俊冬と俊春の正体
さらに、視線を相棒に向けてみた。
「ふふふふふふんっ!」
相棒が盛大に鼻を鳴らしたその鼻息が、へたりこんでいるおれのつむじにふってきた。
人間も犬も冷たすぎる。もっとこう、寛大であたたかみのある態度はとれないものなのだろうか?
「にゃんこ、はやくしてください。また副長に叱られます。これ以上ひっぱったところで、さきほどの主計の二の舞になるかもしれません。かような悲惨きわまりない状況は、矜持のありすぎるにゃんこには耐えらられないでしょう?」
「なにを申すか、わんこ。わたしにたいして、エラソーなものいいをするのではない。そこまで申すのなら、おまえが申すがいい。いくらでも譲ってやる」
「はぁ?片腹痛し、とはこういうことですぞ。こういうことは、にゃんこの務めでしょう?口が達者なにゃんこの役割です」
「勝手にきめつけるでない。泣き虫わんこめが」
「おまえら、いいかげんにしろ。ならば、おれが……」
「承知しております、副長。申します。申しますので……」
俊冬が、右の掌をこちらにさしだしてきた。
一瞬、握手でも求めてきているのかと思った。が、すぐにちがうと判断した。さしだされている掌を握って立たせてもらいながら、かれがめずらしく腰に愛刀「関の孫六」を帯びていることに気がついた。
俊春の腰にも、かれの愛刀である「村正」がよりそっているのを認めた。
俊冬と俊春は、ともに名刀を所持している。それにもかかわらず、二人ともめったにそれを帯びることはない。それをいうなら、腰に帯びているときでも愛刀を遣うことはほとんどない。
おそらく、刀を遣わずとも体術やほかの武器で充分ってわけなのであろう。
二人とも、刀をどこか神聖化している節が見受けられる。それを遣うことが、神を冒涜するに等しいって思っている感がある。
気持ちはわからないでもない。
おれ自身、「之定」にたいしてそういう畏れおおいものを感じている。
それだけでなく、「之定」は親父の形見である。ゆえに、余計にそんな気持ちを抱いている
「にゃんこがぐずぐずしているから、主計は刀にまで妄想がうつってしまいましたぞ」
「だまれ、わんこ!」
俊冬は俊春を怒鳴り散らしてから、おれと視線を合わせてきた。
「おれたち《・・・・》もきみとおなじだと伝えたかったんだ、肇君」
かれの相貌に、めずらしく気弱な笑みが浮かんだ。それは視覚でわかったが、いまの言葉の意味はまったく理解できなかった。理解しようにも、うまく咀嚼できなかったようだ。
「もう一度いおうか、肇君?おれたちも、きみとおなじところからやってきたんだよ」
はい?なんだって?
懐かしいはずの本名で呼ばれることじたい、わけがわからない。
つまり、まったく頭が追いついていない。
「仕方がないな」
かれは両肩をすくめると、相貌をよせてきた。
「おれたちは、きみが考えているような存在じゃない。ミスターの息子は、きみだけだよ、肇君。それから、あいつと勝負してくれてありがとう。アイス、うまかったよ」
そうささやかれた瞬間、頭のなかで強烈な光がスパークした。
いろんな映像が、フラッシュバックする。
思わず、その衝撃に耐えかねて不覚にもふらついてしまった。
その瞬間、俊冬の掌がおれの掌からはなれて腕をつかんだ。
そのおかげで、なんとか倒れずにもちこたえることができた。
「肇君、おぼえてくれているかな。おれたち《・・・・・》は、きみと会っている。子どものころに、だけどね。ある日の夕方、京都府警のちかくにあるちいさな公園で、きみはこいつと……」
俊冬は、そういいながら俊春の頭を乱暴になでた。
「剣道の勝負をしてくれた。そのあと、アイスキャンディーをごちそうになった」
「『おいしいね』っていったら、俊冬に怒られた」
俊春が笑いながら肩をすくめた。
「『うまい』、だ。そのほうが男らしい」
俊冬の副長似の相貌に苦笑が浮かび、すぐに消えた。
映像が、そのときの映像が脳裏にくっきり浮かんできた。
みたくてみたくてたまらなかった懐かしいお宝映像が、何十年ぶりかにスクリーンに映しだされたかのようだ。
頭も心も、めっちゃ混乱しまくっている。なにがなにやらさっぱりわからない。眼前にいるのが、いったいなになのか?わからなさすぎて、かんがえる気力をもてない。
頭がじりじりとしている。しかし、それもかかっていた靄が晴れてゆくように、しだいにひいてきた。
刹那、そのときの映像とかわした会話が結びついた。
そうだ。思いだした。
小学校のときだ。おれは警察の剣道道場に通っていて、その日はめずらしく親父が稽古をつけてくれた。それから、いっしょに家にかえるというので、おれはうれしくってならなかった。
稽古をつけてもらったこともそうだが、いっしょにかえって晩飯をいっしょに喰えるってことが、最高にうれしかったのである。
親父は、刑事長である。事件がはいっているときは当然のことながら、それがはいっていないときでもなかなか時間がとれない。
一緒に食事をするっていう、フツーのことがなかなかできないのだ。
それは兎も角、親父が用事があるというので、おれは警察署のちかくにあるちいさな公園で親父をまつことにした。




