103 アパート
優奈の部屋にまた大事な宝物が一つ増えた。
初めて勝也を見つけたあのライブでたった一度だけかぶっていたあのウエスタンハット。
高1の頃、それまでずっと気になっていた勝也とようやく話せるキッカケとなった優奈の中で何にも勝る記念すべきライブである。
お揃いのベース、勝也の好みに合わせて一緒に選んでもらった服、壁にはFINALの時のポスターを中心に2人で撮った写真やライブ中のKATSUYAの写真を山ほど貼り、そして今度はあのハット。
この部屋に来たのは数えるほどだがそれでもこの部屋には至る所に勝也がいる。
以前に比べると少しだけこの部屋に一人でいるのが寂しくなくなってきた。
その週の土曜日、勝也の部屋で夕飯を食べながら
「なんかこの部屋あたしのモノばっかりになってきたね」
「それがどうかしたか?」
「だってさ、元々あんまりモノが無い部屋だったのにあたしがどんどん増やしちゃって…」
「そりゃあ俺一人の時よりは増えて当たり前だろうよ」
「イヤじゃない?」
「なんで?狭いって言うなら俺のモノもうちょっと処分して…」
「勝也のモノこれ以上減らしたら無くなっちゃうってば」
調理器具や収納関係、棚やカーテンにいたるまで何を買ってきても勝也は文句一つ言わない。
優奈が自分のバイト代で買って来るものだからというのも理由だが、確かに一人暮らしの頃に比べれば今ではもう新婚夫婦が生活していてもおかしくないほどいろいろなモノが増えた。
「あんまり使わないモノとかはあたしンチに運んで…」
「バーカ、そんな倉庫代わりみたいな事できるか」
ただでさえ夏の間は冬物を、冬の間は夏物の服をこっそり優奈が自分の家に運んで出来るだけアパートのクローゼットがいっぱいにならないようにしていることに気づいていた。
夕飯を終えて片づけを済ませ2人でテレビを見ていると芸能人が趣味を公開するというコーナーがやっている。
「そういえばあたしが事務所作れたら勝也は芸能人になるのかなぁ」
「芸能人…じゃないんじゃないか?ただのスタジオミュージシャンだろ」
「そういうのって芸能人とは言わないの?」
「公に名前出して仕事するわけじゃないしな。誰かがCD録る時のバックだとかライブで弾くぐらいだから」
「ふ~ん…なんかそれも芸能人ってイメージだけど」
そのコーナーの中では相当お金に余裕があるっぽい趣味が色々と出ていて、大きな倉庫を借りてバイクをたくさん並べてみたり専用のマンションを借りて趣味部屋を作っているといった別次元の紹介がされている。
「勝也って昔から趣味とかなかったの?」
「趣味………ベースぐらいだろ」
「だからそれは趣味のレベルじゃないってば」
「だって他に何にもやってこなかったもん」
「そっか、特に集めてるモノとかも無いもんね…なんか物欲とかってないの?」
「欲しいモノって事?…ん~~と…え~っとぉ……ん~…」
「…聞いたあたしがバカでした」
本当に物欲の無い男だ。
付き合って2年弱、あれが欲しいこれが欲しいといった言葉をほぼ聞いた事が無い。
まだブランカが存在していた頃も弦やメンテナンスグッズなどベースに必要なものにはお金を使ってはいたがそれ以外は節約しているのだと思っていた。
だがブランカが解散し父の優しさのおかげで生活に多少の余裕が出来てからも家賃や光熱費以外の生活費の部分はバイトで稼ぐ金額範囲の事しかしない。
普通の高校3年生の男子であれば服やアクセサリーなどにも多少お金をかけそうなモノだが、着こなし1つで何通りもイメージを変えてしまう勝也だけに多くの服は必要ないのだった。
翌朝、今日も特に予定は無く目が覚めてからもまだ布団の中でイチャイチャしている時
「バイクとか車もあんまり興味ないの?」
「ん~、無いことはないけど別にアレ欲しいとかこんなの乗りたいとかまでは無いかな。車の免許は取るつもりだけど」
「わ~♪勝也の助手席…ヤバ、すっごい楽しみになってきた」
「やっぱ行動範囲は広くなるしな。遊びとか買い物も行きやすいし実家帰るのも確実に電車より車の方が早いだろうし」
「んじゃ車貯金しないとね、どんなのにする?」
「どんなのって…別に軽とかでいいんじゃねぇの」
「え~…軽って狭いじゃん」
「その分運転席と助手席の距離は近いぞ」
「あ、軽でいい!(笑)」
予定のない日曜日は布団からなかなか起き出さず、そのまままた始まってしまう事も多い。また今日も朝からそのパターンとなり結局2人が起き出したのはお昼頃だった。
今まで家賃や光熱費も自分で支払っていた分がかからなくなり、その分バイトを減らしたとはいえ以前に比べると多少の余裕は出来てきた勝也。
