もちつもたれつ
林につきあってもらい、大広間にいってみた。
大広間は、隊士たちの食堂兼憩いの場である。
この時分、隊士の数は百名をすこしうわまわっている。
幕府直参に取り立てられたのも、この時分である。
新撰組に残っていた伊東派は、直参に取り立てられたことで、完全にキレたのだ。
かれらは、尊皇派、なのだから。
それは兎も角、大広間は、百名がいっせいに食事ができるほどひろい。
林とそこに駆け込んだとき、原田は、大広間の隅っこで相棒の永倉、永倉の片腕であり監察方の島田と、将棋盤を囲んでいた。
めずらしく、周囲に見物人がたかっていない。
将棋や囲碁は、人数分あるわけではない。数にかぎりがある。たいていは、指す当人たちを囲み、それは違うとか、そこはそうすべきとかうるさくいったり、あるいは、どちらが勝つかを賭けたりしている。
いつも思うが、これだけおおきな広間なのに、たいてい隅っこのほうにかたまっているというのが面白い。
それはなにも、将棋や囲碁だけにかぎらない。寝っ転がったり、貸し本屋から借りてきた本をよんだり、刀の手入れをしたり、ただぼーっと天井をみていたり、やることはそれぞれだが、共通してなにゆえか隅っこにいる。
ゆえに、広間の中央部分がぽっかりあいている。
不可思議な話である。
このとき、なにゆえ周囲に見物人がいないのか、ちかづいてみてすぐにわかった。
将棋盤を囲んでいるだけなのである。駒は、盤の上に無造作に置かれている。
三人はそれをだしに、ひそひそと話をしている。
だれもちかづくな、というオーラが、とくに原田から強くでている。どんなに鈍感な男でも、このオーラに気づかぬわけはない。ちかよろうにも遠慮してしまう。
が、おれはそうはいかない。すぐにでも、談判しなければならぬ。
ゆえに、原田の名を連呼しながら、大広間を端から端までずかずかと横切った。うしろに、困惑顔の林を従えて。
「原田先生、お願いですよ」
「ああ?いったい・・・」
なんどめかの呼びかけで、原田はやっと前屈みの姿勢から頭を上げ、ついでこちらを振り返ってくれた。
「なんだ、主計じゃねぇか?」
原田は、いつもとどうも様子が違う。元気がないというか、覇気がないというか・・・。
「なにか用か・・・?」
「そうだ左之、兼定だ。そいつは、つくってもらうことにしてよ。主計と兼定に頼んでみちゃぁどうだ、ええ?」
「そうですね。それ、いいかんがえですよ、組長」
永倉は、原田にかぶせるというよりかは完全に口を閉じさせ、なにごとかを提案した。
それを支持するのは、片腕たる伍長島田のごく自然な行動なのであろう。
原田は、もともと考えたり迷ったり、ということが煩わしい性質である。というよりかは、本能?いや、欲望に従うタイプといっても過言ではない。
いまも、即座に顔が明るくなる。
「そうだな。よし、きまりだ」
胡坐を掻いたまま、こちらへ器用に向き直る。
嫌な予感がする。
正確には、なにかを頼まれそうな気が。
いや、だめだ。そのまえに、こちらの話をきいてもらわねば。その為に、ここにきたのだから。
そのタイミングで、十番組の隊士が大広間に駆け込んできた。反対側、なんの拵えもアクセントもない襖のところから、自分の組の組長をみつけた。
「組長、組長、原田組長っ!」
組長の大安うりでもするかのように、何度も叫びつづける。
「なんだってんだ、村井っ!」
邪魔をされ、怒鳴りちらす原田。
「副長がお呼びです。ちょうどいい、伍長、林伍長のことも、お呼びです」
「おいおい、もうばれたってか?」
永倉が、笑いながら囁く。
「林、さきにいってくれ。いって、土方さんをごまかせ。おれは、主計のことですこしおくれる、とな。で、なにかいわれても、しらぬ存ぜぬでとおしてくれ。あのこと、口が裂けても、切腹だっつっていわれても、いうんじゃねぇぞ」
意味深な命令である。
さらに嫌な予感がする。
林は、原田とはずいぶんながい付き合いらしい。こういう無茶ぶりも、慣れているのであろう。
「わかりましたよ、組長。わたしが口を裂かれるか切腹するまでに、ちゃんときてくださいよ」
林は、しごく真面目な表情で答える。
それから、「主計、布団、恩にきるよ」、とおれの耳に囁く。
「村井っ、わかった。すぐに参る」
さして急ぐこともなく、懐手にぶらぶらと大広間を去る。
雑賀衆の末裔は、ずいぶんと度胸があると、つくづく思う。
「そのまえに、おれの話をきいてください。おまささんのお父上に、隊士全員にゆきわたる以上の布団をいただきました。これはもう、好意以上のことです。賄賂の範疇もこえている。どうか、ひきとってもらうように、原田先生かおまささんからお願いしてください」
一気にまくしたてる。そうしないと、いけない。
そうしないといけないことを、新撰組で学んだのである。
「ああ、いいよ」
原田は、二度三度瞬きする間もなく了承した。
実際、おれの話が、原田の脳のウエルニッケ領域にまでちゃんと到達するだけの間が、なかったかもしれない。
「で、その見返りとして、おれもおまえに頼みがある・・・」
原田は、そういってから奇妙な笑みを浮かべた。