女将さんの人生設計ミス
「よかった……」
斎藤は、息を吐きだしながらつぶやいた。
かれは心底安心した、といった表情をしている。
「副長。たまがもどれば、戦術など戦のことだけではなく、ほかの隊との連携や折衝、その他もろもろのことを任せられますな」
さすがは気配り上手の島田である。
すぐさまちがう話題にすりかえ、フォローしている。
俊春に気を遣っているのだ。
「たしかにな。これでまた、土方さんはお飾りに徹することができるというもの……。おっと、つい口をすべらせてしまった」
蟻通も、ジョークでもってさらなるフォローをする。
おそらくであるが、いまの蟻通のつぶやきは、本音ではなくジョークだったのであろう。
「馬たちのことも任せられる」
安富も、たぶんジョークだったはず、である。かれなりに、フォローしている。
「ぽち、誠にまちどおしいな」
そのとき、斎藤が俊春にふった。
「まちどおしい?」
俊春が、はじかれたように相貌をあげた。
「たしかに、わたしよりはるかに世渡り上手で阿諛追従の得意なにゃんこならば、副長のお役に立ちましょう。あれだけ口が達者で、歯がうきまくることを平気で申せるのですから」
俊春が、なんかまたいいはじめた。
斎藤のさわやかな笑みが、瞬時にして凍りついてしまった。
「失礼いたしました。つい、口中よりもれでてしまったようです。兎も角、にゃんこがどの面下げてもどってまいるのか、まちどおしくてなりませぬ」
俊春は、斎藤をまっすぐみすえた。それからやっと、さきほどの斎藤の問いに答えたのであった。
朝食後にその若い隊士をみた瞬間、とんでもないことを思いだした。
「あの、菊池さん?」
小柄な背に呼びかけると、あばた面がこちらを向いた。
「そうばって、なにが用だが?」
「あの、副長からの命令です。若松城で白虎隊の隊士を指導しろ、とのことです」
「ええっ?急じゃねか」
ああ。たしかに急だよ。急すぎるよ。
忘れていたんだ。きみの相貌をみて、思いだしたっていうわけだ。なんともはや、お間抜けな話ではないか。
間抜けながら、ぎりぎりで思いだせてよかった。
ゆえに、副長に伝えることができなかった。
勝手ながら、副長の許可をとらずに若松城にいってもらうよう菊池に伝えるしかない。
はやい話が、副長からの命令だっていう嘘をである。
事後報告になるが、副長も許してくれるにちがいない。
もしも怒られるとしたら、かれが若松城にいくことではない。おれが勝手に判断し、副長からの命令として若松城へゆくようにと伝えたことにたいしてでもない。
おれがそのことを忘れていたことにたいしてである。
菊池央は、弘前藩出身である。おれが幕末にくるすこしまえに入隊しているはずの、まだあたらしめの隊士である。
じつは、かれはこの転戦で死ぬことになっているのである。
そのことを、ついさっきかれをみかけて思いだしたというわけだ。
なにが「幕末史王」だ。情けない話ではないか。
そんなおれのチョンボは兎も角、菊池はいぶかし気な表情になった。しかし、副長の命令だっていっている以上、断われるわけもない。
かれは、すぐに了承してくれた。
副長には、あとで事後報告をした。
『しっかりしてくれよ』
副長から、そのようにプチ嫌味をいわれただけですんだ。
助かったーって、ホッとしたのはいうまでもない。
そんなハプニングがあった後、宿の外に整列していた。すると、「清水屋」の女将さんやスタッフたちが見送りにでてくれた。
「女将、世話になった」
「副長さん、ご武運をお祈り申し上げます」
女将さんは、火打ち石を切ってくれた。
へー、時代劇まんまじゃないか。
みょうに感心してしまった。
幕末にきて、このような光景ははじめてお目にかかった気がする。
たしか現代でも、演芸や職人の世界ではその習慣が残っているのではなかろうか。
「失礼ですが、女将さんは、会津の言葉ではないんですね」
女性にたいし、失礼かと思いつつもきいてみた。
「もともと江戸の出なのです」
女将さんが答てくれた。
「旅芸人一座の座長の子だったのですよ。この地を訪れた際に、この「清水屋」の跡取りに見染められ、嫁いだというわけです。それが、そもそもの間違いでした」
女将は、そういいながら荒れた掌を口許にあてて笑った。しかし、瞳はめっちゃマジである。
「死んだ亭主は、博打や女遊びばかり。借金をこさえた上に流行り病でころっと死んでしまいまして。わたしは、女手一つでこの宿を切り盛りしているわけでございます」
そして、女将はさらに笑い声をあげた。
でも、瞳のマジ度がマックスになっている。
おれたちがかのじょの亭主をそそのかしたり、流行病をうつしたかのように、かのじょはこちらをにらみつけている。
「旅芸人の生活から抜けでて、宿の女将になってから忙しくとも幸せな暮らしを、なんてことは、ただの夢物語でございました」
「あ、ああ」
副長が、一言とともにうなずいた。同時に、おれをにらみつけてきた。
どうやら、おれはおもいっきり地雷を踏んだらしい。
でも、かのじょとの別れのタイミングでよかった。
もっとはやくにしらされていたら、かのじょの人生史とそれに伴う苦労や怒りやもろもろの感情をきかされたであろうから。
それこそ、寝かせてくれなかったかも。
と、いうことにしておこう。
そんなさらなるハプニングの後、おれたちは無事に宿を出発した。
「鉄、銀。伊藤ら四人の申すことをよくきくんだぞ」
もう間もなく若松城との岐路にさしかかろうとするタイミングである。副長は、市村と田村を側に呼びよせていいつけた。
「わかっています」
ちょっと不満気な表情で、市村が答えた。
「申すまでもないことだが、四人はおれの代理だ。手間をかけさせたり駄々をこねたりするな。それから、新撰組の一員として、恥ずかしくない立居振る舞いをするように」
「もうっ!わかっていますよ」
さらに不満気な表情になり、田村が答えた。
「それにしても、あの二人が若松城にゆくことを、よくぞ「うん」といったものですね」
副長の耳にささやくと、副長は両肩をすくめた。
「ぽちがうまくいいくるめたらしい。ほら、きたぞ」
そのタイミングで、若松城の方角から人影がやってくるのがみえた。二人で、二頭の騎馬と一頭立ての荷馬車二台をひいている。
安富と俊春が、若松城から馬と荷馬車を借り受け、連れてきたのである。
「いいくるめたって……」
おれも苦笑してしまった。そんな副長とのささやきあいのなか、市村と田村は俊春をみつけ、同時に駆けだした。
市村が相棒の綱を握っている。必然的に、相棒もひっぱられて駆けざるをえない。
まぁ俊春のもとへとゆくのである。相棒も拒否るようなことはないだろうが。
むかつくほどウキウキ感満載でスキップしながら駆けてゆくその黒い背を、おれはむなしく見送ってしまった。




