表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

844/1254

武士(さむらい)と生命(いのち)

「桐野先生。武士さむらいにとって、いさぎよい死は名誉あることなのでしょうか。すばらしいことなのでしょうか」


 そのとき、それまで副長たちのやりとりをしずかにきいていた俊春がたずねた。


「わたしは武士さむらいではありませぬ。ゆえに、失礼ながらあなたのおっしゃることは、ただ運命さだめと現実から逃げているにすぎぬとしか思えませぬ。近藤局長と同様に、でございます」


 かれは、いいにくそうにつづける。だが、両瞳は半次郎ちゃん、それから副長をしっかりとらえている。


 一瞬、おれをよんで代弁してくれているのかと思った。そう思った瞬間、かれの双眸がおれの双眸それをとらえた。


 おぬしだけの気持ちではない……。


 なにゆえか、かれの双眸がそう告げている気がした。


「桐野先生、われわれのように他人ひと生命いのちを奪って生きる者は、そう簡単に死んではならぬのです。たとえいかなる事情や理由があろうともです。それは、西郷先生のように、おおくの人々の上に立つ方も同様でございます。西郷先生も、おおくの血と生命いのちを奪い、逆にそれらを奪われた末に、いまがあるのですから。死んで地獄にゆくのは簡単なことです。ですが、われわれは生きぬいて奪ってきた、あるいは奪うおおくの生命いのちにたいし、償わねばなりませぬ。それを、死んでもいいなどと申されますな。そういうことは、身勝手の上にかっこつけしい、というものでございます」


 俊春の視線が、副長へ向けられていることに気がついた。

 

 かれは半次郎ちゃんだけではなく、副長にも告げているのだ。


 それは兎も角、かれのいうことはわかるような気がする。他者の生命いのちを奪う者は、生き地獄を味わうことで、それを贖罪にしろといいたのであろう。


 もちろん、これは極端すぎる持論である。

 

 俊春は、その奥底に「だれにも死んでほしくない。死んでいいはずがない。だれもが無事に生き抜いてほしい」、という強い想いを抱いているのではないかと思う。


 なぜなら、おれもそうだからである。


 正直なところ、歴史がどうなろうとしったこっちゃない。


 いっそのこと、死んだことにして海外逃亡すべきである。


 俊春が思いの丈を語ったが、副長も半次郎ちゃんも無言のままなにかをかんがえている様子である。


 西郷と半次郎ちゃんもであるが、副長だって死ぬつもりなのかもしれない。だからこそ、俊春は西郷と半次郎ちゃんを口実にして、副長に訴えたかったのかもしれない。


 いまの俊春の想いが、二人の心に響いてくれたのだったら、どれだけいいことか。

 

 心底そう願わずにはいられない。



 蔵屋敷に戻ると、その門前で野村と別府が数名の警備兵たちと馬鹿笑いをしているのが、篝火のなかに浮かび上がっているのがうかがえる。


 警備兵たちは、半次郎ちゃんに気がついたようだ。すぐに馬鹿笑いをやめ、姿勢を正してむかえた。


「晋介、警備ん邪魔をすっんじゃなか」


 半次郎ちゃんは、一応いかめしい表情かおで従弟を叱る。


「半次郎ちゃん、邪魔をしちょるんじゃあいもはん。眠気覚ましに話をしちょっとじゃ」


 別府はソッコーでいい返した。が、半次郎ちゃんはうなり声をあげただけで、とくになにもいわない。


 おそらく、半次郎ちゃんは警備兵たちのまえで、『半次郎ちゃん攻撃』をされたくないっていうのもあるのであろう。プラス、従弟に弱いということもあるのかもしれない。


 いい従兄弟どうしである。あらためてうらやましくなる。


 従兄弟に会ったのは、小学校の時分ころに一度だけである。それも、挨拶だけである。いまとなっては、相貌かおどころか名前もわからない。さらには、何人いるのかも。


 かんがえてみれば、親父が死んでからほぼ天涯孤独状態である。親父の故郷に伯父伯母従兄弟はいる。が、親父の死を伝え、葬儀にきてもらって以降音信不通である。その葬儀ですら、おれは呆然としたなかでおこなわれ、いつの間にかおわっていた。ゆえに、親戚に挨拶をしたかどうかも覚えていない。


 おれが現代からいなくなったことで、親類縁者に迷惑がかかっていなければいいのだが……。


「そんたっちゃんというとやったんか?」


 表玄関へとむかいはじめると、野村がだれかにたずねている声が背にあたった。


「やるわけあいもはん」


 それに応じたのは、まだ若い声である。気恥ずかし気なその声音が、篝火の届かぬ薄暗さのなかにふわふわ浮かんでいる。


「けつ、女子おなごとやったこっがなかど」


 ちがうだれかがそう叫ぶと、いっせいにげらげら笑いだした。


 いつの世も、男ばかりが集まるとこういう話になるんだな……。

 ムダに感動してしまう。


「申しわけなか。故郷くにをはなれてしばらく経つで、みんな溜まっちょっようじゃ」


 半次郎ちゃんが、あるきつつだれにともなく謝罪した。


「そりゃそうだろうよ。聖人君子でないかぎり、だれだって女子おなごとよろしくしたいって思うさ」

「土方さぁは、女子おなごにもつっときいちょっ。じゃっで、島原界隈にも見張りを置いちょったど」


 半次郎ちゃん、なんてことをいいだすんだ。

 

イケメンをより天狗にさせて、いったいどうするつもりなんだ?




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