親父のアドバイス
が、この時代はちがう。
たしかに、現代に名を残している人物なら、ウィキなどから流派、それから皆伝や目録っていうことはわかるかもしれない。が、それだけである。それ以上、たとえばどんな攻撃をしてどんな技が得意なのかなどという詳細は、よほどのことでないと残ってはいない。
ぶっちゃけ、剣をまじえながら探ってゆくしかないのである。もっとも、それが当然のこととはいえ当然のことである。
つまり、現代が便利すぎるのだ。
しかし、今回は永倉がチャンスをくれた。さきほどの立ち合いは、おれにとって対戦相手の動画をみるよりなん百倍もためになった。
それもまた、当然のこととはいえ当然のようにことである。なぜなら、めっちゃ生なんだから。
って、そんなことをかんがえるほど、ヨユーがあるのか?
いいや、じつはそんなもの微塵もない。正直、いまはまず海江田の初太刀をどうするかで頭がいっぱいになりつつある。
どうでもいいことをかんがえてしまっていたのは、ただの現実逃避である。
初太刀を永倉のように受け、しかも弾き飛ばすだけの腕も膂力もない。永倉は、そのどちらも半端ないからできたわけだ。
おれだったらきっと、受けた時点で力負けするだろう。そして、自分自身の木刀か海江田の木刀が体のどこかにあたり、打撲を負うだろう。いや、骨にひびが入るか、下手をすると骨折してしまうかもしれない。
示現流の初太刀は、それほどまでにすごいのである。
なにせあの近藤局長が、「受けてはならぬ。避けよ」と戒めたのである。
近藤局長は、ぶっとくて重い木刀を日々振っていた。そんな膂力のある近藤局長が、示現流の初太刀をなにより警戒していたのだ。
示現流や薬丸自顕流では、「一の太刀を疑わず、二の太刀は負け」という一撃必殺の精神を重んじている。
つまり、最初の一撃で敵を倒せ。二太刀目はないんだぞっていうわけだ。
はやい話が、そんなすごい一撃を受けるか避けるか悩むだけムダってことだろう。
よしっ・・・・・・。
腹をくくった。木刀を太刀のように軍服のズボンのベルトにはさむ。
愛用の「之定」は、島田にあずけている。
左の掌は鍔止めあたりに軽くあて、右掌を柄の中ごろにちかいところに添える。
海江田の双眸が細められた。
きっと、「おや?」ってなっているんだろう。
背後にいる副長たちは、どう思っているだろう。残念ながら、おれにはそれをよむことはできない。いや、ヨユーがない。
海江田の木刀が、ゆっくり夜空へと上がってゆく。
息をゆっくり吸い、ゆっくり吐きだす。こうすることによって、気分がすこしは落ち着く。そうすると、相対する海江田だけではなく、周囲もよくみえてくる。それだけではない。なんとなくだが、海江田の息遣いを感じ、瞳の動きもみえるような気がする。
なんかいつもとはちがう気がする。ただの気のせいかもしれない。いいようにかんがえすぎているのかもしれない。
しかし、なんかやれそうな気がする。
すくなくとも、伊庭の道場で伊庭と立ち合ったときよりかはずっと「おれ、イケてるんじゃね?」感がぱねぇ。
わずかに腰を落とし、脚は肩幅に。わずかに右に開ける。
準備は完了である。
とんぼの取りに対すると、否が応でも圧が半端なくかかってくる。それでなくともこの時代の男性の平均身長より高い海江田が、『NBA』の選手のようにでっかく感じられる。
気迫に呑まれるな。竹刀を構えている相手は天才でも麒麟児でもない。そもそもそういうやつは、漫画の世界にしかいない。だれもがおまえとおんなじように練習し、努力している。気迫に呑まれるのではなく、呑んでやれ。
小学校のとき、試合のまえに親父がよくそうアドバイスをくれた。
小学校のときは、これでも全国大会出場の常連だった。まぁ、天狗になっていたんだろう。ゆえに、親父のアドバイスをききはしたが、大丈夫だとタカをくくっていた。
正直、試合の相手を怖れていたわけじゃない。親父が約束通り、ちゃんと応援にきてくれるのかどうか、そっちのほうが不安で、意識が向いていた。
結局、親父が応援にきてくれたのは、たった一度きりだった。しかも遅れてきて、おれの準決勝だけみて現場に戻ってしまった。
アドバイスより、試合をみてほしい。
おれは、いつも心のなかで親父にいっていた。
その親父のアドバイスは、年齢を重ね、おおくの剣道選手と出会ってやっと実感できるようになった。さらに身に染みたのが、いや、身に染みているのが、現在である。
幕末だからこそ、親父のあのアドバイスがめっちゃ役立ってる感がある。
もっとも、いかしきれていないところが情けないが。
だが、今夜はちがう。気迫に呑まれることなく、海江田の両瞳をみすえつつも、その周囲もみている。
 




