べろべろれろれろ
俊春が音もなくあらわれた。
かれは、頭上の木の枝から飛び降りてきたのである。
さすがは「最後の忍び」こと伊賀の忍者沢村甚三郎と忍術勝負をし、完膚なきまでに倒しただけのことはある。
リアル忍びよりもはるかにリアル忍びである俊春は、『道の脇』といっても荷馬車が一台ギリとおれるくらいの狭い道であるが、兎に角、脇によって片膝をついて控えた。
この道は、いわゆる県道に毛がはえたようなものである。会津の人たち、たとえば農民や商人という一般の人たちが、近道につかっているらしい。
この道を選んだのは、もちろん俊春である。
この狭さなら、もしも敵が「やはり追わねば」と、気がかわって追撃を試みたとする。この道を追ってくれば、どうしても隊列が縦に伸びてしまわざるをえない。しかも、途中鬱蒼と木々が生い茂っていたり、崖があったりと、伏兵を配置できる場所がたくさんある。
じつは、伏兵を置くという案もあった。が、リスクをおかすよりも、伏兵がいると思わせたほうがいい、ということになったのである。
敵軍には、伏兵がいるかもって思わせるだけでも心理的に充分プレッシャーを与えるこができる。
敵は、体力、精神力において、相当疲弊するだろう。
戦わずして、多少なりともの打撃をあたえられるかもしれない。
というわけで、伏兵はおかなかったのである。
俊春には、狡猾な策士の面もある。
昨夜、新撰組は、伏兵を配置できそうな地点に、そうとにおわせる細工を総出でおこなった。
ゆえに、敵が追ってきたとしても、慎重に進まざるをえないであろう。
「ぽち」
「副長、どうかそのままお進みください。まだ油断はできませぬゆえ」
副長が「豊玉」の手綱をしぼり、同時に地面におりようとしたタイミングで、俊春は視線を伏せたままいった。
「あ、ああ、そうだったな。ならば主計、ではなく兼定。おれのかわりにぽちにべろべろれろれろし、感謝と愛を伝えてくれ」
「まぁほんのわずかなら、ときを費やしてもいいのではないかな。ぼくも、そろそろ尻が痛くなってきているしね」
大鳥は、気を利かせてくれたようである。かれは、そういうなり馬から身軽におりてしまった。
それにつづいて副長も馬からおりたので、おれもおりてみた。
そのわずかな間に、相棒は俊春のもとへと駆けつけている。地に片膝ついているかれをぶっ飛ばす勢いで、ってか、体全体をつかってかれに激突してうれしさを表現した。
いまの相棒の威勢のよさなら、おれだったら勢いに負けてうしろにひっくりかえってしまったであろう。
って、いまの相棒が、おれにたいしていまの威勢のよさをみせるわけないか。
ううっ。
そんなふうに予想している自分が、つくづくかわいそうになってきた。
そうだ。自分をかわいそうに思っている場合ではない。
さきほどの副長の命令である。
副長は、『ならば主計、ではなく兼定』っていったか?
ええええええっ?
もしかして、副長は最初、『べろべろれろれろ』をおれにさせようとしたということなのか?
お、おれが俊春を『べろべろれろれろ』をする?
いま相棒は、副長の命令に忠実にしたがっている。つまり、俊春の相貌を、『べろべろれろれろ』している。
それも、めっちゃ熱心に。めっちゃ心をこめて、である。
みな、その一人と一頭を微笑ましそうに眺めている。
構図としては、『戦場からかえってきたご主人様に会えて大興奮のワンちゃん』って感じである。
SNSなどでも、こういうジンとくるような動画がアップされている。
ってか、クールな相棒が、いくら副長の命令だからってここまで大興奮のワンちゃんをするか?
ってか、これはやっぱ俊春にたいしてだからか?
ってか、おれが俊春を『べろべろれろれろ』……?
いったい、どんな味がするんだろう?
いや、ちがう。そんなことはどうでもいい。だいたい、おれが『べろべろれろれろ』するわけないじゃないか。
いや、それもちがう。そもそも、なにゆえ妄想がとまらない?
副長は、ただ単純に呼び間違えた、ってそれもどうかと思うが、兎に角、ささいなことじゃないか。
それを、『べろべろれろれろ』にこだわりまくるなんて。
もしかして、したかったからか?潜在意識下でそんな淫らな、もとい、ちょっとディープなスキンシップを望んでいるとでも?
『べろべろれろれろ』なめまくる……。
「あああああーーーーっ!」
叫び声がでていた。
きっとその声は、ずっとうしろで口惜しがっているかヤル気をなくしているかしている敵軍にも届いたにちがいない。
「主計っ、いきなり叫ぶんじゃねえっ!」
「いったいなにごとだ?」
「いまの叫び声は、敵にまで届いたにちがいない」
「なにゆえ、場所がしれるような愚かな振る舞いをいたすのだ?」
副長、島田、蟻通、それから斎藤が、怒りまくるのは当然だ。
しかも、最初の副長の怒鳴り声は、おれの叫び声と遜色ないほどでかかった。




