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「狂い犬」の采配

 いつも驚かされてばかりであるが、俊春は左の小指と薬指を失っている。しかし、そうとは思えぬほどの剣技を披露してくれるのだ。

 

 その二本がないのは、剣士としては致命的である。それだけではない。かれは聴覚、さらには視覚も障害がある。

 いろんなハンデを抱えているのに、日本一の剣士であると断言できるほどの実力がある。


 日頃のストイックな鍛錬だけではない。

 兎に角かれは、いろんな面で地球の神秘レベル的にすごいのである。


 水を打ったような静けさとは、このようなことをいうのだろう。遠くから、おだやかな波の音がきこえてくる。それほどの静けさである。


 時間にすれば、数十秒かそこらであろうか。

 

 しばらくすると、背を地面にたたきつけられた海江田のちいさなうめき声が流れてきた。


「地にあたる瞬間に勢いを殺した。さほど衝撃はあるまい」


 俊春は木刀を握らぬ方の掌を、仰向けに横たわりうめき声をだしている海江田へと伸ばした。

 

 海江田がうめいているのは、痛みによるものではないらしい。


 俊春の小柄な背をみながら、あらためてそのちいささに驚きを禁じ得ない。いや、実際は「ちっちゃ」っていうほどちいさくはない。この時代の平均男性と比較しても、俊春はちいさい。おれも他人ひとのことはいえないが、よくよくみれば、俊春は彼の兄貴やおれよりもちいさいのである。


「木刀でもって全力で打ちかかってきてこのザマだ。無掌でわたしを組み敷こうなどと、とうてい無理だな」


 伸ばした掌で海江田を助け起こしてやるのかと思いきや、その掌を海江田の顔面上でひらめかせつつ、低い声でいってから笑う。


 それはまさしく、俊冬同様ゾッとするほどの凶暴性を秘めている笑声である。


「わたしを殺ろうというなら、いつでも受けて立つ。だが、ヤロうというなら死ぬ覚悟でこい。刹那以下の間に不名誉な死を与えてやる」


 俊春は、恫喝してからクックと笑声を上げた。それから、わずかに上半身を折り、海江田の腕をつかむと右腕一本で軽々と浮かせた。

 海江田は、もたもたと地に脚をつけてよろめきつつ体勢を整える。


 まだふらふらしている海江田の相貌かおは、真っ蒼である。いろんな意味で、蒼白になっているにちがいない。


「わたしなら、この木刀一本で蔵屋敷ここにいるすべての薩摩人さつまびとを、瞬時に殺ることができる」


 そう断言してから、またしてもゾッとするような笑声をあげる。

 蒼白、というよりかは、まだ状況を呑みこめていないらしい海江田の手に木刀を手渡してから、かれは西郷へと向き直り、地に片膝をついて神妙に頭を下げた。


「ご無礼をいたしました。私情をまじえましたこと、心より謝罪いたします。さきほどのは、わが主とは関係のないことでございます。どうか、ご承知おき願います」

「さすがは「狂い犬」じゃ。んーにゃ、悪かとは武次どんの方じゃ。自業自得。あたは、当然んこっをしたまでじゃ。んーにゃ、寛容な対応じゃ。礼をいわせてくれん」


 あくまでも俊春個人の暴走であって、新撰組とは関係がないと謝罪する俊春。それを、西郷は海江田の方が悪いので気にするなと返した。


「恐れ入ります」


 俊春は、再度頭をたれてから立ち上がった。いまだ呆然と突っ立っている海江田に目礼し、こちらへとあるいてくる。


「くそったれ。やることが憎すぎるな」

「土方さん。そういうのを、クールっていうらしいぞ」

「クールですか、組長?どういう意味でしょうか」


 副長は、なにゆえか「くそったれ」認定しているし、永倉はなにげに現代っ子を垣間見せているし、島田はあいかわらず好奇心旺盛な永遠の少年を演じている。


「島田先生、クールっていうのはかっこいいという意味ですよ」


 笑いながら教えた。

 いや、実際、いまのはクールだった。まぁ、クール以上に不気味で怖いところもあったが。


 俊冬の場合は、そのギャップを何度もみているから、ある意味すんなり入ってくる。が、俊春がこういう面をみせるのはめずらしい。


 だからこそ、余計にそう感じられるのかもしれない。


「申し訳ございません。やりすぎてしまいました」


 俊春はこちらにちかづきつつ、視線を副長と合わせて謝罪した。すると、副長の脚許にいる相棒がすっくと立ちあがり、尻尾を盛大に振りながら俊春のところへ駆け寄ったではないか。


 ちぇっ!いいんだ。いいんだよ、もう。


 元カレの力ないつぶやきである。


「詫びる必要なんざねぇよ、ぽち。いい采配だった。まっ、本人には悪いが、いい薬になったろうよ」


 さすがは副長である。めっちゃ悪意ありありの笑顔をそのイケメンにひらめかせ、さらに悪意ある笑い声でもって応じる。


「「狂い犬」?」


 そのささやき声で、俊春は振り返り、おれたちは視線をそのささやき声の主へと向けた。



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