転生しても「卓球が……したいです……」とか思ってたんだけど、気が付くと、なぜか国家間の争いに参加してた
気が付くと、何も見えなかった。
とはいえ、真っ暗というわけではない。
周囲は明るい。それは分かる。でも、はっきりとは見えない。まるで、眩しすぎて周囲が見えないときのような。
俺は状況が理解できなかった。混乱して、泣き喚いてしまった。
「どうしたー? 卓也ー? ミルクか? それとも、ウンチしちゃったかなー?」
男の声が聞こえた。赤ん坊に話しかけるような猫撫で声だった。
すぐに、体を包む感触。抱き上げられたのだと気付いた。
嘘だろ? 俺、中学三年だぞ? それを、猫みたいに抱えやがった。
驚いたせいか、かえって俺は冷静になった。じっくりと、今に至るまでの記憶を辿ってみた。
今日は中体連の日だ。ラケットとボールを鞄に詰め込んで、学校指定のジャージを着て、俺は試合会場に向かった。市内の体育館。
卓球の地区予選の日。
去年、俺は、二年生にして全国大会の決勝まで勝ち進み、惜しくも敗れた。
幼い頃からやっていた卓球。正直なところ、自信があった。それだけに、日本一になれなかったときは悔しかった。
だから、それこそ血の滲むような練習をした。ただ量をこなす練習じゃない。時間は有限だ。いかに効率的に自分を磨く練習ができるか。それが鍵だと思っていた。
実際に、俺は、この一年で格段に強くなったと思う。今年こそは日本一に。今日はそのスタート。意気込んで家を出た。意気込み過ぎてズンズンという足取りで歩いていたら、石に躓いた。電柱に頭をぶつけて、意識が遠のいて。
気が付いたら、今になっていた。知らない男に、猫みたいに抱きかかえられている。
いや。まてよ。
この男、今、ミルクだのウンチだの言ってたよな? 赤ん坊に語りかけるみたいに。
俺の頭に、最近放送している数本のアニメが思い浮かんだ。死んで、生まれ変わる。つまり転生。
まさか、と思った。
そのまさかは、見事に的中していた。
俺は電柱に頭をぶつけて死に、転生したんだ。
◇
転生して五年が経った。
月日を重ねても、俺の前世の記憶は消えなかった。
どうやら俺が転生したのは、未来らしい。異世界なんかじゃない。日本語も通じるし、名前の形式や世間の常識も、概ね日本と同じだ。文明の程度も大きく変っている様子はない。
それなら、と思った。前世では達成できなかったことを目標にしよう。
つまり、卓球で日本一になる。
前世の俺は七歳から卓球を始めた。
目指すものがあるなら、できるだけ早く始めた方がいい。
幸いというか、なんと言うか。俺の両親は、俺を天才だと思っていた。他の子よりも早く言葉を覚えたからだろう。
「ウチの子は天才だ!」
両親揃って、絶叫を上げていた。
まあ、言葉は覚えたんじゃなく、知ってたんだけどな。
ある日、俺は、夕食の席で両親に伝えた。
「お父さん、お母さん、僕、卓球がしたい」
俺に言われた直後、両親の顔付きが変った。
母は、右手に持っていた箸を落とした。ついでに、箸で持っていたコロッケも落とした。
父は、味噌汁が入ったお椀を落とした。バシャリと床に散らばる味噌汁。おまけに、驚いて口を開けたせいで、口の中の味噌汁もこぼれた。
二人は目を大きく見開き、カタカタと震えている。父の口から、味噌汁の具のワカメが顔を出していた。父自身が震えているので、口から出たワカメも震えている。
なにその反応? 俺、そんな変なこと言ったか? ただ、卓球がしたいだけだぞ?
