あの場所
一人になりたいときや一人で稽古をしたいとき、ここにくる。
それは、幕末にくることになったそもそもの場所、である。
現代と違い、いまなら刀を振りまわしても咎められることはない。
夕刻、相棒を連れ、ぶらりとたちよってみた。
一つは、もちろん稽古のため。そして、この日、なんとなくそういう予感がしていた。
ゆえに一人で、厳密には相棒と、よってみたのである。
英信流の型を、正座之部よりはじめる。
こっちにきてできた傷も、いまではよくなっている。
最後のときに受けた傷が、体を動かすとわずかに引き攣れ感はある。それでも痛みはなく、かばう必要もない。
土の上に正座をする。袴があるとはいえ、土の冷たさにくわえ、小石が布をとおして感じられる。それでも、基礎の基を省略したくない。
前、右、左、後、と鞘から解放した「之定」を振りかぶっては振り下ろしてゆく。
同時に、息と気も操作する。
型のほとんどが、敵を想定してつくられている。みえぬ敵が、攻めてくるであろう剣筋を想定して。
ここにくるまでは、型のすべてを習得していれば、とりあえずはどのシチュエーションであろうと、敵を倒すまでとはいかずとも、自分を護るくらいはできるだろうと信じていた。
だが、ここにきて、実際に刃をかわしてみると、あぁこれはあくまでも剣術の型なんだ、とつくづく実感した。
これまで習い、日々練習してきたこれら型のほとんどが、自分を護ることすら難しい。いわゆる、机上の空論的なものであった。
正直、ショック大である。
現代居合は、幕末には通用しないのだから。
もちろん、まったく役に立たなかったというわけではない。振り上げ振り下ろすだけでも、コツがいる。
プラス剣道もしていたからこそ、実際の戦いに役に立ったのかもしれない。
つまり、両方をやっていたからこそ、いまもこうして息をしていられるわけである。
ああ、わかっている。それ以上に運、というほうがはるかに適切なんだろう。
そんなことを考えながら、立膝の部にさしかかる。そのあたりで、やはりきてよかったと実感する。
あらわれたのである、あの男が・・・。
「ほう・・・。板垣さんの剣筋に似ちゅうで・・・」
木々の間から、大男がのっそりとあらわれる。
「ええ」
まってましたとばかりに、立膝の姿勢から立ち上がり、大男に向きなおる。
あいかわらず、フケと汚れでもつれまくった総髪に、ところどころ擦りきれ汚れた着物に袴、そして、なぜにそこだけ洋物を?、と突っ込んでしまいそうになる長靴といういでたちである。
懐手も、いつもどおり。
いわずとしれた、幕末の英雄の一人、坂本である。
「おなじ流派ですので」
「なきすって?板垣さんは、たしかぇんらぁっていう居合かぇにかじゃったはずやか」
「はい。これが、そのなんとかという居合です」
正確には、長谷川英信流の現代版である。
「坂本さん、ここは、あなたのお気に入りのようですね」
「ええそうやか。なぜかしりやーせんが、ここは、かんがえごとをするがやき静かでいいところながやか」
坂本は、懐手のまま360度ぐるっとまわる。
そういえば、副長とそれを狙った刺客たちと坂本以外、ここでだれかをみたことがない。
つい笑ってしまう。
坂本は、まるで少年である。信じるものにむかって、ひたすらつきすすむ。サッカーや野球に打ちこむスポーツ少年のように、思えてならない。
坂本に、黒谷との稽古試合があるので、そのために練習しているのだと話した。
坂本に会えるような予感がしたから、ということは黙っておく。
「ほりゃあ、面白そうやき。枠があるのやったら、あしもでたいやか」
その提案に、驚きのあまり「ええっ!」、と叫んでしまう。
相棒も、瞳を白黒させている。