やっと拝めた
永倉はおれの呼びかけに気がつき、即座に悟ってくれた。
ほぼ同時に、大村を左右から引き剥がしにかかる。
「この野郎っ、はなれろっ」
「大村先生、猫はいなくなりました。もう大丈夫です」
永倉は、必死のあまり『この野郎っ』なんて叫んでいる。おれ自身も、薩摩弁などそっちのけで怒鳴ってしまっといる。
おれたちの剣幕に、副長と島田、半次郎ちゃんもちかづいてきた。
「晋介、海江田さぁをおせていろじゃ」
「うん。半次郎ちゃん、まかせたもんせ」
半次郎ちゃんは別府の返事にうなり声をあげたが、すぐにくわわってくれた。
って、それにしても、『あんた、蛸か?』っていいたくなるほど、大村は俊春にくっついている。っていうか吸いついている。
そういえば、web上のかれのポートレートは、蛸に似ていなくもない。
蛸に似ているというのはおいておくとして、長州の周布政之助が、大村のことを「火吹き達磨」とネーミングした。以降、長州藩のなかではそれが暗黙の了解的に二つ名になっているらしい。
どれもこれも、いい得て妙すぎる。
大騒ぎにならぬよう、引き剥がしを試みつつ道の端による。
道を急ぐ軍服姿の将兵は、何事かとガン見しながらとおりすぎてゆく。
このままでは、西郷や半次郎ちゃんの知り合いや部下が通りかかるともかぎらない。
「相棒っ」
もみ合いになったその瞬間、相棒が俊春と大村の間に無理くりに体をねじこんだ。すると、大村の吸着力が弱まった。
突然、四つ脚の動物が視界に入ったものだから、大村も驚いたにちがいない。
俊春も、そこでやっとわれに返ったようだ。
「大村先生っ!大村先生、ないすっとじゃ」
俊春は、まるで上司にセクハラされた部下のごとく、凛とした声音で糾弾しつつみずからの掌で大村を引き剥がしにかかった。
こんなときにでも、かれの薩摩弁のイントネーションはばっちりである。
そこでやっと、剥がれた。
いまの大村の膂力は、それこそ武道家や力自慢のそれと比較しても遜色ないほどであった。
それほどまでに、にゃんこが怖いのか?
って、どうやらかれは、犬もダメらしい。
相棒は、俊春を護るように四つ脚を踏ん張っている。
それはまさしく、わが子を護る親犬の姿のようだ。
「ぶふふっ!」
「ふふふっ!」
「ぐふふっ!」
刹那、緊張感は一瞬にして打ち破られた。
やっと目の当たりにできた。大村の相貌を、である。かれは相棒をみつめつつ、そろそろと後ずさりしはじめている。
相棒を刺激しないよう、細心の注意をはらっているのが感じられる。
「ジーザス・クライス!ドンピシャすぎて超ウケる」
副長も永倉も島田も、思いっきりふいてからめっちゃ笑っている。そして、現代っ子バイリンガルの野村は、フツーに馬鹿笑いしている。
かくいうおれも、あまりにもwebの肖像画のまんまなので、思わず笑ってしまった。
社会人として、じつに恥ずべきおこないである。
良い子も良い大人も、けっしてけっして他人の外見を笑ったり、判断したりしてはいけない。
といっても、説得力はまったくないか。
「抱きちてくっなどと、愚弄すっつもりと?」
俊春は、すっかり立ち直っている。
さきほど、かれはかたまっていたのである。
これはあくまでも推測であるが、敵意や害意のない他人に、っていうよりかは、バトッているときとか、かれ自身の予測の範囲内は別にして、不用意に肉体的な接触をされるのが怖いのかもしれない。
これまでは俊冬が側にいたので、さりげなくフォローしていたのであろう。
いずれにしても、俊春のトラウマは相当深刻なものである。
おれたちの想像を絶することがあったのだ。それを思うと、かれをみるのがつらくなってくる。事情がまったく分からないために、よけいにそう感じるのかもしれない。
同時に、かれは相当な精神力の持ち主でもあると、驚嘆してしまう。
すくなくとも、最近までそうとほとんど悟らせなかったのである。しかも、その間、しっているだけでもおねぇや将軍に抱かれているのだ。水面下では、どれだけの男性に抱かれていたのか、想像もできない。
どれだけ怖い思いをしていたのであろう。どれだけ我慢したのであろう。
いつか、このことについてかれと話さなければならない。
それは兎も角、大村が俊春にくっつきまくったのは、俊春自身がにゃんこをけしかけた結果である。かれもまさか、大村がここまで動物嫌いだとは予想しなかったにちがいない。
さきほどの俊春の薩摩弁による弾劾は、残念ながら大村には届いていないようである。
海江田はともかく、薩摩藩以外の者には、薩摩兵のふりをしなければならない。そのため、俊春は流暢な薩摩弁を駆使しているのである。
が、俊春の機転などどこ吹く風で、大村の意識も視線も、ひとえに相棒に向いている。
ふむ、動物嫌いか。
だからなに?といわれそうだが、正直、これはポイントを落とした。
「やっせんぼが、どげんつもりと?薩摩藩ん藩士に手をだすとは、許さるっことじゃらせんぞ」
そして、抱きつかれた当人よりも、海江田の方がよほど怒り狂いまくっている。火竜のごとく、口から火炎でも放出しそうなほど激おこぷんぷん丸状態である。
ってか、海江田は、おれたちが薩摩藩士ではないってしっているのに、ここぞとばかりに俊春と連携している。
「武次どん、やめんか。大村先生、どうか落ち着きたもんせ。これから軍議じゃ。気分を落ち着かせた方がよかやろう」
そして、やっとのこと大ボスの登場である。
重い体をねじりつつ駕籠から、ゆったりとした足取りでちかづいてきた。
その西郷のうしろに、現代っ子バイリンガルの野村がにやにやしながらしたがっている。