両親は言葉を失っていた。父にいたっては、ワカメを口から出したままで。二人の表情が曇ってゆく。苦虫を噛み潰したような、渋い顔になった。
やがて、父が言葉を発した。ワカメを口から出したままで。
「そうか……。タッキュウか……。お前も男の子だもんな」
そう言った父は、やはり震えていた。口から出たワカメも、やっぱり震えていた。
「嫌よ!」
母親が立ち上がった。バンッとテーブルを叩いて。その拍子に、彼女の味噌汁がこぼれ、父の手にかかった。
「熱っ!!」
父は叫び、味噌汁がかかった手を振り上げた。叫んだ拍子に、彼の口からワカメが飛んだ。
「タッキュウなんて絶対に駄目! タッキュウなんて……タッキュウなんて……」
母も震えていた。その目には、涙が浮かんでいた。父の手に味噌汁がかかったことも、父の口からワカメが飛んだことも気にしていない。
ちなみに、飛んだワカメは俺の頭の上に落下した。
「駄目よ……タッキュウなんて……」
とうとう母は、両手で目を覆って泣き出した。
何なんだ、一体。卓球の何が駄目なんだ? 少なくとも、スポーツとしてはかなり安全な競技だと思うぞ? 格闘技とかラグビーとかアメフトに比べたら、怪我の危険性も命の危険性もかなり低いし。
父は「お母さん、落ち着いて」と、母の肩をポンポンと叩いていた。味噌汁がかかった父の手には、具のワカメが張り付いている。
「卓也は男の子なんだ。タッキュウを志しても不思議じゃない。むしろ、この子の才能を、俺達の我が儘で閉じ込めちゃ駄目だ」
「でも……でも……」
いや、なんだよこの光景。
父と母の反応が理解できず、俺は呆然としてしまった。俺は卓球がしたいって言っただけなのに。まるで、自分の子が戦争にでも行くような雰囲気だ。
食卓は、意味不明な悲しみに満ちていた。泣く母。母を慰める父。意味が分からず、何も言えない俺。
もう、誰も何も言えなくなっていた。
父の手に張り付いたワカメは、少しずつ乾いていった。
◇
両親――というか、母――が卓球を許可してくれたのは、俺が八歳になった頃だった。
「わかった。私も腹をくくる。タッキュウをやりなさい」
夕食の席で、母は、決意のこもった目で言った。食卓に並ぶ味噌汁の具は、やはりワカメだった。
俺が通うことになったタッキュウ教室は、県警本部近くにあった。五階建てのビルの全フロアが、タッキュウ選手育成のために使われていた。教室、なんて表現が似合うものじゃない。タッキュウ選手養成所といった雰囲気だ。
この三年間で、俺も、それなりに世間のことを学んだ。
まず、この時代の卓球は、カタカナで「タッキュウ」と表記される。さらにここからが重要だ。タッキュウは、国家間で争いが起こったときに、どちらの国の主張を通すか決定する競技だという。いわば、戦争の代わりにタッキュウで勝敗を決するのだ。
なぜタッキュウで決するのかは分からない。でも、平和的でいいことだと思う。少なくとも、戦争で無駄な死人が出ることはない。物資が不足することもない。当然、経済恐慌に陥ることもないだろう。
戦争の代わりといっても、タッキュウのルール自体は卓球と大差ない。十一点先取で、そのゲームは勝利。ただし、両者が十対十で並んだ場合は、そこから二点先取した方が勝利。先に三ゲーム先取した方がその試合の勝者となる。
養成所に入ってすぐ、俺は神童と呼ばれるようになった。前世での感覚が残っているのだ。しかも、この時代のタッキュウ選手は、前世の時代と比べて平均レベルが低い。
俺は十歳にして、上級者が集まる練習に参加するようになった。周りは大人ばかりだった。