新たに2人で少しずつ貯金を始めたのだがそれでもたまには外食をする事も増えてきた。
「なんか作ろっか」
「買い物ついでに食べに出てもいーよ」
「やった!デートだ♪」
駅前まで出るとご飯を食べそれからブラブラとデートする。
「あれ、こんなトコに家具屋さん出来てる」
「ホントだ…気づかなかったな」
「ねーちょっと見て行こーよ」
中に入ると可愛いテーブルやタンスなどの家具が並んでいる。
目をキラキラさせながら同棲生活を想像して楽しそうに見て回る優奈とそれに付き合う勝也。
その帰り道
「ねぇ、どんなトコに住みたい?」
「ん?」
「卒業してすぐっていうのは無理だと思うけどやっぱ今のアパートじゃいつか手狭になってくるでしょ。引っ越すとしたらどんなトコがいい?」
「…引っ越す…の?」
「そりゃいつかはそうじゃないの?」
「そっか…」
「イヤ?」
「イヤって訳じゃないけど…べつにお前が気に入ったトコでいいよ」
「……え?」
寂しい気分だった。
勝也も自分と同じように卒業後や将来の『生活』の事を真剣に考えてくれていると思っていた。
だが一番重要ともいえる新居の話題になると急に乗り気でなくなった気がしたのだった。
それからなぜかその話題には触れたくなくなり、気分的に少し不安な思いが生まれた。
普通に会話もし、ついでに夕飯の買い物もして楽しく笑いながらアパートに戻る。
だが優奈の心の中にはずっとホンの少しだけ違和感が残っていた。
あの会話以来優奈の口から将来の事についての話題が出ることは無くなったものの平穏な毎日が続く。
ある日優奈のスマホが鳴った。
「おーっす!優奈、明日の夜ヒマー?」
「あ~みぃちゃん!うん大丈夫だよ」
「今はあんまお店とか行けないから涼子んトコで家飲みしよーって事になったんだけど」
「了解しました~」
今日は休み前だったが勝也だけバイトの日であり、パパッと勝也の夕食を作り上げると置手紙をしてアパートを出た。
何度か行った事のある涼子のマンション。
さすがは何店舗もショップを構えるオーナーらしく、この歳で住めるのが不思議なほどの高級マンションである。
インターホンを鳴らしてオートロックを開けてもらいエレベーターに乗って涼子の部屋へ。
「おー、いらっしゃい」
「お邪魔しまーす!あれ紗季ちゃんは?」
「もう来るんじゃない」
紗季を待っていると、それよりも早く宅配のオードブルなどが届き始める。
「何回来てもやっぱこの部屋は凄いなぁ~」
「そりゃぁ頑張りましたもの」
「最初はワンルームからのスタートだったよね」
「え…そ、そうなの?」
「当たり前じゃない、いきなりからこんなトコ住める訳ないでしょ」
「そっかぁ。でもみぃちゃんの部屋も広いし紗季ちゃんは実家だけどおっきい家だし…なんか羨ましい」
「アンタの実家だって大きいじゃん」
「でも卒業したら出ちゃうもん」
「え、一人暮らしすんの?」
「…いや、えっと…その……ふたり…」
「はあぁぁぁぁぁ?????アンタまさか…ど、同棲ぃぃぃっっっ????」
「…えへ♪」
「えへ♪じゃねぇよっっ!!!!」
ちょうどその叫び声と共に紗季が到着したとインターホンが鳴った。
「ちょっと紗季ぃ!優奈ったら卒業したら勝也と一緒に住むんだってぇぇ!!」
「はぁぁ???アンタそんなの両親が…」
「いいって言ってくれたもん」
それから勝也が一緒に住もうと言ってくれた時の事やあの日の両親とのやり取りを話し始める。
乾杯もろくにしないままお酒は進み、一通りの話が済んだあたりで
「なんかさぁ…昔、樹の事でみんな勝也の事心配してた頃がウソみたいだね」
「あたしもそれ思った。あの頑固坊主がここまで変わるかねぇ」
一番勝也の世話を焼き実の弟のように可愛がってきた涼子はもう涙ぐんでいる。
「でも…最近ちょっとだけ不安な事があるんだぁ」
「不安?」
「うん、こないだね…」
それから今度はあの新居の話をした時の勝也の反応の事を話し出す。
「アンタなんでそれ本人に聞かないの?」
「聞くって…なんて?」
「一緒に住む部屋を探すのに乗り気じゃないのはなんでなのとか…」
「だって何て言われるかわかんないんだもん」
「わかんないから聞くんでしょ」
「今更『やっぱ同棲はもうちょっと考え直そ』とか言われたら…」
「それは100パー無いよ」
自信満々な3人の顔。
「どうして?」
「あの男が一度決めた考えをそう簡単に変えると思う?」
「……あ……」
「アイツの事だから考えて考えて出した結論でしょ?だったら覆す事はまず無いよね」
