副長と相棒と沢庵
その日の夕刻、子どもらと道場で一汗ながした。
「風呂に入ろう」、と誘う野村や子どもらをふりきり、一人でさきに部屋へ戻った。
夕餉までには、まだ時間がある。
思いだすかぎりの歴史的出来事を、書きだしておこうと思った。それと、実際におこったこと、推測していること、も。
廊下の角を曲がったとき、長髪の男がちらりとみえた。
副長に違いない。
おれに用でもあるのだろうか?あるく速度を上げる。
野村とおれの部屋は、両局長の部屋に比較的ちかい。ほかの隊士たちのそれからは、はなれている。
屯所のなかでも、奥のほうに位置している。
部屋にゆく最後の角を曲がったとき、副長が縁側に座りこみ、まえかがみになっているのがみえた。
相棒が、庭でお座りしている。尻尾が、いつになく右に左に振られている。土煙が上がりそうなほど、である。
副長は、ぶつぶつとなにか呟いている。
「副長?」
ひかえめに声をかけると、副長ははっとしてちかづくおれをみ上げた。
おれとは反対側にある掌にもったなにかを、隠したような気がする。
「おっおお、主計か?」
副長は、あきらかに狼狽している。すくなくとも、おれにはそう感じられる。
「おれになにか?なにをされていたんです?そのうしろに、なにがあるんです?なにか隠されましたよね?」
意地悪してしまった。副長のあわてぶりなど、そうそうみることなどできない。だから、ちょっぴり意地悪な気持ちになってしまう。
「うううっ」
すると、相棒が唸ったではないか。おれにたいして・・・。
いや、威嚇的というのではない。せっかくの愉しみを、邪魔したな的な軽い感じのものである。
それをみれば、余計に意地悪したくなる。
実際、いたずらっぽい笑みを浮かべていたであろう。
「みせてくださいよ、副長!相棒に、なにをしようと?」
笑いながら、詰め寄る。
「わかった。降参だ、主計・・・」
副長は苦笑とともに観念し、隠していたものを胸元にだす。
「沢庵・・・?」
その皿にのった沢庵をみ、みたままのことを言葉にする。
「みりゃわかるだろうが、ええっ?」
副長は、おれとしっかり視線をあわせ、堂々とうそぶく。
笑ってしまった。腹を抱えて。
「副長が沢庵を?ちゃんときって、皿の上にならべて・・・」
つぼにはまる。笑いはとどまることをしらず、ついに涙まででてきてしまう。
「おいおいおい、きって皿に並べたのは、新撰組の賄い人だ」
副長のむっとした反論に、さらにつぼにはまる。
「わかって、わかってますよ、副長・・・。でも、それを指示されたのは、あなたでしょう?」
ついに立っていられなくなった。廊下に座り込んでしまう。
「くそっ!だから、ひきうけたくなかったんだよ」
苦笑交じりの愚痴とともに、副長もおれの隣に腰を下ろす。
そのとき、おれの袂がひっぱられた。かなり強く。
それまで我慢強くまっていた相棒も、大好物のおあずけに、ついにきれたようだ。
つぶらなはずの瞳が怖い。祖先の狼を思いおこさせるその光に、「すまない、相棒」、とすこしだけ笑いをおさめて謝罪する。
「やってもいいか?」
「ええ、お願いします」
副長はおれに一つ頷くと、沢庵をなん枚か自身の掌にうつし、それを相棒にやる。それを繰り返しながら、事情を話してくれた。
「黒谷のお抱え賄い人の漬けた沢庵だ。昼から黒谷にいってきたんだが、田中様が用意してくださっていた。会津候から、ということだ」
ありがたい話である。それで、副長みずからが・・・。
「それと、うちうちに稽古をご所望だ」
「ええっ?会津候、とですか?」
馬鹿なことを叫んでしまう。
即座に、副長が「馬鹿いってんじゃねぇ。佐川殿、だ。五名ずつだす」、と突っ込んでくれる。
「むこうは、永倉、おめぇ、それと斎藤を指名し、残る二人は任せる、と」
「斎藤先生、ですか?」
「ああ・・・。ま、斎藤はなんだ・・・。ま、兎に角、斎藤のことはなんとかする」
副長ははぐらかしたが、なんとなく察しがつく。
黒谷の間者・・・。
現代に伝わる説の一つ。その説は、あながち間違いではないのであろう。
「問題は、残る二人、だな・・・」
副長が相棒に沢庵をやりながら、呟く。
斎藤を御陵衛士から借りうけることのほうが、問題のような気がするが・・・。