ドロドロ愛憎劇
どうせだ、野村。駅前じゃなくって、このままネイティブに囲まれて薩摩弁を学んでみたらどうだ?
薩摩に馴染んでいる野村をみながら、そんな意地悪なアイデアがひらめいてしまう。
「じゃっどん、西郷さぁ。いまんな、あまりにも無礼やろう。一言、謝罪があってしかっべきじゃ」
海江田は、ボスのとりなしもなんのそのって勢いである。ソプラノボイスで吠えつづけている。
かれの怒りのツボは、いったいどこにあるんだろう?まさかとは思うが、BL的見地からの怒りではないだろうな?
それをいうなら、大村だってそうである。いくら動物が嫌いで怖いからといっても、大の大人があそこまで力いっぱい抱きつけるものなのか?
ということは、西郷、大村、海江田の三人で、俊春をとりあうことに?いや、過去の男たちもいれればすごい構図になりそうだ。
それこそ、韓流ドラマ並みにドロドロ状態が長期間つづくだろう。
日本のテレビドラマだったら2シーズン、合計24回放映の連続ドラマってところか。
って、そんなことはどうでもいい。
まさか大村までBL系?いや、webでの印象と、西郷たちにきいた印象から、大村はコミュ障としかかんがえようがない。っていうか、人間が好きじゃないのではないだろうか。
うーん。それでも、ある特定の男とだと、意外と意思疎通は滞りなくおこなえて、甘えたり甘えられたりなんてことも可能なのかも。
もしかすると、ルックスにコンプレックスがあって、他人との接触を避けているのだろうか。そこに、やさしい男があらわれれば・・・・・・。
いや、おれよ。なにゆえ、大村がBL系だと断定しているのだ?俊春に抱きついていたのも、ただ単純ににゃんこが怖かっただけなのかもしれないではないか?
しまった・・・・・・。
おれとしたことが、相棒のことを忘れていた。
正確には、大村にガンたれるのをやめるよう、指示するのを忘れていた。
「相棒、やめろ!」
内心ではおそるおそる、ドイツ語で指示をだしてみた。すると、相棒は指示にしたがい、警戒態勢をといてその場にお座りしてくれたではないか。
(ふうっ!正直、スルーされたらどうしようかと思ったよ)
なーんて、元ハンドラーの気弱なつぶやきでした。
大村は、眼前の犬から敵意が消えたことを敏感に察知したらしい。両肩が落ち、緊張がゆるんだのがわかった。それでもいまだに双眸は、相棒からはなれない。
「大村さぁ、大丈夫やろうか?怪我をしもはんじゃしたか?」
西郷は、マジでやさしい男である。大村に声をかけている。
しばし、沈黙が訪れた。海江田も、腕組みしてプリプリしているが、口は閉じている。
だれもが、大村の動向に注目している。そして、だれもが心のなかでどっちがふさわしいか、迷っているはず。
「でこぴん野郎」か「でこちんの助」かを・・・・・・。
「ふくと豆腐、ふくと豆腐、ふくと豆腐」
すると、大村は口中でもぞもぞとなにかをつぶやきはじめた。
最初、なにをいっているのかわからなかった。そして、全員が耳をダンボにするなか、その口中からもれてくるのはたった一語で、それを繰り返しているようである。
ふくと豆腐?
もしかして、河豚のこと?たしかに、長州の下関は、河豚の有名な地である。それに豆腐?
鍋かなにかか?
豆腐は兎も角、じつは河豚は、武士にとっては禁忌なのである。
豊臣秀吉による朝鮮出兵の際、下関に参集した兵士たちの間で、河豚の毒にあたって落命する者が続出したらしい。そこで、秀吉は一計を立てた。絵を描いた立て札に、「この魚喰うべからず」と書いて禁じたのである。
武士にとって、毒にあたって死ぬことほど不名誉なことはない。ゆえに、江戸時代、禁止令をだし、食することを禁じた。とくに長州藩は、その取り締まりが厳しいとか。
これが解禁になるのが、その長州藩の藩士であり、日本で初めての内閣総理大臣になる伊藤博文がきっかけである。かれは、明治二十一年(1888年)に下関にある有名な料理旅館を訪れた。その日、たまたま時化で魚が取れず、女将は処罰を覚悟で河豚をだしたらしい。それを食した伊藤は、「こんなに旨い魚を食べられないとはもったいない事です」と、たいそう感激し、すぐに山口県知事に掛け合って河豚料理を解禁したのだとか。
もっとも、庶民は食していた。なかには、度胸試しする者もいたというからすごい。ちなみに、時代劇などで、河豚の毒にあたったら砂に埋めることがある。これは民間療法で、まったくの嘘ではない。
河豚の毒は、筋弛緩毒である。そのため、呼吸困難で死亡するパターンがおおい。砂に埋めて胸部を固定することで、腹式呼吸が可能になる。それで凌いでいる間に、解毒をおこなえばいいのである。
そんなトリビアは兎も角、これより二十年ほどさき、おなじ長州藩士の伊藤博文が河豚解禁のきっかけになろうと、いまはまだガチに禁止されている。
それなのに、河豚ってどういうこと?それに、豆腐って?
そうだ、思いだした。
豆腐は、大村の大好物だったはず。




