コーヒーがめっちゃ飲みたい
こういってはなんだが、ひかえめに表現しても指揮官大鳥はイマイチであるといわれている。
その評価は、あくまでも戦場で陣頭に立ってのことである。
戦術面においてはどうであろうか。
軍議の間中、俊春にこまかいところをツッコんだり尋ねたりし、その上でいくつもの策をあげている。
作戦本部で作戦を立てる参謀的立場なら、かれほど向いている人はいないのかもしれない。
「いやー、どうもぼくは指揮官にはむいていないらしくってね。いつも尋常でない敗れ方をするんだよ」
大鳥は、軍議がおわるとそうカミングアウトしてから大笑いした。
自分自身のことをよく理解していて、それを認めている。それは、ある意味すごいことである。
性質の悪い指揮官であれば、そういうことはかたくなに認めたがらない。そうあるがゆえに、わが道を爆走しまくり結果的に自滅してしまう。
自分だけが自滅するのならまだいいが、部下や仲間を道ずれになんてことになれば目も当てられない。
大鳥はそれを自分で認めているからこそ、他人の意見やアドバイスを素直に受け入れている。
正直、なかなかできることではない。
その点は、十二分に評価できるであろう。
しかしながら、部下にしてみれば、じつに頼りない上官といえるかもしれない。
大鳥がカミングアウトしてから大笑いするものだから、伝習隊の小隊長たちは呆れた表情になっている。
もっとも、副長やおれたち、会津遊撃隊の小隊長たちも、呆れたというよりかは、唖然としてしまっている。
「まぁこんなことをいうのもなんだけど、ぼくは逃げることはすごく得意だからね。土方君、そこのところはぼくに任せてくれたまえ」
ここにきてやっと、かれの得意なことがしれた。
たしかに、逃げるのも大切なことにちがいはないが……。
どうもなにかちがう気がする。
軍議の後、かれの希望どおりにお茶の時間となった。
とはいえ、コーヒーとケーキというわけではない。あるいはガチなアフタヌーン・ティーでもない。
竹筒から水をすすっているのである。しかも突っ立ったままの状態で、である。
とはいえ、竹筒に入っている水は沢でくんだものである。ある意味では「会津の天然水」と呼べるかもしれない。購入すれば、五百ミリリットルのペットボトルで百円ぐらいになるかもしれない。
海外のレストランでは、水は有償の場合が多々ある。
そうかんがえると、竹筒から口に含む水は、現代の水道水と比較してもどこか格式があってめっちゃおいしいように感じられる。
それはそうと、コーヒーと心のなかに浮かんできてから、コーヒーがめっちゃ飲みたくなってきた。
そりゃあ「ス〇ーバックス」とか「コ〇ダ珈琲」のコーヒーにこしたことはない。しかし、そんな贅沢しなくても、コンビニの挽き立てコーヒーでもいい。各コンビニの挽き立てコーヒーは、なかなかイケるのである。しかも、コンビニなら店舗数がおおい。店舗によってはイートインもできるし、ちょっとした時間に駆けこめるという便利さがある。なにより、コスパがいいのが魅力的である。
どれだけコンビニのコーヒーはもちろんのこと、菓子パンやサンドイッチに助けられたことか。
それは兎も角、いまここにコーヒーの専門店やコンビニがあるわけがない。ゆえに、いっそのことインスタントコーヒーでもいい。インスタントコーヒーですらうまくなっているし、湯をそそぐだけとお手軽である。
それにしても、カフェイン中毒のおれがコーヒーなしでやってこれている。思わず、自分で自分をほめたくなってしまった。
しかし、一度飲みたいと思いはじめると、めっちゃ飲みたくなるから不可思議でならない。
コーヒー……。
あーっ、飲みたい、飲みたいよー。
「兼定っ!」
『コーヒーをめっちゃのみたい病』が発病してしまったおれの横で、大鳥が叫び声をあげた。かれは、隣に立っているかれ自身の部下に竹筒を押しつけると、あいかわらず俊春の脚許でお座りしている相棒のまえまで駆けていってしまった。
「うわーっ!きみは、あいかわらずおおきいなぁ」
大鳥は、江戸で相棒を抱え上げようとしてできなかったことがある。
たしかに、ジャーマン・シェパードは大型犬である。
オスの体高の平均は六十から六十五センチ、メスのそれは五十五から六十センチ。体重の平均はオスが三十から四十キロ。メスのそれは二十二、三キロから三十二、三キロである。
相棒の幕末にくるまえの計測値は、体高が六十三センチで体重は三十五キログラムであった。つまり、ごく平均中の平均というわけである。
セント・バーナードやグレート・ピレニーズ、グレート・デーンといった超大型犬種では抱え上げるのはむずかしいであろう。だが、平均的なジャーマン・シェパードの相棒なら、成人男性が抱えられなくもない。
実際、現代の成人男性のなかで小柄なおれでも、相棒を抱えるのは造作ない。
大鳥は、それができなかったのである。
どうやら、あのときの教訓がいきているらしい。かれは無言で俊春に許可を得ると、相棒のまえに両膝を折ってからがっしり抱きついた。
フランス軍に調練を受けたからなのか?あいかわらず、かれの所作はフレンドリーかつグローバルである。
相棒の狼面が、めっちゃ困っているようにみえるのが草である。
ってか、大鳥が俊春に許可を求めるところなど、相棒の相棒であるはずのおれの存在がないがしろにされすぎてて草すぎる。
翌日の大平口への出陣以降も、おれたちは順調に出陣をしては敗れ、退いては休陣をするということを繰り返した。
六月十五日。
副長は、俊春の手配で若松城に入城しているという覚王院義観に会いにいった。
もちろん、斎藤と俊春とおれと数名の隊士たちも同行した。半時(約一時間)ほどの会見である。その間、おれたちは若松城の城門でまっていた。
同行している数名の隊士は、若松城に残ることになる。そのことでやりとりしていたのだ。
その間、副長と会見した覚王院義観は、天台宗の僧である。江戸の上野の寛永寺執当職にあった。上野の寛永寺は、将軍家の菩提寺である。ゆえに、将軍は当初寛永寺で謹慎したのである。
その際、短期間ではあったが、新撰組が将軍を護衛した。
もっとも、トラブルだらけであったが。
それは兎も角、将軍が寛永寺から駿府に移ってから、義観は彰義隊を寛永寺に招いて拠点とさせた。
その彰義隊が上野戦争で敗れたため、かれはこの会津に逃れてきたのである。
かれは、この後仙台に逃れたところで捕まって江戸に移され、処分が決まるまでに病死するはずである。
一説には、病死ではなく自殺ともいわれている。