上級者コースのコーチは、はっきり言って恐かった。国家間での戦いの際、日本チームの監督も務める人だという。タッキュウ選手らしからぬ一八〇ほどの長身に、スキンヘッド。左目には、海賊の船長のような黒いアイパッチ。頬に十字傷まである。なんの漫画の強面キャラだよ――と、思わず叫びそうになった。
コーチは、見た目通り厳しかった。まるで軍隊のような訓練を選手に強いた。練習終わりには、必ず言っていた。
「日々の鍛錬、および裏技の習得を怠るな。以上」
コーチの言う「裏技」の意味が、俺には分からなかった。
たぶん、得意な必勝パターンが通じなかった場合の、サブウエポン的な技術を身につけろということだろう。
俺は勝手にそう解釈した。
まるで軍隊のような研鑽と訓練の日々。そんな毎日は、確実に俺を強くしていった。十三歳になる頃には、中学の大会を飛び越えて、全日本選手権で優勝するほどになっていた。名実ともに、文句なしの日本一だ。
日本一になったときは、嬉しかった。人生で一番どころか、前世も含めて一番嬉しかった。
ただ、両親は、どこか複雑な顔をしていた。特に母は、夕食の席で「おめでとう」と言いながら、涙を流していた。それは明らかに、嬉し泣きではなかった。
母の涙が、味噌汁の中に落ちた。味噌汁が波打っていた。
味噌汁の具は、やはりワカメだった。
◇
俺が十五になったときだ。
隣国との争いが勃発した。島国である日本と、大陸の一部である敵国。その間にある領海問題で揉めたのだ。日本と敵国の間にある海には、ワカメが大量に生息している。
この時代は平和だ。いきなりミサイルをぶっ放すなんて、決して許されない。
主要国首脳会議が開かれ、日本と敵国の争いは、タッキュウでの勝負に委ねられることになった。
十三のときから三年連続で日本一になっている俺は、当然のように、日本代表に選出された。
国家間で争うタッキュウに、ダブルスはない。各国が五人ずつ代表を選出し、それぞれ一対一で戦うのだ。先鋒、次鋒、中堅、副将、大将。五戦行い、勝ち星の多い方の勝利。まるで武道の団体戦だ。
試合は日本で開催されることとなった。開催国も、主要国首脳会議での決議により決定された。日本が開催国になった理由は、敵国よりもワカメの消費量が多かったからだという。どこまで本当かは分からないが。
試合の日になって、俺達日本代表は会場入りした。大きな武道館。
観客席は、すでに満員だった。おおおおおおおおおっ!――という歓声。それは、歓声というよりも怒号だった。会場中が、異常なほどの興奮に包まれている。
会場の中央部に設置された、ひとつのタッキュウ台。
「……は?」
会場にあるタッキュウ台を見て、つい、俺は間の抜けた声を漏らした。
タッキュウ台が、金網で囲まれているのだ。まるで、デスマッチの試合場のように。
金網の中には審判がいる。金網越しに審判の姿は見えるのだが、その性別は分からない。理由は簡単だ。審判は、全身に鎧を纏っていた。顔まで完全に覆い尽くす、中世ヨーロッパの騎士のような鎧。
タッキュウ台を囲む金網の外。両サイドに、椅子が六つずつ用意されている。各国の選手とコーチが座る椅子だろう。
「あのー、コーチ?」
俺は、傍らにいるコーチに疑問を投げかけた。この日に備えて、コーチは、アイパッチを新調したらしい。いつもは黒い彼のアイパッチが、今日は白だった。日本国旗を模倣するように、中心に赤丸がある。
「なんだ、卓也」
ギロリと、コーチが俺を睨んできた。恐ぇ。この人、絶対、元タッキュウ選手なんかじゃねーよ。元人殺しだよ。間違いなく、五、六人は殺ってるよ。
コーチの迫力に気圧されながら、俺は、素直に疑問を口にした。
「何なんですか? あの金網。それに、審判のあの格好」
「……あ?」
コーチのスキンヘッドに青筋が浮かんだ。
