会津の家老
家老の田中が驚くのも無理はない。
それをいうなら、黒谷にいるすべての会津藩士たちが驚いている。
坂本は、控えめにいっても目立ちすぎる。
まずはその背丈、である。まぁこれは、どうしようもない。
木刀で叩けばちぢむ、というわけではないのだから。
すれ違う藩士たちのほとんどが、坂本をみ上げて飛び上がらんばかりに驚く。それからすぐに、慌てて脇へどいてしまう。
さらに、坂本は人懐こすぎる。
あぁいや、愛想がいい?友好的?どうでもいいが、いちいち「ハロー」とか「ハイ!」とか、わざわざ英語で挨拶するのである。
気の毒に・・・。
純朴な会津藩士たちは、目を白黒させ、口をあんぐり開け、おれたちをみ送っている。
「やめろ。いいかげんにしてくれ」
副長は、坂本に囁く。
「なぜなが?挨拶は、人間の基本にかぁーらん?」
坂本は、心底驚いたような表情を浮かべ、大声で囁き返す。大声で・・・。
副長の眉間に、さらに皺がよる。
笑うところではないのであろうが、笑ってしまった。
もちろん、ひかえめにちいさく、である。すると、肩を並べている斎藤も笑った。もちろん、斎藤もにやにや笑い、である。みると、まえをあるく井上や永倉、原田の肩が震えている。そして、先頭をゆく局長、その隣の田中の肩もまた。
田中は、案内役として出迎えてくれたのである。
「新撰組に、かようにおおきな隊士がおったとは・・・」
その田中が、局長に尋ねているのがきこえてくる。
「はぁ新入りですが、腕が立ちますもので・・・」
局長は、あらかじめきめていた筋書きを、局長自身のお気に入りである「三国志演義」の一節をよみきかせるかのようにいう。
局長は、嘘がつくのが下手である。というよりかは、嘘が嫌いだから、上手くつけない。
不意に、田中が歩を止め、くるりと振り向く。
すぐうしろをあるいていた坂本は、きょろきょろと黒谷の様子を眺めていたものだから、田中に思いきりぶつかる。
田中は、びくともしない。
どっしりとした体格だけではない。武術の心得のある者特有の、下半身の安定感が微動だにさせぬのである。
「すみやーせん。気がつきやーせんやった。それにしたち、ここは静かできれえなげにどくれ」
坂本は、指先でこめかみのあたりをかきつつ、田中をみ下ろしていう。
ここには、阿弥陀堂や大方丈をはじめとし、伽藍や三重塔など文化財がたくさんある。みどころが満載、なのである。
もちろん、それらは幕末、文化財ではない。
「土佐の言葉か?鯨海酔侯にお会いしたことがあるので、おぬしの言の葉もわかるぞ?」
田中の言。さしもの坂本も、近眼の瞳をみはって田中をみる。
鯨海酔侯・・・。
そうだ、酒を愛し、それをよく嗜んだ山内容堂が、自身をそう称していたとウイキペディアに記載されている。
山内容堂は、土佐の藩主にして幕末四賢候の一人。そして、坂本にとっては、自身ら下士の憎しみの対象であり、親友の武市半平太や岡田以蔵を死に追いやった仇にあたる。
「どこかで会うたか?」
無遠慮に、じろじろとみ上げる田中。
坂本は、相手が一筋縄ではいかぬことを即座に悟ったのであろう、苦笑を浮かべる。
「会ったことはないはずやか」
「そうであろうのう・・・。土佐は、敵ではないが油断がならぬ。おぬしは、脱藩者であろう?」
全員が、田中に注目する。
ばれている。最初から、田中は気がついている。
「まぁよい。北辰一刀流の鶺鴒は、わが藩主も気に入られていらっしゃる。とくと、みせていただこう。さぁ、その藩主がおまちだ。参ろう」
田中は、そういうとにっこり笑う。そして、無骨な掌で坂本の肩を一つ叩くと、またあるきだす。
全員が、慌てて追いかける。
さすがは、会津藩の家老。
いろんな意味で、感心してしまう。