男の傷痕
京にいた時分、屯所で「兼定を洗おう」プロジェクトを決行したことがあった。
そのときに非番だった隊士たちはもとより、近藤局長まで巻き込んで大変な騒ぎになった。
そして、そこにたまたまやってきた副長のイケメンに、擦り傷をこさえてしまったのである。
というのも、副長が逃げる相棒のまえにたまたま立ちはだかり、相棒を捕まえようとした。相棒に向けて思いっきりダイブしたものの、まんまと捕まえ損ねてしまったのである。
なんと、地面に顔面から突っ込んでしまったのだ。
そのあと、叱られたのはいうまでもない。
もちろん、相棒が叱られたのではない。おれである。近藤局長や永倉、原田もめっちゃ叱られた。
相棒は副長の相貌を傷つけたばかりか、文字通り泥を塗りまくった唯一の生物かもしれない。
それは兎も角、ジャーマン・シェパードは、レトリバー系のようにお水大好きな犬種ではない。だからこそ、いまも一目散に逃げたのだ。
ということは、ぽちと呼ばれる俊春も、じつはお水大嫌い系なのか?
そのわりには、先日の薩摩藩の蔵屋敷で滞在した際、屋敷の裏にひろがる海に潜水していた。
だから、苦手であったり大嫌いというわけではないのだろう。
ということは、ただ単に面倒くさいとか不潔だということか?
「失敬な。以前、申したであろう?わたしの体躯は、他人を不愉快にさせる。ゆえに、遠慮しておるのだ」
あいかわらず、おれのかんがえはダダもれしている。気がつくと、おれをみおろす俊春のかっこかわいい表情が、ムッとしたようにゆがんでいるではないか。
「それだったら、おれにもおおきな傷があります。おれも気にしていましたが、新撰組だと、だれもが大なり小なり傷をこさえています。不愉快どころか誇っていいものなんだと、いまは理解しています。だから、ともに入りましょう」
おれにも傷はある。銃傷だ。幕末ではなく、現代でできたものである。
「きまりだな。兼定、こたびはおまえは免除する。ここでまっていろ」
副長が一方的にシメ、相棒に声をかけた。
「また傷をつけられた日にゃ、婿にいけぬからな」
そして、ぽつりと付け足す。
「だから、申し訳ございませんと何度も謝罪しましたよね?」
同様の嫌味を幾度いわれたことか。
ゆえに、いつもとおなじように返した。が、副長はすでに、島田と俊春を促して風呂に向かってあるきだしている。
まったくもう。
慌ててその背を追いかけた。
感想をいうと、じつにいい風呂である。
温泉であるというのは偽情報であったが、それでもそこそこのひろさの風呂である。しかも、浴室全体に檜がふんだんにつかわれている。
これだけの風呂なら、名温泉旅館の内風呂といっても過言ではない。
おれは手拭いでまえを慎重に隠し、ちゃんとかけ湯をしてから湯船につかった。それから、褌一丁で副長と島田の背を流す俊春をみつめた。
この期におよび、いっしょに入ろうとしない俊春の頑固さに、ただただ驚嘆してしまう。
檜のいいにおいが鼻腔をくすぐる。湯煙のなか、湯船につかりながら俊春の小柄な背をじっと観察している。
もちろん、もちろん、もちろん、とムダに三度も強調してしまったが、へんな意味にではない。
背中というよりかは、背中の傷である。
たしかに、どれも古い傷のようだ。そのほとんどが銃傷である。たしかに、斬り裂かれたような傷もあるが、刀や剣のようなきれいな傷というよりかは、なにかの衝撃によるものか、あるいは刃物でもごつい刃か特殊な武器によるもののようだ。
すくなくとも、日本刀で斬られたような裂傷ではない。
いくら腕が悪かろうが、日本刀がなまくらだろうが、もっときれいな傷痕になるだろう。
「主計、おぬしの視線が熱すぎるのだが」
気がつくと、俊春がこちらに向き直っておれをみていた。
どうやら、二人の背中を流しおえたようである。
湯煙のなか、大小二つの影がかれのうしろからあらわれた。湯船にちかづいてくる。
「あ、熱すぎませんよ。傷をみていたんです」
自分でも驚くほど、抗弁するその声が裏返っていた。
そもそも、抗弁するということじたいがおかしいのかもしれない。
「おいっ、主計。見張っててやるからな。背を流してもらえ」
「おれはいいです、副長。見張っててもらっても、以前のように角質がすぐには再生できないほど全身をこすられまくったら、夜も眠ることができなくなります」
副長は、湯船のまえでおれを睥睨している。手拭いでアレをおおってはいるものの、でかさに自信があるのか、それも申し訳程度に添えているって感じがぱねぇ。
その副長の隣に立つ島田は、さすがはモラルのある大人である。手拭いでアレをがっちりおおっている。




