狙撃手(スナイパー)
木々の間でひしめきあう敵をみていると、自分がわずかに震えていることに気がついた。
そのおれの臆病さを、「宗匠」が感じたらしい。「ぶるる」と、ちいさく鼻を鳴らした。
無意識のうちに、「宗匠」の頸筋を軽く叩いていた。
そう、副長がやっているのとおなじように。
相棒が馬たちの間でこちらをみあげている。
双眸があうと、相棒はいつものように「ふんっ」と鼻を鳴らしてから狼面を前方へと向け直した。
そうだ。おれなどより、俊春の方がよほどリスクとおおくの生命を負っている。それから、とてつもないプレッシャーも。
緊張のなか、敵に動きがあった。別々の方向から、騎馬が一頭ずつあらわれたのである。
なんてこった。俊春の呼びかけに応じたというのか?
薩摩の伊地知正治と土佐の板垣退助が?
間違いない。向かって右側の騎馬上の男の頭には、薩摩藩の士官をあらわす黒熊のふさふさ飾りが、いま一頭の騎馬上の男の頭には、土佐藩の士官をあらわす赤熊のふさふさ飾りが、それぞれ微風にそよいでいる。
やはり、伊地知と板垣だ。
まぁ「狂い犬」という二つ名は、けっこうどころかめっちゃ有名みたいだし、その有名人が指名したのである。洋式化しているとはいえ、二人とももとは武士である。武士道を重んじる武士であったら、「これは姿をみせなきゃ、臆病者と思われる」ってことになり、でていかなきゃって気にさせられるだろう。
俊春が立ち止まった。かれも、二人の姿を認めたのだ。
「単刀直入に申す。われらに殺られたくなくば、いったん退けい。若松城を攻めたくば、出直すがよかろう」
びっくりである。フツーじゃない。すくなくとも、俊春の、というよりかは「狂い犬」のことをよくしらぬ者は、ソッコーで「あいつ、いっちまってる」認定するにちがいない。
「ずっとうしろにある杉の木がみえるか?いま、あれより狙撃手が狙っておる。わたしの呼びかけに、勇敢にも応じてでてきた参謀殿らを撃ち殺すためにな。おおっと、微動だにするでないぞ。息や唾一つ呑んでも、狙撃手はそなたらの眉間を撃ち抜くであろう」
俊春の恫喝である。
それは平素のかれの声音とはまったくちがい、野太く低い。まるで地を這い、脚許からせりあがってくるような錯覚を抱かせる。
畏怖という負の感情とともに。
みえうるかぎりの敵の兵卒たちの表情……。
きっと畏怖が浮かんでいるにちがいない。震え上がっているにちがいない。
俊春と味方であるおれでさえ、震えているのだから。
頸だけをなんとか動かし、その杉の大木とやらをみてみた。おれと同様、味方はみなうしろをみている。
たしかに、ひときわ高い杉の木がある。
しかし……。
薩長の所持しているのは、ミニエー銃である。ライフリングされており、射程は六百メートルほどだと記憶している。
ライフリングとは、銃砲の銃砲身内に施された螺旋状の溝のことをいう。これが施されている銃から発射された弾丸は、回転しながら飛んでゆく。そのため、回転しない弾丸と比較すれば、射程距離やあたったときの威力はダンチである。
ちなみに、会津藩や幕府軍のおおくが所持する銃は、ゲベール銃である。その射程距離は、ミニエー銃の約半分以下である。つまり、三百メートル以下である。
それは兎も角、あの杉の木は、すくなくみつもっても八町(約八百七十メートル)はありそうだ。
ミニエー銃の射程距離よりも遠い。
そこから狙う?
ってか、だれが?
それ以前に、狙撃手はあんな距離からみることができるのか?
当然のことながら、ライフルスコープがあるわけではない。それをそのままの視力で人間の眉間を撃ち抜くとすれば、それこそアフリカの「なんとか族」の戦士のごとき視力が必要になるだろう。
杉の木から視線を味方へと移してみた。この場からいなくなっている者はいない。
ってか、新撰組にそこまでの狙撃手はいない。
いや……。
いるにはいる。それは、ついさっき狙撃手の存在を明かした本人、つまり俊春である。
伝習隊にも、そこまでの腕の持ち主はいなさそうである。
ということは、会津藩の狙撃の名手でも配置しているのか?
機転の利く男俊春なら、そのくらいしていてもおかしくなさそうだ。もしかして、アフリカからアフリカ人傭兵でも呼びよせたってこともアリかもしれない。
「信じられぬか?」
俊春は、敵の至極当然の反応をいいあてた。
これはもう、生まれたてのピュアな心をもつ赤ん坊でも疑う事案である。
「なれば、おもしろき芸をみせてやろう」
かれは、そういうなり右掌をあげてくないをかざした。二度三度とそれを左右に振り、頭の高さでぴたりとその動きを止めた。
刹那、「カチンッ!」と金属がこすれあうような音がしたような気がした。そして、「パーン」という銃の発射音が、しばらく経ってから緊張漂う空気を震わせた。
あっと思う間もない。俊春は右掌のくないを、天にむかって放り投げたのである。
くないは、ゆっくりと天空へと舞い上がってゆく。それがある高さまで上昇すると、「引力の法則」に従い落下してきた。
「カチンッ!」「カチンッ!」「カチンッ!」
金属がこすれあう音がする度に、くないがくるくる回転しつつ跳ね上がる。
マジか?
俊春のいう狙撃手は、どこをどうやっているのかはわからないが、くないを撃ち、ヒットさせているのである。
三発目の銃声がきこえてきたときには、落下していたはずのくないは、再び大空高く舞っていた。
くないは最高地点まで舞うと、こんどは重みなどないかのようにゆっくり落下してゆく。




