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日向 逃げ帰る

「現状をまったくわきまえておらぬそのおぬしの耳朶と心に、しっかり刻んでおけ。わが名は「狂い犬」。不満があるなら、ここからでたらすぐに白河城へと参り、重臣に訴えよ。もっとも、ことが公になれば、裁かれるのは貴様の方だがな、愚かなる人間ひとよ」


 ささやきがおわったと同時に、呪縛から解放されたかのように日向に動きがもどった。


 かれは、悲鳴どころかうめき声一つだせないようである。箸を放りだすと、転がるようにして部屋からで、そのまま四つん這い状態で廊下を去っていった。


 さらなる笑い声が、向こうの部屋から流れてくる。


 唖然としてしまっていたが、これまで日向がいた場所に俊春が平伏しているのに気がついた。


 副長が、みじかく息を吐きだした。膳をどけ、眼前で平伏している俊春のまえまで膝をすすめる。


 斎藤がおれの横で副長同様息を吐きだした。そういえば、おれも息を詰めていてちょっと苦しい。


 斎藤は、右太腿側に置いている愛刀「鬼神丸」をみおろしてからおれへ視線をよこした。


 当然のことながら、右差しのかれは、座るときには愛刀は右側に置く。


 視線があうと、かれははにかんだ笑みを浮かべつつ両肩をすくめた。


「ぽち、頭をあげてくれ。頭を下げる必要などない」


 そういった副長の声は、めっちゃやさしい。


「申し訳ございません。さしでがましいことをしてしまいました」


 俊春は、面を伏せたまま恐縮しまくっている。


「いいから頭をあげろ」


 副長は、畳とにらめっこしている俊春の気をひくため、畳を軽くたたいた。


 耳のきこえぬかれに、口の形をよんでもらいたいのであろう。


 そこでようやく、かれはわずかに面をあげた。それでもなお、伏し目がちである。


 さらに膝をすすめようとし、副長はしばし迷ってから数センチという範囲にそれをとどめた。


 俊春を怯えさせないためである。


「ぽち、礼を申す。おまえが告げなければ、おれが告げた。しかも、あの馬鹿たれが立ち直れぬほど罵倒しまくったはずだ。あるいは、斎藤と主計が白刃を抜くのをみてみぬふりをしたであろう。いずれにせよ、あとで面倒くさいことになったろうよ」


 副長のいうとおりである。


 副長が頭ごなしにやりこめてしまったら、日向は再起不能になるだろう。いやいや、そこじゃないか。日向はそれを恨みに思い、すぐに重臣クラスに訴えでるかもしれない。


 ああいう大言壮語をのたまうお調子者で要領のいいDQNは、自分のことをよくみせたり保身のためなら、他者を貶めたりはめたりあげつらったりチクったりするのは得意中の得意であろう。それこそ、そういうことを常套手段にしているかもしれない。


 副長がひと暴れするのと同様に、斎藤とおれが刀を抜いてもあとで面倒くさいことになったはずである。

 

 刃傷沙汰にするつもりはないが、抜いた時点で非はおれたちにある。


 どう取り繕うとも、いい逃れをするのはむずかしくなる。


 俊春、それから俊冬は、会津藩にというよりかは、会津侯が個人的に親密にしている。そのことは、会津侯の側近もしっている。

 しかも、二人は帝と将軍両者の御庭番として、それぞれの信任が厚い。会津侯は、そのことをしっていらっしゃる。


 ゆえに、日向がなにを訴えようが、重臣は俊春を呼びよせ、おざなりに事の経緯を確認するだけにとどめるだろう。うやむやにしてしまうか、日向が叱責を喰らう程度のはずである。


 さっきの俊春の機転をきかせた対応は、正しかったのだ。


 日向自身、二度とおれたちにはちかづいてこないであろう。


 残念ながら、かれの残念度はパーフェクトである。あれだけ俊春に諭されても、方針をあらためるつもりはないかもしれない、


 自分が正しい。けっして間違っても誤ってもいない、と思いこんでいるからである。


 ゆえに、白虎隊の隊士たちの状況の改善はむずかしい。


 ささやかな救いは、日向はまともに戦わぬということであろう。はぐれたり迷ったりするばかりで、実際に指揮をするのは籠城戦のときくらいかもしれない。


 その時分ころになると、敗戦色が濃厚になる。残念なかれでも、ムチャぶりは控えてくれると信じたい。


「ぽち、副長のおっしゃるとおりだ。おぬしが脅してくれなければ、わたしは日向に刃を抜くところであった」

「おれもです。斎藤先生同様、「之定こいつ」をひっつかんでしまっていました」


 斎藤とおれの声にというよりかは、心に反応したらしい。俊春はやっと相貌かおをあげ、副長と視線をあわせた。


新撰組うちやおれ自身のことを、あーなんだっけかな、主計?」

「『ディスる』です、副長」

「そう、それだ。ディスるんだったら、まだ馬鹿野郎の戯言としてスルー(・・・)するつもりだったが、白虎隊の餓鬼どもを、かようなふうにかんがえていやがるなどとはな。カッと頭に血がのぼっちまった」


 副長は、そう告白してから苦笑した。


 それは、斎藤も俊春もおれも同様である。


 新撰組や自分たちのことは、多少いわれても屁でもない。


 なにせ、いわれなれているのだから。




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