「お前、何馬鹿なことを言ってるんだ?」
「あ……いや……」
いやいやいやいや、恐ぇよ! 五、六人じゃなく、七、八人は殺してる奴の顔だよ、これ。アイパッチをしていない方のコーチの目は、血走ってて真っ赤になっている。今にも誰かを殺しに行きそうな目だ。
俺は何も言えなくなった。「いや、何でもないです」と言うのが精一杯だった。
俺達は、自国選手用の椅子に座った。
会場では、二カ国語で、大会の説明がアナウンスされた。続いて、選手の紹介。日本チームの大将は俺だった。つまり、最終試合。
明らかにおかしいタッキュウ台。コーチの血走った目。異様な観客の雰囲気。
馬鹿でも分かる。この雰囲気はただ事じゃない。普通にタッキュウをする雰囲気じゃない。
とはいえ、コーチには聞けない。恐い。
幸いというか、何というか。俺は大将だ。つまり、試合までまだ時間がある。
俺は自分のスマホを取り出し、国家間のタッキュウ勝負について調べてみた。ブラウザを立ち上げ、検索文言を入れる。
『タッキュウ 国家間 試合』
検索結果のトップに、浮きペディアという情報サイトが出てきた。ページのタイトルが表示されている。
『国家間のタッキュウ――断球。その歴史と成り立ち』
俺はそのページをタップした。
◇
『国家間のタッキュウ――断球。その歴史と成り立ち』
■タッキュウ
漢字表記では断球と書く。現代では、競技としてのタッキュウと国家間紛争の断球は明確に分別されている。
競技の発祥は、古代バンビローンニア帝国というのが通説である。
【成り立ち】
この競技を生み出したのは、古代バンビローンニア帝国の奴隷達である。
彼等は、当然ながら、武器も遊具も与えられなかった。一日中支配者のもとで働かされ、少ない食事を与えられ、劣悪な環境で眠る。
そんな彼等が娯楽を求めるのは、当然であった。
あるとき、奴隷の一人が、建築の際のゴミとなった小さな石版で、小石を打って遊んでいた。
周囲の奴隷達も便乗した。
やがてその遊びに、台が加わった。台の上で小石を打ち合うのである。
その競技は、瞬く間に、奴隷達の間で大流行となった。一日の労働の疲れを、遊びで癒す。一日のストレスを、小石を打つことで発散する。奴隷達がその競技に夢中になるのは、当然であり必然と言えた。
日々繰り返される遊び。それはいつしか一つの競技となり、技術は研鑽され、芸術のごとく磨かれていった。
そんなあるとき。
一人の奴隷が気付いた。
「これだけ威力のあるショットが打てるなら、支配者層にも対抗できるんじゃないのか?」
小石を打ち出す速度は、現代の単位で言えば時速百キロメートルを上回っていた。そんな速度で小石を打ち出すのだ。それがもし、人間に当たったら。奴隷達がそう考えるのもまた、必然であった。そして、運命でもあった。
こうして、奴隷達は一念発起した。支配者層への反乱を起こした。
これが、俗に言う「バンビローンニア小石と石版の八日間戦争」である。
【戦争の結末】
期間こそ短かったが、八日間戦争の凄まじさは後世に語り継がれるほどであった。無数に打ち出される、高速の小石。対抗するように放たれる、支配者層の矢の雨。
血で血を洗うその戦いは、支配者層の長のこんな一言で終結を向かえた。
「その競技で勝敗を決めないか?」
支配者層の長は、魅せられてしまったのだ。あまりに華麗な、奴隷達のショットに。その素晴しい技術に。その証拠に、長は、奴隷達の中でも特に素晴しいショットを打つ二人に、迷わず貴族の地位を与えたという。
そして断球は、争いのない世の中では「タッキュウ」として親しまれ、争いの場では「断球」と呼ばれるようになった。
【その後の歴史】
