなんだぁ…『どんな事でも』ねぇ」


するとよっちゃんが違和感を感じて


「いらっしゃいませ。何かお探しですかぁ?…あ、安東さん。あたし代わるからバックヤードで荷物の受け取りお願いしていい?」


「あ、はい」


そういってその場を離れる優奈に


「…また来るね『優奈ちゃん』」


そう声を掛けて樹は去っていった。

それ以降、優奈の手は震えが止まらなかった。



 優奈のバイト上がり時間寸前に涼子が戻ってくる。

そのままバックヤードに入り書類整理を始めた途端


「はあぁぁ?!…ちょっと…優奈!優奈っ!!」


奥から大きな声で名前を呼ばれる。

優奈がバックヤードに入るとよっちゃんが今日の事を涼子に報告していた。


「ちょっとよっちゃん!言わないでって…」

「だって…」


「優奈…何言われた?何かされた?」

「べ…別に何も…」


「そんなわけないよね。わざわざ来てアンタに声かけたんでしょ?」


「……勝也と別れろって…」

「…はぁ…やっぱり…」


下唇を噛んで考え始める涼子。


「涼ちゃん、あたし大丈夫。どんな事があっても勝也と別れたりなんてしないし負けないよ」


「そういう問題じゃない。あの女は自分の思い通りにするためならどんな事だってやる女だから」


「…え?」


「優奈、アンタ今日からあたしのウチに泊まりな。家には電話してあげるから。あたしの近くに居れば樹も手出しは出来ないはず。…いいね?」


「ごめん涼ちゃん、それはちょっと…今あたし勝也と一緒に住んでるんだ」


「…は?」


それから今に至る経緯を説明する。

期間限定とはいえ一緒に暮らしている事を理解すると


「へー!良かったじゃん♪一緒に住んでたら色々普段見れな…いや、今はそんな事言ってる場合じゃない。同棲してるんならなおさら今は離れた方がいいかもしれないし」


「ヤだ!」


珍しく涼子に口答えする。


「あと何日一緒に暮らせるかわかんないのに…」


「そんな事言ってる場合じゃないでしょ!」

「あたしには大事な事だもん!」


険悪とまではいかないものの意見がぶつかる涼子と優奈。

しばらくの間沈黙が続くが


「はぁ…わかったよ。その代わりバイトの行き帰りも買い物とかも一人は絶対ダメ。あたしが送り迎えするから。それだけは言う事聞きなさい。わかった?」


「そんなことしたら涼ちゃんが大変…」


「これ以上口答えしたらキレるよ?」


「…わかりました」


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