だいじょうぶ、と彼女は言った
傾いた荷馬車の持ち上げと、崩れた荷の積みなおしに人出が集められていた。セスもランスとシャムのところに応援を求めに行く。
「ランスだけか。シャムは?」
「さっきあっちの馬車に入ったきりだ」
まだ着替えてんのか。女子だなあ。あ、そうだ。
「ランス、あんまり頭の悪ぃ田舎モンに近づくなよ。イヤな思いすっから」
悪い連中ではなかった。でもそれだけに始末が悪い。
そっちに気持ちが行っていたので、つい無造作にシャムのいる馬車の幌を開けてしまった。
「おーいシャム! 力仕事なんで手伝ってくれや!」
「1回死んどくかコラァ!!!!!」
まだ着替えの途中だったシャムの罵声と、いろいろな小物が勢いをつけて飛んできた。
ラッキースケベとか言っている場合ではない。生死にかかわる。
「胸、なかったな、やっぱり」
「何見てるんだお前は……」
二人とも、確かに見ていたが口には出さなかった。上半身裸のシャムの背中に、袈裟懸けで斬られたような大きな傷跡があったことを。
***
結局、商隊は目標の場所までは到達せず、途中で野営することになってしまった。
「開けてて休みやすいとこだとは思うんだけどな」
ランスが言うと、
「だ・か・ら、余計怖いんじゃない」
まだ怒っている様子のシャムが切りすてる。
「おあつらえ向きすぎるよなあ」
空には月がよく見える。雲もなく、満月に近いそれは非常に美しいが、今夜はもう見ている暇はなさそうだ。月明りで見通しがいいのは都合がいい。守る方もだが、攻めてくる方にも。
商隊では夕食がふるまわれていたが、3人は受け取るだけで別々に取っていた。そのうちセスもシャムも、
「ちょっと野暮用」
と言い残してふらりといなくなった。一人残されたランスに、護衛の1人がおそるおそる何事か伝えていく。
しばらくして帰ってきたセスに、
「隊長が探してるらしい。多分守備位置についてだと思う」
「あ、そう。じゃあ行ってくるわ。お、シャムも帰って来たんだ。何してたん?」
「ヒーミーツ!」
「んじゃ俺も秘密―」
「子供か!」
セスが行ってしまった後、シャムとランスは2人で残された。
「やっぱり間接的なのよねー」
「何が?」
「命令とかね。何か言うとき、必ず間にセスを挟むじゃない。そんなに信用できないかな――っていうか、アイツより信用ないっていうのが腹立つわ」
「仕方ないさ。俺らはどこまで行っても“不審な隣人”なんだ」
「あきらめがいいのね」
「そりゃ、何十年もこれで生きてきたからな。あいつら怖いんだよ、よくわからない生き物のことが。自分だってエルフとかハーフとかよくわからないんだ、そんなのに生まれた以上あきらめるしか……」
「あたしは成人するまで、自分のことは“ちょっと変わった人間”をしか思ってなかった。そうやって育ててもらったのよ」
噛み締めるようにシャムは続ける。
「だからあきらめらんない。“血”なんかに助けられるのももう御免だわ」
「おーい、守備位置決まったとさ!」
帰ってきたセスが羊皮紙を開く。現在の商隊の場所と、周りの状況が簡単な図で描かれている。
「この辺に出るのは主にゴブリン。んで俺とランスは東側担当で、前衛の戦士たちの援護役ね。シャムは…南側のやつらを援護してくれってさ」
「セス、前衛の戦士は要らないって言ってきて」
「え?」
「大掛かりな魔法を使うとか言い訳して」
「さすがに1人じゃキツくないか? 配置換えしてもらってくるから」
「大・丈・夫!」
ニヤリと笑って、シャムはこういった。
「あたし、プロだから!」
「南は……西側が岩壁だから囲まれる心配もないし、東の俺らがそっち行きそうなやつに気を付けてりゃいいのかなあ」
「無茶しなければいいけど」
「つーかお前が止めるだろうと思ったんだけど」
育ちの話や、直前にあんな話されたら止めるに止められない。あいつは人間社会の中で立ち位置を確立しようともがいてたんだろうから。どうやらその真っすぐすぎる“育ち”がそれを阻害してる気はするけど、セスみたいな小狡い人間といるのは、悪いことではない、かもしれない。
パン。パシン! パキッ!
森に、大きくはないが聞きなれない音が響く。
「何の音だ!?」
「さっき、こういうのを周りに撒いてきたんだ」
「木の実か?」
昼間から、セスが手慰みにむしっていたように見えた木の実。
「踏むとああいう音がする。これで不意打ちはないだろ。あと裸足で踏むとちょっと痛いけどこれはオマケ程度な」
その音を皮切りに、夜の攻防が始まった。