争いの場での断球は、タッキュウとは一線を画す。タッキュウはスポーツであり、断球は戦争なのだ。
とはいえ、タッキュウと断球のルールに大きな差はない。一ゲーム十一点先取した方の勝利。三ゲーム先取した方が勝者となる。
ただし、断球は戦争である。命の奪い合いである。それ故、銃火器以外の武器の使用が認められ、かつ、競技中の相手への攻撃も認められる。
多くの者が利用するのは、投げナイフやダーツだ。タッキュウの試合をしつつ、相手を攻撃する。自陣から離れず相手を攻撃するのに、この二つは打って付けと言える。
ただ、中には、自陣を捨てて相手を直接攻撃する者もいる。
戦争という性質上、三ゲーム先取する前にどちらかが死亡した場合は、生き残った方が勝者となる。つまり、敵陣に攻め込むのは、ある意味で特攻と言えた。自陣を捨ててポイントを失いつつも、相手を斬る。
命を狙い合う戦争なのだから、断球の試合において死者を出さないケースは稀である。歴史上、死者が出なかった事例は、判明しているものでは二回しかない。
断球によって、多くの死者が出る。これはまさに、奴隷が起こした反乱の名残と言えよう。いや、そもそも、断球の本質とは、命を賭けた戦いなのだ。
当然ながら、我が子にタッキュウをやらせる親は少数である。強くなればなるほど、戦争に駆り出される可能性も出てくるのだから。
まして、自分の子を天才と思っている親馬鹿は、決して我が子にやらせないだろう。天才の我が子は瞬く間に腕を磨き、トップに立ち、いずれ戦争に駆り出される――そんな未来を想像してしまうから。
タッキュウを我が子にやらせた時点で、親は覚悟しなければならない。我が子を、戦いの中で失うことを。
口からワカメをはみ出しながら。
◇
アホかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?
思わす俺は、スマホを床に叩き付けそうになった。
なんだよ断球って!? 命を断つから断球ってか!? 冗談にしてはブラック過ぎるって! だいたい、ほとんどのケースで死者が出るって、そんなんただのデスマッチじゃねーか!!
ってか、そんな決着の付け方するなら、タッキュウの意味なんてほとんどねーだろ! 食玩に付いてる小さいお菓子くらい無意味だよ! それならいっそ、肉弾戦で決着つけろよ!!
心の中で絶叫しつつ、声に出すことはできなかった。俺の隣には、血走った目のコーチが座っている。
だがコーチは、俺の様子がおかしいことに気付いたらしい。人殺しの目で俺を睨んできた。
「どうした卓也。まさか、怖じ気付いたんじゃないだろうな?」
この顔は連続殺人犯の顔だ。下手なことを言おうものなら、絶対に殺される。とてもじゃないが「命の取り合いなんて冗談じゃない」なんて言えない。そんなことを言ったら、試合に出る前に殺される。
まさに、前門のコーチ、後門の断球だ。
まずは目先の安全を確保しないと。本能的にそう悟った俺は、乾いた笑みを浮かべて見せた。脇と背中は汗でビッショリだったけど。
「いやぁ、もう、血が騒いで騒いで。早く大将戦になってほしいですよ」
俺の言葉を聞いて、コーチはニイッと笑った。シリアルキラーはこんなふうに笑うんだろうな。
「そうだろうそうだろう。昔の断球で片目を失っていなければ、俺が出場したいくらいだ。鉄球を相手に叩き付けたときの感触が忘れられなくてな」
あ。こいつ、完全に混じりっ気なしの快楽殺人者だった。俺、こんなヤバい奴の指導を受けてたのかよ。
隣の狂戦士に恐怖を覚えつつ、俺は、黙って試合を見る事しかできなかった。逃げようものなら殺される。それならせめて、できるだけ死なないように試合をするしかない。
