布団
慶応三年(1868年)十月十四日、第十五代将軍徳川慶喜が、政権を朝廷に返上した。
世にいう、「大政奉還」である。
これは、坂本龍馬の尽力といっても過言ではない。
そして、これ以降、時代の波はおおきくうねりを生じる。
すなわち、一つの時代が終焉を迎え、あたらしき時代を迎える。その動乱の時期に、本格的に入ってゆくこととなる。
「主計、原田組長のところから、おおきな荷が届いているぞ」
おねぇ騒動もひと段落したある日の午後、庭で子どもらとハンドリングの練習をしているところに、十番組の伍長がやってきた。
「荷ってなんですか、林先生?」
おれにかわって市村がたずねると、その十番組の伍長は苦笑とともに応じる。
「おおきいが軽い。中身はわからぬ。が、やわらかいので、布団ではなかろうか?」
「あっ!それ、おれのですよ」
市村は、そう叫ぶなり駆けだした。そのあとに、ほかの子どもらがつづく。
そう、市村に、布団を弁償したのだ。そうでないと、気がすまない。
あの夜、相棒が子どもらを起こし、子どもらが相棒の様子から、おれの危急を察した。そして、巡察から戻ったばかりの井上率いる七番組に、助けを求めてくれた。それがなかったら、あのとき、おれはただではすまなかったであろう。
子どもら、井上、そして相棒・・・。いわば命の恩人である。
相棒が子どもらを起こすのに暴れてだめにした布団くらい、弁償するのは当然のことである。安いくらいだ。ゆえに、その翌日に原田に相談した。そして、原田から奥方のおまささんへ、おまささんから実家の父上へ。
この午後届いた大きな荷、というのは布団にほかならない。
「主計、それにしても、どれだけ布団を頼んだのだ?あまったら、おれにもわけてくれ。そろそろ寒くなる。せんべい布団一枚では、どうにも眠れんでな」
林は、胸のまえで両腕を交差させて自分自身を抱く。
そのジェスチャーに、思わずふきだしてしまう。
林は、痩せて背ばかりが高い。そういえば、十番組は背の高い隊士が多い。組長の原田がそうであるから、というわけではないのであろうが、すべての組が集合したときなど、十番組だけがほかの組より頭一つ分高い。
「それともわん公、一緒に寝てくれてもいいぞ」
林は両膝を折ると、お座りしている相棒に目線を合わせる。それから、両掌で相棒の頭や体をやさしく撫でる。
ここにも、犬好きが一人・・・。
林は、柔術の遣い手である。長身からくりだす技の数々は、新撰組では剣士にひけをとらないほどの、キレと威力をもっている。
よくみると、林の着物も袴も擦り切れ、てかてかしている。ずいぶんと着込んでいるようだ。
不意に、林がおれをみあげ、にっこり笑った。
三十代後半か四十代前半くらいであろうか、壬生浪とは思えぬほど、穏やかな表情である。
つられて笑う。
「寒がりなのですか、林先生は?」
問うと、林の相貌に、さらにおおきな笑みがひろがる。
「自身では、さほど寒がりではない、と思っておったのだがな。新撰組は、寒がりより暑がりのほうがはるかにおおい。肉がついている者が、おおいようだ。ゆえに、真冬でもせんべい布団一枚だけでも寒くないらしい。京の気候は、どうにも馴染めんでな」
そう、京は盆地。夏は異常に暑く、冬は異常に寒い。
きけば、林は紀伊の出身で、雑賀衆の末裔だとか。
雑賀衆とは、鉄砲を扱う傭兵集団である。
「たいへん、たいへんだよ、主計さんっ!」
荷をみにいったはずの子どもらが駆け戻ってきた。
「きてよ、主計さん。いったい、どれだけの布団を頼んだの?」
「みんなに一枚ずついきわたりそうなほどの数だよ」
「何台もの荷車で運ばれてきてるよ」
「主計さん、金子、大丈夫なの?」
子どもらは、同時に叫ぶ。
聖徳太子ではない。一度に複数のことをきくことはできない。
てか、正直、ききたくない。
どこをどう解釈すれば、隊士全員にいきわたるだけの布団が発注されるのであろうか?
そして、その勘定を、月々幾ら、ボーナス時には幾ら、のローンを組めば支払えるのか?
そもそも、新撰組に、ボーナスなるものはあるのか?
そんなどうでもいいことを、考えてしまう。