なにゆえぽちがそこにいるのか?
「もうっ!ぽち、いいかげんにしてください。二度とあなたの手にはのりませんよ。いくらなんでも、おなじ手に何度もひっかかるほど、おれは間抜けじゃありません」
「ほう……。ということは、まえにもおれの悪口をいってたってこったな」
俊春はさきほどより若干声のトーンを低くし、まだ副長の声真似をしてふざけている。ついでに、すっとぼけてもいる。
「だーかーらー、ふざけるのはやめてくださいっていってるでしょう?」
まったくもう。俊春ってば、やっぱ餓鬼だよな。
しかし、なにゆえか左うしろをみることができない。
勇気がでないのである。
「主計、飯が足りぬようだ。準備はできたか?」
そのタイミングで、厨にだれかがはいってきた。
「へっ?ぽち?」
な、な、なんと、俊春である。
入り口の向こうに相棒がお座りしていて、こちらをみている。その狼面が、やけにリアルな笑い顔にみえるのは気のせいか?
「なんで?なんでぽちがそこにいるんです?おかしいじゃないですか。さっきまでおれのうしろにいたでしょう?」
わかっている。自分でも理不尽きわまりないことをいっているってことを。
しかし、たしかにかれはおれのうしろにいた。うしろで、豆腐カツ丼をつくったり、豆腐ハンバーグやステーキを焼いていたのである。
それがなにゆえ外から入ってくる?それ以前に、どうやってでていったんだ?
もはやB級のミステリー物みたいになってしまっている。
おれに難癖つけられた俊春は、その場にかたまった。それから、当然のことのように「お父さん」に視線を向け、助けを求める。
相棒の笑顔が凍りついた。すっくと立ちあがると、これでもかというほど犬歯をみせつけてくる。
「ほう……。さらに自身のことを棚に上げ、おつぎは非力なぽちをいじめるってのか、ええっ?」
「ひええええええええ」
左耳へのささやき。もはや、怖すぎて悲鳴もでない。
頸をうしろにまわし、確認することなどぜったいにできない。いや、したくない。
怖すぎる。
俊春も謎だが、いったいどうやって厨に入ってきたんだ、うしろのイケメン?
「いたたたたた」
今回は、拳固ではなく頬へのビンタであった。
ぜったいに頬に手形がついているはずだ。
これがまだ女性とのトラブルで、女性に喰らってつけられたっていうんなら、まだ「トホホ」ですむ。が、そうではない。
情けなさすぎて涙がでてしまう。
結局、からくりは簡単だった。ミステリーでもなんでもない。ましてや、姿を消したり瞬間移動したりなんていう、SFチックなものでも。
厨には入り口が二つあったのである。表と裏に。
おれがそのことにまったく気がついていなかっただけである。
俊春は、豆腐カツ丼や豆腐ステーキやハンバーグをつくったり焼いたりしてから大広間に運んで戻ってきた。副長は大広間からやってきて、俊春といれかわりに裏から入ってきた。
それで副長は、おれが「副長の真実」を暴露しているのを、じっときいていたのである。
まったくもう。盗みぎきするなんて、なんてモラルのない上司なんだ。
ってまたモラルのないイケメン上司ににらまれた。
「主計さん、おつかいください」
「あ、ありがとうございます」
久吉がぬれた手拭いを差しだしてくれたので、ビンタを喰らわされた頬にあててみた。
井戸の水で冷やしてくれたらしく、ひんやりとして気持ちがいい。
すぐに井戸にはしってくれたんだ。
久吉に感謝するとともに、やっぱ両頬が赤くなっているんだと確信した。
「なにゆえ、副長みずから厨に?」
これみよがしに頬を冷やしながら、副長に尋ねてみた。
「きいたか、ぽち?主計のやつ、つぎはおれに理不尽なことをいいだしたぞ」
「わたしだけならまだしも、副長までも責めたてるとは……。主計も出世したものですな」
「なんなんですか、いったい?だって、副長がわざわざ厨にくることないでしょう?用事があるんだったら、だれかにいいつければいいんですし、そもそもきたって邪魔なだけ……」
副長にたいして逆ギレしてしまったばかりか、邪魔者あつかいしてしまった。調子にのりすぎだと、自分でも気がついたので、途中で言葉をとめた。
「副長、ご懸念にはおよびませぬ」
副長がそんなおれにたいし、なんらかのリアクションおこすまでの間に、俊春がちかづいてきてささやいた。
「日向殿が、今宵の醜態をみずから話すはずはございません」
さすがである。俊春は、副長がやってきた理由を承知していて先手をうったようだ。
「たとえ田中様のもとへ駆けこんだといたしましても、田中様が白虎隊の隊士たちに告げるわけはございません。かりに此度のことが噂になったといたしましても、当人が強く否定いたしましょう」
ささやき声がつづく。
竈にある鍋のなかで、湯がぐらぐらと音をたてている。鍋や食器類を洗うため、俊春が沸かしているのだ。