もう、日本の勝ち負けなんてどうでもいいよ。領海域のワカメなんてどうでもいいよ。味噌汁の具はワカメだけじゃないからな。
試合は、淡々と、しかし残酷に進行した。
先鋒戦は日本の勝利。二ゲーム目で五点リードされた時点で、こちらの投げナイフが相手にクリーンヒットしたのだ。相手は大量出血し、病院に緊急搬送された。
どう見ても卓球の試合じゃない。
次鋒戦は相手の勝利。相手の投げた鉄球が、こちらの選手の頭にクリーンヒットした。頭蓋骨が陥没したこちらの選手は、病院に緊急搬送された。
なんなんだよ、この競技。
中堅戦も相手の勝利。トリカブトの毒を塗り込んだ吹き矢を受け、こちらの選手が病院に緊急搬送された。
どこの暗殺者だよ、あいつ。忍者かよ。
副将戦はこちらの勝利。二ゲーム先取されたこちらの選手が、ナイフを持って、相手に突っ込んだのだ。刺された相手の選手は、病院に緊急搬送された。
もう卓球の面影すらない。ただの通り魔事件だ。
そしてとうとう、俺の出番が回ってきた。
これまで二勝二敗。俺の勝敗が、そのまま日本の勝敗となる。
「卓也ぁ! 負けたらどうなるか、分かってるんだろうなぁ!?」
試合会場――というか、金網の中――に足を進めた俺に、コーチが叫んだ。見ると、彼は、ナイフを手にしていた。人なんか簡単に八つ裂きにできそうな、ゴツいサバイバルナイフ。血に飢えた大型肉食獣の目でこちらを見ながら、刀身をベロリと舐めていた。
ヤバい。これ、負けたら殺されるやつだ。怪我をしないように適当に負けるなんて、できっこない。
タッキュウ台を挟んで、俺は相手と向かい合った。
相手の男は、人相が悪かった。彫りの浅い能面のような顔立ち。ギョロリと飛び出しそうな目。凶悪な魚みたいな顔だ。
試合が始まった。
相手は、サーブと同時にナイフを投げてきた!
俺の卓球の腕を舐めるな!
俺は、ボールとナイフをほぼ同時に打ち返した。
ナイフは明後日の方向に飛んで、審判に当たった。ボールは敵陣地でワンバウンドして、相手のラケットを空振りさせた。
まず、俺の一ポイント。
ナイフが当たった審判は無傷だった。まあ、全身を鎧で覆っているからな。
再び相手のサーブ。
相手は投げナイフ使いか。でも、それなら、ボールと同時に打ち返せばいい。俺の動体視力を舐めるなよ。
……って、なんだよ投げナイフ使いって。卓球で投げナイフって、意味わかんねーよ。
幸いというか何というか、相手の卓球の腕前自体は、大したことなかった。
俺は順調にポイントを重ね、一ゲーム目二ゲーム目と連取した。勝利まで、あと一ゲーム。あと一ゲーム取れば、俺はコーチに殺されずに済む。
三ゲーム目も、順調にポイントを重ねた。六ポイント連取した。
だが、体力の消耗が激しい。当然だ。俺は何の武器も持たず、投げナイフを捌きながら試合をしているんだ。命がけの緊張と、試合そのものの疲労。膝が震えるほど消耗していた。
金網の中には、相手が投げた百本近くのナイフが散らばっている。全部、俺が打ち返したものだ。
ってか、あいつ、何本ナイフ持ってんだよ? どこにナイフを隠し持ってるんだよ? あいつのポケットは異世界にでも繋がってるのか?
尽きることのない相手のナイフ。疲労が蓄積していく俺の体。
俺は頻繁にミスをするようになってきた。少しずつポイントが追いつかれて、とうとう七対七になってしまった。
まずい。疲れ過ぎて、もうナイフを打ち返すだけで精一杯だ。ボールを正確に打ち返せなくなってきている。
サーブの順番が俺に回ってきた。ボールを左手に乗せながら、俺は、ちらりとコーチの方を見た。
負けたら八つ裂きにすると、コーチの顔には書いてあった。
どうする? 俺は自問した。どうやって勝つ? どうやって生き残る?
