必死の演説
「これより、会津藩はつらく厳しい状況に陥る。みなも城で噂はきいているであろう?敵は、強大だ。会津藩一藩がどうあがこうが、この状況を覆したり好転に向かわせることはむずかしい。そうなれば、会津侯はどうなる?みなが仕え、護るはずの会津侯はどうなってしまう?」
あらためてつきつけられた現実に、かれらは様々な反応を示している。が、だれ一人として、斎藤の話をきくことを拒否する者はいない。
かれら自身、いろんな覚悟のなかに不安要素がたくさんありすぎる。こうしろああしろと命じられれば、そのとおりに動けばいい。そして、護るべき者、仕えるべき者が明確なうちは、ただ単純に護ったり仕えたりすればいい。
しかし、それらがいっさいなくなってしまったら?
かれらは、どうすればいいかわからなってしまうだろう。
それにしても、斎藤がこんなに熱く語りまくるなんて。
いまのかれに、いつものさわやかな笑みはない。
そのとき、それに気がついた。
「問題は、戦だけではないのだ。戦がおわってからのほうが、かえって問題がおおくなる。つまり会津侯もふくめ、窮地に陥るわけだ」
かれがそうつづけたタイミングで、である。
かれの言葉と口の形が合っていない気がしたのである。
そのとき、斎藤のうしろにたたずむ俊春がこちらをみていることに気がついた。
「会津侯は、みなの藩主は、この戦がおわってからのほうが、誠にみなの力を必要とするであろう」
なんてこった。いまので確信した。
斎藤は、しゃべってはいない。厳密には、口は動かしているが発声していない。
口パクである。
斎藤に隠れるようにして立っている俊春が、かれの声真似をして語っているのだ。
昔、小学校にきていた腹話術師がいた。かれは、でっかいスーツケースにでっかい男の子の人形をいれていて、講堂の壇上に置かれた椅子に座り、その人形を片方の太腿の上にのせて会話するのである。
まさしく、それである。
驚きすぎて言葉を発しそうになったが、かろうじて呑み込んだ。すると、俊春の視線が斎藤の背にもどった。
「ゆえに、おぬしらはなにがなんでもこの戦で生き残らねばならぬ」
斎藤、もとい俊春の声真似による斎藤の口パクはつづく。
「戦がおわれば、大人は減っているであろう。おぬしらの親兄弟も無事ではすまぬやもしれぬ。おぬしら自身、親兄弟を亡くしてうちひしがれるやもしれぬ。おぬしらは、生き残った自分自身を恥じ、責めるやもしれぬ。だが、それはちがう。おぬしらがいまここにいる理由があるように、おぬしらが生き残らねばならぬ理由がちゃんとあるのだ。残された家族と主君を護る、という理由がな。親兄弟も生き残れば、主君はもとより、ほかの家族も護らねばならぬ。ゆえに、この戦を死に場所と心得るは不届き千万。死ぬのは、家族や仲間や主君を護り抜いてからだ。それ以外での死は、犬死と心得よ」
斎藤の口パクは、そうしめてからとじられた。
あまりの説得力に、おれまで生き残らねばと決意してしまいそうになってしまう。それに例のごとく、俊春の声真似による発声の抑揚が、頭をボーっとさせてしまっている。
ゆえに、よりいっそうかれの言葉どおりにせねば、と錯覚してしまっているのかもしれない。
もっとも、おれが決意したところで、それはどうでもいい話であろう。内心でどきどきしながら、白虎隊の隊士たちに視線をはしらせてみた。
だれかしら「それはちがう」とか、「それだったらほかの兄弟が護ってくれる」とか、いいだすんじゃないかとヒヤヒヤもしている。
しかし、おれの意に反して、白虎隊の隊士たちはうなずいている。だれもが、なにかを決意したかのような真摯な表情になっている。
かれらだけではない。かれらとともにきている会津藩の数名の大人たちも、おおきくうなずいている。
さらに、視線を副長へと向けてみる。
驚きに双眸をみはり、斎藤を、厳密にはそのうしろにいる俊春をみている。
どうやら、副長も腹話術のからくりに気がついたようだ。
「なにも戦から逃げよ、敵に背を向けよ、戦わずして降参せよ、などと申しているのではない。おまえたちに立ち向かう勇気、銃を撃ち、剣を振るう度胸があることは、わたしだけではなく、だれもがわかっている。はきちがえてほしくないのだ。勇気や度胸を示すときと場所を間違えるな。自身の生命を軽んじるな。勇気も度胸も、敵に向かうことだけで発揮されるものではない。退くときこそ、最大限に示される。そこで退かず、ましてや自害などで果てるのは、ただの度胸なしの弱虫だ。これを肝に命じよ」
斎藤は、ってか、俊春は口調をかえ、今度は厳しめの口調と言葉でもって告げた。
逃げよ。逃げることも勇気のいることだ。逃げるべきときには、勇気をもって逃げよといっているのである。
そして、自害でおわらせようとするなとも。
白虎隊の隊士たちは、これにもおおきくうなずいている。
いまので、斎藤の演説はおわったようだ。