「そっか…」
やはりこの3人の『姉』達は勝也の事を本当に理解していた。
優奈自身もそう思っていたはずだったが、不安な気持ちが先行して一番根底にある部分を忘れていたのだった。
「いい時に女子会したね」
「これは優奈の怨念が開いた集まりだったんだ」
「ちょっと…怨念はヒドくないっ?」
それからはいつも通りの女子会となり飲んで騒いで笑い転げた。
そこそこの時間になった頃、紗季が
「あたし明日も出勤になっちゃったからそろそろ帰るね」
「えー?つまんねー」
「あたしが朝まで付き合ってやるよ」
「優奈は?帰るんなら通り道だし一緒にタクシー乗っけてってあげるけど」
「あ、じゃあ乗せてもらおっかな」
少しだけ片づけをしてからカバンを持って帰りがけの玄関で涼子に呼び止められる。
「優奈ぁ」
「ん?」
「不安な事とか気になる事があるならちゃんと本人に聞かなきゃダメだよ。幸せになろうとしてるんだからマイナスな事考えてるヒマは無いでしょ?」
「……うん、ありがと!」
それから紗季と2人でタクシーに乗り、楽しく会話しながら家へ向かった。
そしてもうすぐ家に着こうかという頃
「どっち?」
「え?」
「家?それともアパート?」
「あ、じゃあアパートで」
結局タクシー代は受け取ってもらえず、御礼を言って車を降りた。
見上げてみると部屋には電気が点いている。
そのまま階段を上がってカギを開け部屋へ入ると勝也は台所で洗い物をしているところで
「…ただいまぁ」
「え…お、おかえり。てっきりそのまま帰るんだと思ってた」
「来たらダメなの?」
「…なんで機嫌悪いんだ?」
その問いかけには答えない優奈。
靴も脱がずに玄関に立ったまま
「…聞きたい事があるの」
「ん?」
「卒業したら一緒に暮らそうって言ってくれたよね」
「あぁ」
「その気持ちは変わってない?」
「変わってないよ」
「だったらどうして引っ越しの話とか新しい部屋の話には乗り気じゃないの?」
「……………」
「すぐには無理だとしてもいつかその時が来たらってちゃんと言ったのに…『お前が決めればいい』って言ったじゃん」
「……………」
「ちゃんと考えてくれてるの?」
「考えてるよ」
「だったらなんで…」
するとしばらく黙っていた勝也が
「なぁ優奈…俺ってお前の事務所に入ったら給料って出るの?」
「…え?」
「もし出ないならバイトとかってしてもいいの?」
「今そんな事…」
「俺、バイトでも何でもするからこの部屋だけは借り続けていいかな」
「…え?」
驚きの返事だった。
それは優奈が思いもしなかった内容で
「俺だってお前をもっと広い部屋に住ませてやりたい。好きな家具とかカーテンとかお前の思い通りの部屋で一緒に暮らしたい」
「…………」
「でもさ、新しい部屋に引っ越すって事はここを出ていくって事だろ?」
「……うん」
「俺たちが出ていくってことはその後また誰かがここに越してくるだろ?」
「……うん」
すると少し間をおいて
「ここはずっとお前と過ごしてきた部屋だ。お前との想い出がいっぱい詰まってる。寝室もリビングも、トイレも風呂も…この台所だってずっとお前と2人で使ってきた。だからここに知らない人が住むってのがどうしても我慢できなくて…」
「…あ……」
勝也は新しい家に移るのがイヤだったのではなくこの部屋を出ていくのがイヤだったのだ。
今までずっと優奈と過ごしてきたこの空間を宝物のように大事に想っていたのだった。
勝也の本心を聞いた途端に一気に涙があふれ出た。
無関心だったのではない…いや、自分よりももっと真剣に先の事を考えてくれていた。
そしてそれと同時に今までの想い出さえも無くしたくないと大事に思ってくれていた。
自分に腹が立った。情けなかった。そして恥ずかしかった…。
涼子たちが言ったようにこの男がそう簡単に考えを変えるはずがない。
それどころか自分よりももっともっとたくさんの事を考えていた。
一番浅はかなのは自分だった。
蹴り飛ばすように靴を脱ぐとそのまま勝也の胸に飛び込む。
「…ふえええぇぇぇぇぇぇん……」
「なんで泣くの?」
「だってぇぇ……」
しばらく泣き続けた優奈。
こんなに幸せな気持ちにしてくれる男を少しでも疑った自分が許せなかった。
「……ごめんなさい…」
「なんで謝んだよ」
「あたしが間違ってた……」
「間違ってはいねぇだろ」
「やっぱりここにいよ?あたしもこの部屋がいい」
「いつまでもって訳にはいかねぇけどな」
「ううんずっとここがいい。いつかこのアパートが取り壊しになるまで」




