屯所の豚は?
「おっ、やってるな」
まただれかやってきた。
ちょうど、俊春がカツを玉子でとじようとしているタイミングである。
副長である。厨の入り口に立ち、ニヤニヤ笑いを浮かべている。その左脚許には相棒がお座りしていて、まるで副長の相棒であるかのような涼し気な表情をしている。
それにしても、厨の灯火に照らしだされている副長の薩摩軍の士官服姿は、薩摩軍のどんな士官よりも、ムダにカッコいいのであろう。
悔しいが、さすがは日本史において三本の指に入るであろうイケメンだけのことはある。
島田が丼鉢に飯をよそう係で、永倉がみそ汁担当。そして、このおれ様は、なにゆえか漬物担当である。
「めっちゃいいにおいだ。裏口をくぐったとたん、漂ってきた。西郷さんも半次郎ちゃんも、愉しみにしているぞ」
「副長、さきに警備の兵士の方々におだししたいのですが」
俊春が、許可を得ようとする。
新撰組の習慣通り、上役は最後にだすつもりらしい。
「いいんじゃねぇのか?さっき、利三郎と晋介が、兵士たちに「夕飯だ。掌を洗ってこい」っていたからな」
はぁ?野村のやつ、なんて調子がいいんだ。ってか、さきばしりすぎだろう。
で、副長まで別府のことを晋介って呼んでるところがウケる。
「おっと。そうだったな、兼定。兼定も腹をすかせている。ぽち、今宵の献立は?」
「例のごとく、主計の案でございます」
俊春が如才なく答え、おれがカツ丼について説明した。
「それは愉しみだな。そういや、法眼に豚を飼って喰えっていわれたが、結局、喰わなかったな」
おれの説明がおわると、副長がそういってから苦笑する。
「喰わなかったんじゃないだろう、土方さん?喰えなかったんだ。そういえば、あの豚たちはどうなったんだ?」
「ああ・・・・・・。借金のカタに、万屋にもたせてかえらせたんだ。あの主人、豚をカタ代わりにおしつけられて相貌が蒼白になっていたな」
永倉の問いに、副長はしれっと答えた。
それは蒼白になるだろう。金を受け取りにいって豚を押し付けられれば、どんな豪胆な商人でもひくにきまっている。
「そのあと、うちの隊士のだれかが、洛外の公卿かなんかの屋敷にいるのをみたといっていたな。喰うつもりかどうかはわからぬが、すぐには死んでいないはずだ」
なんとなくホッとしてしまう。いまからカツ丼を喰うのだから、しょせん偽善でしかない。
殺伐とした屯所内で、豚は野良猫同様、隊士たちをすこしはなごませたかもしれない。その豚たちが、とりあえずは生きているかもしれない。そう思うと、ちょっぴりうれしくなってしまう。
そんな豚の話をしている最中でも、俊春は薩摩で生まれ育った豚の調理をつづけている。
以前の黄金の親子丼同様、薩摩産のかつおでとった出汁に、酒と醤油と砂糖で味付けし、葱を投入してたれをつくっている。
フライパンっぽい鉄のちいさくて浅い鍋があった。
まずそれに、お玉一杯分のたれをうつしいれ、菜種油で揚げたカツを投入。ひと煮立ちしたところに、溶き卵の三分の二をさっとまわし入れる。この溶き卵、白身を切るようにして混ぜてある。けっして混ぜすぎないようにするのが、ふわっとろに仕上がるコツの一つである。
卵インの後は、卵が鉄鍋をゆすって卵がたまるかなってところで、残りの三分の一をさっとまわし入れる。時間にすれば数十秒、そのまま火にかけたままにし、火からおろして鉄鍋にふたをする。それから三十秒ほどまってから、丼に盛られている飯の上にさっとかける。
最強最高のカツ丼のできあがりである。
できあがった順番に、みそ汁と香の物をお盆にのせ、警備兵たちに運ぶことにした。
永倉と島田と三人で、とりあえずは三食分、準備を整え厨をでてゆこうとするタイミングで、その警備兵の数名が、厨の入り口でもじもじしているのがみえた。
「すみもはん」
この警備兵たちの隊長であろう。ほかの警備兵たちとは軍服のデザインが若干ちがっている。
「晋介どんと野村大先生に、厨へ夕餉をとりにいっよう命令されたとじゃ」
「はぁ?」
永倉と島田と三人で、思いっきり怒鳴ってしまった。
「野村大先生がおっしゃっには、なんでんすげ料理人が料理をしてくれちょっと」
警備隊長らしきアラフィフの男は、生来内気なのかコミュニケーションをとるのが苦手なのか、おれたちのだれ一人として視線をあわせようとしない。
もじもじしながら、やっとのことで台詞をいいおえた。
「野村大先生?」
へたに言葉をだすことができない。別府がおれたちのことをどう説明しているかわからないが、同郷の者だと思わせたほうが無難であろう。
そうとわかってはいるものの、ツッコまずにはおられない。
 




