沖田たちの様子
「おききください。近藤局長の御首級は、京の三条河原にて奪取いたしました。わたし自身が運ぶつもりでございましたが、ちょうど原田先生方と出会い、話し合いました。そして、小鉄親分に会津に運んでいただくようお願いすることにし、託すことにいたしました。親分は、かならずや無事会津に運び届けると約定してくださいました」
小鉄親分とは、「会津小鉄」のことである。本名を上坂仙吉といい、京の侠客である。
現代にまでつづく博徒系指定暴力団組織「小鉄会」は、この小鉄親分が結成したのである。
とはいえ、幕末のこの任侠集団は、指定暴力団組織としてマークされていたり、ことあるごとにたたかれるわけではない。
以前、小鉄親分たちとは何度か接触したことがある。
かれらは、往年のヤクザ映画そのまんまの「漢」っぷりであった。
それは兎も角、江戸の新門辰五郎は江戸幕府最後の将軍徳川慶喜に尽くした侠客として有名であるが、「会津小鉄」は、その二つ名のとおり会津藩と所縁のある侠客なのである。
その「会津小鉄」に託してくれたのなら、まず間違いないだろう。
じつは、近藤局長の首級の行方ははっきりしていない。現代においてでも、いくつかの説があるだけで、確実なことはわかってはいない。
京の三条河原でさらされた後、行方しれずになったのである。
ちなみに、京のどこかに葬られたという説や、法蔵寺という愛知県にある寺に届けられ、そこに葬られたという説などがある。
法蔵寺は、かの徳川家康が幼少時によみかきを学んだ寺として有名である。そこに、近藤局長の首塚があるという。
京で葬られたというのなら、まだわかる。しかし、愛知県の寺にということになると、『なんでそんなところに?』ってなるだろう。
その経緯であるが、京で近藤局長の首が晒され後、斎藤がそれを奪って法蔵寺の住職になったばかりの人物に届けたとされている。
当然のことながら、それはあり得ない。なぜなら、斎藤はその時期は間違いなく会津で戦っている。
矛盾はそれだけではない。みつかった墓碑の台座に刻まれた名に、土方歳三以外には新撰組の隊士の名が一人もない。さらには、新撰組の関係者の名もいっさいないらしい。
伝習隊など、直接関係のない人物の名ばかりだという。
そういったことから、この説は疑問視されている。
最近、といっても現代でいうところの最近であるが、「会津小鉄」の手下が首をもち去り、会津に届けてそこで葬られたという説が浮上した。
たしか、「会津小鉄」の手下か、関係者の手記かなにかが発見されたんだったと記憶している。
というわけで、おれ自身はその記事をみ、その説がビンゴなのでは?って思っていた。
いまの俊冬の説明で、その説が正しいことがしれた。
ただ「その説が大当たり!」って、現代に生きる人々に伝えられないことが残念でならない。
そんなことを脳内でかんがえつつ、副長をそっとうかがった。
『これぞ安堵きわまれり』
そんな文言が、副長のイケメンにくっきりと刻まれている。
おれも、心底ほっとしている。
「残念ながら、依頼するのがせいいっぱいでございました。以降の様子は……」
「かまわねぇ。そこまでやってくれたんだ。会津の親分なら、まず間違いねぇ」
下手な人物より、義理人情を重んじる侠客のほうが信頼できるというわけであろう。
「いま一つございます。沖田先生、山崎先生、藤堂先生、林先生方も達者にされておいでです」
そして、俊冬からなによりの朗報が告げられると、副長はわずかにうしろへよろめいた。とはいえ、ほんとうにわずかである。
そうと気がついたときには、反射的に腕を伸ばしてよろめいた副長の肩をつかんで支えていた。
「すまぬ」
かぎりなく小声でいわれ、はっとして肩から掌をはなした。
「良三を含めた子どもらも、元気にしております」
さらなる報告は、副長だけでなく俊春にたいしてもである。
良三は、玉置良三という子で、市村や田村同様、新撰組で近藤局長と副長の小姓を務めていた子である。
史実では、かれも蝦夷までついていくことになっている。が、かれはその蝦夷で労咳になり、そこで死んでしまうのである。
まだほんの子どもなのに……。
沖田同様、玉置が労咳による死の運命から逃れられるかどうかはわからない。しかし、ちがう道をあゆめば、どうにかなるのではないのか?
というわけで、沖田や藤堂とともに、丹波に向かわせたのである。
その玉置も元気という。
これはもう、沖田が元気であるということと同様に朗報以外のなにものでもない。
京での戦いで重傷を負った山崎や林も同様である。
とくに山崎は、その負傷がもとで死ぬはずだった。京から大坂までのどこかで死んだ、あるいは大坂で死んだという説があるし、江戸へ向かう「富士山丸」という艦で死に、遺体は紀州沖で水葬されたという説も現代に伝えられている。かれのウィキにもそう記載されている。
そのかれが生きている。
林もまた、危篤状態といっても過言ではないほどの重傷であった。
副長がうれしさだけでなく、いろんな感情がまじりあってたかぶり、よろめいたのもうなずける。
おれ自身、思わず「よっしゃー」って叫びたいほどうれしくってならないのだから。




