結局、もう一夜……
半次郎ちゃんが、うしろから声をかけてきた。相貌だけうしろへ向けると、かれは二時の方向を指さしている。
おれが局長助命の嘆願書をもっていった建物とは、ちがうところである。
その商家は、軍議専用にしているのかもしれない。
たしかに、士官がちょろちょろと出入りしている。
先棒を担ぐ俊春は、そちらのほうへ駕籠の進路をかえた。
でっ結局、相棒の意見や想いが踏みにじるようなことはなかった。もちろん、尊厳も護られた。
ってか、最近、相棒はだれの相棒かわからなくなっている。
そこは、フツーの商家である。白熊のふさふさをかぶっている長州の士官がいる。それから、杏葉の紋の入った采配や武具をもっている士官とお付きらしい兵士もいる。
どうやら、かれらは佐賀藩の将兵らしい。
ちなみに、佐賀藩は蒸気船を建造したり、アームストロング砲を製造したりと、この幕末期に地味に活躍しているすっごい藩である。
薩摩藩の蔵屋敷をでるときは、往路は新撰組が駕籠を担ぎ、板橋で大村の相貌をみしだい、西郷たちと別れる予定にしていた。ゆえに復路は、海江田の小隊の兵卒に西郷の駕籠を担いでもらうことになっていた。
したがって、借りている長州藩の軍服をもってきている。どこかで着替え、薩摩の士官服は燃やそうと話をしていたのである。
当然のことながら、薩摩の士官服を転売とか悪用とか、するつもりは毛頭ない。
が、おれ的には、もう一夜蔵屋敷でときをすごしたい気がする。一日が二日に伸びたところで、歴史におおきな穴を開けるわけではない。副長や永倉や島田が不在だからといって、この二、三日のうちに新撰組や靖兵隊が壊滅するわけはない。
野村とおれにいたっては、もとから江戸にいるか、故郷であるはずの笠間藩に預けられているかのどちらかである。
「おれに気を遣ってくれるな、土方さん。おれは、あんたにしたがう」
永倉が、駕籠を肩からおろしつつ苦笑している。その横で、副長も苦笑している。
「新八。おまえに気を遣ってるんじゃねぇ。いかがするか、尋ねてるんだよ」
「土方さん、あんたの好きなようにすればいい。どうせ一日や二日ちがったところで、どうということはない。もっとも、西郷さんにとっては、いい迷惑だろうがな」
「たしかに」
どうやら、二人もこのまま江戸を去りたくないらしい。もっとも、永倉は江戸を去りたくないというよりかは、副長や島田とすこしでもながくともにすごしたい、という気持ちのほうが強いんだろうが。
「おいどんのほうがお願いしよごたっじゃ。でくれば、けりもおいどんをふんでほしか」
二人の会話がきこえたらしい。西郷が、駕籠をおりながらいった。
さすがは人格者である。『かえりも運んでほしい』って依頼してくるところが憎らしい。
「ならば、もう一夜だけやっかいになろうか」
副長の決断に、内心で思わず快哉を叫んでしまった。
「では、おいどんと半次郎どんな軍議にいってくっ。晋介どん、しきっだけ兵卒んおらんところでまっちょってくれん」
「西郷さぁ、わかりもした」
「晋介。いっちょくが、やっけなことをすっとじゃなかぞ」
「半次郎ちゃん、わかっちょるって。半次郎ちゃん、「河豚アンド豆腐マン」ともめてはだめど。おいどんな、半次郎ちゃんのこっが心配でなりもはん。半次郎ちゃん・・・・・・」
「半次郎ちゃんとよぶなち申しちょっじゃろう。いまは、桐野利秋や。半次郎ちゃんじゃなか」
「そしたや、利秋ちゃんやなあ、半次郎ちゃん?」
なんと、別府は半次郎が利秋になろうと、意地でも「ちゃん」付けしたいらしい。
「おいどんな、そんたすまんこっをしちょっね、半次郎どん」
そのとき、西郷が申し訳なさそうに謝罪した。
西郷もまた、半次郎ちゃんを半次郎どんと呼びつづけているのである。
西郷も別府も、中村半次郎が桐野利秋になったところで、慣れ親しんだ呼び名をかえるのはむずかしいのであろう。
「ふんっ!ちかごろん青二才ときたや、手に負えもはんね」
海江田にいたっては、めっちゃ露骨に馬鹿にしている。が、半次郎ちゃんも別府も、こんな海江田の態度は慣れているんだろう。しれっとスルーしている。
それにしても、別府はまさしく「薩摩の野村利三郎」である。二人が気が合うのは、似た者どうしだからにちがいない。
そのやりとりに、思わずふいてしまった。みんなも笑っている。
半次郎ちゃんも、やけ気味に笑っている。
こうして、西郷と半次郎ちゃんと海江田は軍議に、おれたちは別府を案内人にし、場所を移動した。
別府が案内してくれたのは、軍議がおこなわれている商家から十分ほどあるいたところにある長屋である。
「ここならだれもきもはん。なんにもあいもはんが、静かじゃでゆっくり休むっやろう。軍議は、おそらく一時(約二時間)もかかりもはん。いつもたいてい「河豚アンド豆腐マン」がだれかを怒らせ、大げんかになってしもてそこでおわっとじゃ」
別府は、ニヤニヤ笑いながらそうおしえてくれた。
それがマジなら、大村はいろんな意味ですごすぎるし残念すぎる。




