貧血気味
「法眼、お元気そうでなによりです。ええ。おれの男前は、どこにいようとすたれることはありませんよ」
「土方、いうねぇ。まっ、おめぇらしいってもんだ」
松本は大笑いしつつ掌をのばし、副長の肩を力いっぱいたたいた。
坊主頭に、でっぷりとした体に作務衣を着用している。
そういう松本も、ちっともかわっていないようだ。
って思っているなか、松本は副長のイケメンに両掌を伸ばした。みなが注目するなか、かれはいきなり副長の下瞼をめくった。
ハグもそれなりに驚きだが、いきなり下瞼をめくるってどうよ?って、めっちゃびっくりしてしまった。
下瞼をめくられているイケメンの驚きの表情が、超イケてる。
「土方。おめぇ、目がくらんだりしねぇか?」
「はあ?」
「まあ、まだゆるされる範囲だな。つぎは斎藤っ」
松本は、いまだびっくりしている表情の副長からとっととはなれ、その側でフリーズしている斎藤にちかづくと、同様に下瞼をめくった。
ああ、そうだ。健康診断のときにされる、アレか。
下瞼をめくるというのは、眼科でもされるが内科でもされる。
眼科では、角膜の炎症や眼球の状態をチェックしている。一方、内科では瞼の裏にある毛細血管をみているのである。
健康な場合、瞼の裏はマグロのトロのようにあざやかなピンク色をしている。が、血液中の赤血球の量がすくなかったりヘモグロビンの濃度が下がってしまうと、そこは白っぽくなってしまう。
たしか、貧血が疑われるんだったっけ?
って、思いだしていると、すぐ眼前に松本の相貌があって、下瞼をめくられていた。
なんてこった。そこいらの剣士よりすばやいし、悟らせずに懐に入りこんでくるなんて。
さすがは、最高最強の名医である。
相手の状態をチェックするのに、悟らせることなくやってしまう。
これならば、子どもに注射するのがうまそうだ。いや、大人だって注射嫌いや怖い人はいる。
患者に悟らせず、ささっと注射できそうだ。
『あれ?もうおわってる?』
注射された患者は、不思議がるだろう。
それにしたって、再会の挨拶が健康状態のチェックとは、職業人すぎる。
心から敬意を表したい。
ひさしぶりに、これぞプロというところをみさせてもらった。
「兼定。動物は専門外だが、鼻はぬれてるし、舌は真っ赤だな。よしよし」
しかも、専門外の相棒までチェックするとは、さすがはプロである。
「俊冬、俊春。土方と斎藤、それから蟻通と尾形と安富は、血虚の気があるぞ。鳥獣の臓物や黒豆や黒胡麻を喰わせろ」
「かしこまりました、法眼」
松本のピシャッと音がでそうなほどの明快な指示に、俊冬が応じた。同時に、かれは俊春とともに頭を下げる。
あらら。
副長に斎藤、蟻通は貧血認定されてしまったってわけか。
おれは、セーフのようだ。
島田と相棒も同様である。
そういえば、生まれたこのかた貧血を起こしたことがない。
小学校や中学校の全体集会の際、校長先生のムダにながい話の最中に倒れる子がいた。みんなから「大丈夫?」と心配されるのと、保健室のベッドで午前中いっぱい眠れるということから、子ども心に貧血に憧れたものである。
体質もあるんだろう。とくに鉄分をおおく摂取していたわけでもないが、貧血を起こすことはなかった。
幕末にきてなお、貧血には縁がないらしい。
もっとも、大人になったいまでは、健康体ということは誇るべきことであろう。
「よかったな、相棒。おれたちは、健康優良児ってわけだ」
俊春の脚許でお座りしている相棒に、そうふってみた。
「ふふふふふふんっ!」
すると、いつも以上におっきく鼻を鳴らされてしまった。
「そうはいっても、この状況じゃ生米一粒手に入らねぇわな」
松本は、そう悲し気につぶやいた。
そうなのだ。いくら最高の料理人がいても、食材を入手することがむずかしすぎる。
「土方。城にもどったら、ほかの連中もみるからよ。無論、傷病人も診るがな。傷病人は、俊冬と俊春がみてくれているんだろう?なぁ、二人とも?」
「恐れ入ります。なれど、われらはしょせん素人。法眼にみていただかねば……」
「あいかわらずひかえめだな?なぁ、土方?」
「法眼。なにゆえ、そこでおれに問われます?」
「だってよ、土方。おめぇはひかえめとは正反対だ。そんなおめぇからすれば、二人のひかえめっぷりは驚愕に値するだろうが、ええ?」
松本は医師としてだけでなく、人間をみる目も正確無比なようだ。
「これは……。一本取られましたな。いちいちもっともなことです」
副長は、そんな松本にたいして苦笑するしかないようだ。