俺は飛び道具なんて用意していなかった。純粋なタッキュウの試合だと思っていたから。つまり、俺が勝つには、純粋にタッキュウで――卓球で打ち負かすしかない。もちろん、投げナイフを捌きながら。
けれど、もう体力がない。正確にボールを打ち返せば、投げナイフの餌食になる。投げナイフを防げば、ポイントを失う。
四面楚歌。八方塞がり。絶望が俺を包んだ。俺に残された道は、死しかないのか。
吐きそうなほどの恐怖に包まれた。投げナイフの餌食になるか、コーチに惨殺されるか。嫌だぞ、そんな死に方。前世では電柱に頭をぶつけて死んで、現世では殺される、なんて。
俺は卓球をやり切って、満足して、そのうち後世の選手を育てて、子供や孫に囲まれて、穏やかに死にたかったんだ。馬鹿な死に方も痛々しい死に方もしたくない。
こんな境遇に陥るほど、俺、悪いことしたか? 前世で悪行でも重ねたのか? いや、前世では電柱に頭をぶつけて死んだだけだ。それなら、前々世か。もしくは、前々々世か。
恐怖のあまり、つい、馬鹿なことを考えてしまった。
もしかしたら、それがよかったのかも知れない。
俺の頭の中に、光が走った。この状況を打破する光明。
俺は目を見開いた。
いける! 俺ならできる! 俺のコントロールを持ってすれば!
サーブを打つため、俺は、手の平のボールを宙に放った。
そして、ラケットを振った。振ると同時に、手放した。勢いを付けて。相手に向かって投げるように。
ヒュンという空気を切る音。直後、俺のラケットは、相手の顔面にクリーンヒットした。丁度、両目の辺りに。
「おっぱぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
謎の悲鳴を上げて、相手は両目を押さえ、その場に倒れた。床の上で、体をくねらせながら藻掻いている。
「○■▽××××◇◇○●ーっ!!!!」
悲鳴の後、相手は何かを叫んでいた。敵国の言葉だから、何を言っているかは分からない。たぶん「目がー! 目がー!!」とでも言っているのだろう。
俺は相手を無視して、サーブを打った。当然、簡単に入った。俺のポイント。
俺のサーブの順番が終わり、相手にサーブ権が移った。相手は目が見えない状態のようだ。明後日の方向にボールは飛んでいった。俺にポイントが追加された。
こうして俺は、三ゲーム目も勝利した。最終的な三ゲーム目のポイントは、十一対七。
勝ったんだ。殺されずに済んだんだ。
恐怖から解放された俺は、涙を流しながら両手を振り上げた。
その涙は、傍目から見たら、命がけの戦いで勝利した勇者の涙に見えたのかも知れない。
最終の決着戦でストレート勝ちし、自国を勝利に導いた。試合後、俺は、国の英雄となった。マスコミ各社が家を訪れ、テレビ出演の依頼も数え切れないほどきた。
当然、モテまくった。芸能人からモデルまで、色んな女の子に声をかけられた。
巨乳のアイドルの子と付き合いながら、貧乳のモデルの子と浮気した。
俺が生きて帰ったことに、両親は喜んでいた。涙を流しながら俺を抱き締めた。母は、俺が帰宅してからしばらく、毎日泣いていた。息子が生きて帰った、安堵の涙。
そんな母に、俺はひとつのお願いをした。
「しばらくの間、味噌汁の具はワカメ以外でお願い」
あれを食用にしなければ、この戦争は起こらなかったかも知れないんだからな。
◇
二年後。俺は、浮気相手のモデルに刺されて死んだ。二股がバレたのだ。
そして、再度転生した。
転生先の卓球は、さらに過酷なデスマッチだった。