斎藤、一時帰営
「伊東にだけ、こっそり告げました。伊東も、このまえの坂井らの件がありますゆえ、二、三日、郷里に戻るというていで、許可をくれました。これが取り巻きどもにしられれば、これぬところでした」
斎藤は、そういってからにんまりと笑った。
取り巻きとは、篠原や加納、そして、おねぇ自身の実弟の鈴木三樹三郎のことである。
鈴木は、「偉大なる兄の弟」というよくある例にもれず、ぱっとしない男らしい。それでも、剣は一応遣うらしいので、まったくのへたれ、でもないのであろう。
「坂井は?主計の口唇を奪うだけ奪い、その挙句に殺ろうとした、あのおれさま系はどうなった?」
原田が、勢いこんで尋ねる。
斎藤が副長の密命を受け、伊東派のもとにいっていることをしっているのは、両長と監察方の山崎と島田だけだと思っていた。
が、そうとしらされていなくとも、原田、永倉、井上にはお見通しなのである。
それだけの付き合いと絆がある。
「いやいや、左之・・・」
永倉が、即座にダメだしする。
そりゃそうだ。坂井のその後を確認するのに、なにもおれの唇のことをだす必要など、どこにもない。
「おれさま系などと申しても、斎藤にわかるはずもなかろう?斎藤は、こうみえても生真面目なんだから」
そのあとにつづけられた突っ込みに、がっくりくる。
そこか?、と心中で突っ込む。
「斎藤先生が生真面目だろうとなんだろうと、おれさま系じたい、わかるわけありません」
声にだしては、そう突っ込む。
「あー、伊東はくる者拒まず、だから。武田のいろだったとしても、いまは自身にまいってるってことだけで満足。ゆえに、高台寺で夜な夜な神をも怖れぬ所業におよんでおります」
斎藤はそういってから、またにんまり笑う。
すごい。この人たちの意思疎通は、あきらかに一方通行である。突っ込みどころが満載すぎて、もはやどこからどう突っ込んでいいのかさっぱりわからない。
「斎藤、よくきてくれた」
そこへ、両長と井上がやってきた。
その夜、高台寺をこっそり抜け、屯所の裏口からやってきた斎藤をまじえ、副長の部屋で一杯ひっかけていた。
両長は、この夜も島原で接待である。そこから、戻ってきたわけだ。
二人とも、まったくのしらふである。呑めない二人は、いつも杯を舐め、ごまかしている。
局長がさきに部屋へと入り、上座で胡坐をかく。つづいて、井上が入ってきて、原田の横に座す。
副長が最後である。副長は、うしろ掌に障子を閉めようとした。庭でお座りしている相棒へ、ちらりと視線を向ける。相棒も、庭から副長をみ上げている。すると、伸ばしかけていた掌を止め、障子を閉ざすことなくそのまま局長の隣に座した。
副長は、おれと視線があうと両肩をすくめる。その瞳は、障子をとざさずとも問題なかろう?、といっているっぽい。
すくなくとも、そういっているように感じられる。
「ご無沙汰しております」
斎藤は、両長に向き直ると姿勢を正してから叩頭し、あいさつする。
「さっそくだが、此度きてもらったのは、おめぇの腕を借りてぇからだ、斎藤」
さすがは副長。無駄な時間はかけない。
そうきりだしてから事情を話しおえるまで、さして時間はかからない。
「此度は、できるだけうちうちですませてえ・・・」
副長のいうことは、もっともである。なにせ、交流できないはずの斎藤、そして、交流どころか接触すらありえないはずの坂本が、メンバーに入っている。
「おれ、斎藤、主計・・・。土方さん、あと二人は?剣の腕からいやぁ、吉村、だが・・・。うちうちにはならんな・・・」
永倉の横でそれをききながら、おれもうちうちではない、と思う。
うちうちとは、試衛館からの仲間にほかならない。
「源さん?源さん、だな?」
右の拳で左の掌をぽんと叩き、原田が叫ぶ。途端に、全員が「しーっ」と指を口のまえにたてるジェスチャーで注意する。
「ええっ!わたし、ですか?」
井上はかぎりなく声を落としつつ、驚きの声を上げる。
「いいや、源さんは接待役だろうが?局長、だ。当然であろう?」
さも当然のごとくいってのける、副長。
たしかに、剣術という観点ではそうであろう。
だが、一応、幕府直轄の組織の長、という立場的にはどうなのか・・・。
「局長、なまってないでしょうな?」
なんと、ここでも意思疎通に頸を傾げたくなる発言が・・・。
「馬鹿をいうなよ、新八?」
局長は、昔はそう呼んでいたのであろう。その呼び方が、すんなりでてくるようだ。
「いまでも、ときの許すかぎり素振りはつづけている」
局長は、そういってから「がはは」と笑う。
ごつい相貌に浮かんだ、嬉しそうな表情。
「ああ、あの丸太棒、をね」
永倉は、苦笑する。
おれは、それを霊山博物館でみたことがある。
永倉のいうとおり、まるで丸太棒だ。あんなものを振るには、そうとうな膂力が必要だ。
「で、最後の一人は?」
斎藤が、冷静に尋ねる。
「部外者だ。ああ、心配いらねぇ。脛に傷のあるやつだ。そういうやつのほうが、あとくされねぇからな」
思わず、ふきだしてしまう。云い得て妙、すぎる。
「北辰一刀流の皆伝だし、山南さんの後輩、でもある。土佐っぽで、おれたちもよくしってるからな」
そこまでいえば、ここにいるだれもが、その男のことを想像できる。
室内を照らす燭台の蝋燭の芯が、「ちりちり」と音を奏でる。それが、いやに耳につく。
庭で、相棒が「くしゅん」とくしゃみする。
そういえば、だいぶんと冷え込んできた・・・。
いくつもの驚愕の表情をみつつ、つくづく実感する。