副長、捨てないで
土方歳三は副長だ。局長っていう器じゃない。
「主計、てめぇっ!いまのはどういう料簡だ、ええっ?」
当然ダダもれである。また叱られてしまった。
「申し訳ございません」
自分でもビクッとするほどおおきな声だった。しかも、裏返っていた。
「「鬼の副長」っていうくらいですから、副長はやっぱり副長以外かんがえられないな、と」
「ごまかすんじゃねぇよ。局長の器じゃねぇっていったろうが」
「失敬な。口にだしてはいってません」
「おまえのかんがえは周囲にもれまくってんだよ。口にだしていってるのとおなじことじゃねぇか」
「そんなの理不尽です。実際、発言していません。勝手に人の心に土足で踏み込むほうがモラルに反します」
逆ギレっていうのか、これ?兎に角、理不尽ないいがかり、もとい、パワハラを糾弾する。
「屁理屈いってんじゃねぇよ。おまえのは、心のなかにはいったり、ましてやよむまでもないんだよ。頭の上にはっきりと浮かんでいるんだからな」
「そんな馬鹿なっ!そんなのまるで、漫画じゃないですか」
さらに逆ギレっていうのか?兎に角、キレまくってしまう。
市村と田村が笑いだした。
よかった。この理不尽きわまりないパワハラ劇が、かれらの追い詰められた感をわずかでもやわらげることができたみたいだ。
「ったく」
やっぱり副長である。かれらの緊張感をやわらげるべく、理不尽きわまりないパワハラ上司を演じてたんだ。
ですよね、副長?
いまのおれのダダもれはスルーされた。
副長はプリプリしていたが、表情をやわらげて子どもらに視線を向けてから告げる。
「副長でいい。鉄のいうとおりだ。おれも、局長なんて呼ばれてもしっくりこねぇ」
「じゃぁ副長、わたしたちは捨てられるんですか?」
市村の必死の視線と問いに、さすがの副長もゼロコンマ以下の間たじろいだ。
「捨てる?なわけなかろうが。できれば、どこか静かな土地の裕福な家に預かってもらいてぇとは思ってるがな……」
「いやですっ!」
二人そろって、副長にかぶせた。
「お願いです。足手まといにはなりません。がんばって敵を殺します。だから……」
「だめだっ!」
市村が訴えおわらぬうちに、ダメだしをしたのは俊春である。
かれは、分厚いがこぶりの掌を伸ばすと二人の肩をがっしりつかんだ。それから、無理矢理自分の方へ向かせる。
「おまえたちは、人間を殺してはならぬ」
俊春のめっちゃ悲し気な表情と声音がジワる。
二人とも、俊春の言葉にはっとさせられたようだ。
瞬時にして、二人の相貌に後悔というか悪いことをいってしまったというか、兎に角、バツの悪そうな表情が浮かんだ。
「ぽち先生のいうとおりだ。不安にさせちまったことは謝る。なにも捨てるつもりはねぇ。だが、危険な目にあわせたり、敵も含めただれかを傷つけさせるつもりもねぇ」
副長が俊春に落ち着くよう、アイコンタクトを送った。俊春は、恐縮して二人から掌をどけると頭を軽く下げる。
「ゆえに、おまえらが無事に不自由なくすごせるところがみつかれば、そこに置いてゆく。その覚悟だけはしておいてくれ。おまえらになんかありゃぁ、局長や源さんが浮かばれねぇ。わかってくれるな?それから、二度と人間を殺すなんてことをいうな。そんなことは、おまえらがすべきことじゃねぇ。たとえわが身や仲間が危険にさらされようと、おまえらはさっさと逃げるんだ。おまえらなら、それができる。ムダに戦おうとするな」
副長のことを分けた説得に、かれらは納得しきっていないとしてもうなずくしかない。
どちらもこくりと頭を上下させた。
「まっ、もしもここに捨てるとしたら、それは主計だな」
「そうですよね」
「やっぱりですよね」
ちょっ……。
かれらの不安をやわらげるにしても、いまのはひどくないですか、副長?
それに、市村も田村も納得するんじゃない。
かれらがでていってしまうと、副長はおおきく息を吐きだした。
大人とはちがう意味であつかいに気を遣っているのだろう。
「副長、やはり泰助たち同様、日野に置いてきたほうがよかったとお思いですか?あ、おれも副長って呼んでいいですよね?」
副長に、そうふってみた。
泰助は、井上泰助といい、副長や沖田には兄弟子にあたり、新撰組の幹部で局長や副長にとってはいい兄貴分である井上源三郎の甥っ子である。
新撰組がまだ隆盛をきわめていた時分、幾度か隊士を募った。が、関西系はじつに油断がならずしかも飛びやすい。飛びやすいというのは、辞めてしまうことである。
ってか、新撰組では行方不明というか、ぶっちゃけ脱走になるか。
お調子者のおおい関西系である。勢いや思いつきで入隊したものの、そのブラックさに「こんなん話がちゃうがな」ってなって、脱走してしまうのである。
ゆえに、わざわざ関東、副長たちにとっては地元へ出張し、隊士を募りにいったのだ。
その際、故郷の後援者たちから、何人もの子どもらをつかってくれ、と託されたわけである。
副長たちも後援者からの頼みをむげにはできなかった。ゆえに、引き受けざるをえなかったわけである。
それで、局長と副長の小姓というようなていにし、子どもらは京ですごした。




