非常識きわまりないにゃんこ
「おお、忘れておった。そういえば、京で局長を襲撃してきた御陵衛士のなかに、かれがいたような気がする」
俊春は、フィスト・バンプをおえた拳で、右の掌をぽんと打った。
「かれ」とは、清原のことにほかならない。
局長の襲撃とは、おねぇの仇討ちに燃える御陵衛士たちによる事件である。本来なら、二条城から伏見奉行所にもどる局長と島田が襲われるはずであった。それを俊冬が局長の影武者をつとめ、俊春が島田の役をやった。
御陵衛士たちはそうとは見抜けず、すっかりだまされて襲ってきたのである。
「わたしが撒いたまきびしをまともに踏んづけたらしく、『いたか、いたか』とぴょんぴょん飛び跳ねておった」
「ははは!それはお気の毒様でした」
視線を落とすと、相棒は機嫌よくあるいている。
それから、視線を正面に向けると、軍議のおこなわれている商家がみえてきた。
「それにしても、おれたち三人だけできてよかったですよね。副長たちがいらっしゃったら、それこそ大騒ぎになるところでした」
おれは、面識がない。俊春は、おねぇとの付き合いのなかであったとしても、御陵衛士の残党に襲われた際には相貌を隠していた。清原が気がつくわけもない。加納がいなかったことも幸いである。
加納とは、面識がある。
おねぇと「角屋」で密会したことがある。その際に、加納もいっしょにきていた。
「角屋」は、島原にある新撰組御用達の揚屋である。
「そうだな。われらより、清原さんのほうが泡を喰ったであろう」
「まさか、いまや敵地であるはずの板橋にいるなんて、思いもしないでしょう。しかも、敵であるはずの薩摩軍の軍服を着用していますし。さらにその軍服は、かれより上の階級なんです。腰を抜かしてもおかしくないでしょう。そういえば、おれたちはかれより上の士官服を着用しているのに、かれはめっちゃタメ口でしたよね」
まぁ、薩摩にしろ熊本にしろ、方言だとフランクにきこえるんだろう。
「タメ口?ああ、なれなれしい言葉ということか?国言葉とは、そういうものではなかろうか」
そんなことを話しながら、商家のまえにやってきた。玄関脇に、借りものの駕籠がちゃんとある。落書きされたり切り刻まれたりもなく、無事なようだ。
もっとも、駕籠を盗んだところで、オークションやセカンドハンドに売れるものではない。それどころか、持ち運びが大変すぎる。悪戯にしたって、白昼堂々人通りのあるなかでやるには困難だ。
なにより、ここに放置してあるということは、軍議に参加している要人のものである可能性が高い。
それに手をだすなんてやつは、よほどのチャレンジャーか愚か者ってことになる。
まだ軍議はおわっていないようである。ときおり、兵卒が通ってゆく。
江戸の町の昼間とは思えぬほど、静かである。
「主計、あそこでまつとしよう」
俊春が立ち止まることなく、ある一角を指さした。そちらをみると、軍議のおこなわれている商家とは、四つ角をはさんだ向こう側に路地がある。
あの路地からだと、商家は丸見えである。路地で通りからはみえにくいので、多少ときをすごしても目立つことはない。
人間もそうであるが、相棒はどうしても目立ってしまう。さきほどの清原のように、いつなんどき犬好きか狼好きがあらわれ、声をかけてくるかもしれない。
路地までいくと、商家がよくみえる。
軍議は、あとどのくらいでおわるのであろう。士官服の胸ポケットからマイ懐中時計をとりだした。
針は、お昼どきをまわっている。空をあおぎみると、路地裏の切り取られたかのような空間で、お日様がにっこり笑っているかのように輝いている。
いまはまだ我慢できるが、もうすぐしたら我慢できなくなるほど暑くなるのであろう。
それこそ、汗臭さ全開になる。
盆地である京都や大阪は、冬は底冷えし、夏はムシムシする。生まれも育ちも京都なので、そんな夏の京都の蒸し暑さには毎年、うんざりしたものである。
この時代、当然のことながら温暖化にはなっていない。とはいえ、文明の利器であるエアコンに助けてもらっていたおれには、温暖化になっていようといまいと、夏の暑さはこたえてしまうかもしれない。
「ぽち、はやくたまと会えればいいですよね」
家の壁に右掌をおき、商家をみている俊春の背に問う。
家は、当然であるが木材が使用されている。サイディングでもレンガでもタイルでもパネルでもプレハブでもない。
「にゃんこは、死期を悟ると雲隠れする」
「ちょっ・・・・・・。なにいってるんですか?なんてこというんです?死期を悟るって縁起でもない」
俊春はおれに背をみせたまま、とんでもないことをいいだした。
「案ずるな。いまのは、世間一般的なにゃんこの話だ。非常識きわまりないにゃんこの話ではない」
「ちょっ・・・・・・。いまのもたいがいなもののいい方ですよ、ぽち。それに、その非常識きわまりないにゃんこがすぐ側にいないと、ぽちは力がでないんですよね?」
「慣れてきた」
「はい?」
「おぬし、耳朶は達者なのであろう?ならば、よくきこえておるはずだ」
「きこえているのはきこえていますよ。意味不明だから、ききかえしているだけです」
「理解力がなさすぎであろう」
「はい?理解力とかの問題じゃないですよね?」
「まったくもう。おぬしは、言の葉のやりとりがうまくできぬのか?」
「いや、ぽち。それは、おれの台詞ですよ。あーいえばこういう。こーいえばああいう」
この不毛きわまりない会話は、いったいなんだろうか。
自分からふっておきながら、そんな勝手なことを思ってしまう。




