アレとは?
「あれだ」
「あれ?」
俊春にささやかれ、あらためて「あれ」に意識を集中する。
その軍服姿の背は、そんなにおおきくはない。ゆっくりというよりかは、一歩一歩慎重に脚を運んでいるようにうかがえる。
どちらかといえば、細身である。なにより、体格のわりにはリーチが長く、頭部が異常におおきい。
それこそ、すこしのけぞったらうしろにひっくり返ってしまいそうである。
「ひいっ、ひいっ!やつじゃ、やつ。やっせんぼじゃ。だめじゃ。また笑いがこみあげてくっ」
島田の背でしばらくの間はおさまっていた海江田の笑い上戸が、また炸裂した。
「西郷さん?」
副長が、駕籠のなかの西郷に問う。
「あいが、そうじゃ」
西郷は駕籠の小窓からでっかい相貌をのぞかせ、至極簡潔に応じた。
なんと・・・・・・。
あれが、あれが長州の大村益次郎・・・・・・。
「くそっ!こっちを向きやがれ」
副長が、駕籠の向こうで毒づいている。すくなくとも、新撰組は、みなひとしくそう願っている。
なにゆえ、あんなにあるくのがおそいのだろう。自然と、おれたちもそのペースにあわせてしまっている。
ってか、たった一人であるいているのか?護衛は?
いくらイタイ性格であっても、大村は一応東征大総督府補佐、つまり敵の総大将有栖川宮東征大総督府を補佐するという要職にある。それが、たった一人であるいている?長州の将兵は、かれを一人にして平気なのであろうか。
「カモーン、ルック・アット・アス!」
うしろの方から、現代っ子バイリンガル野村の英語が飛んできた。
おいおい、野村よ。おまえ、マジで駅前留学しているんじゃないのか?あるいは、ラジオ講座かCD付きの英語の教材で学んでいるんじゃないのか?
それは兎も角、『こっち向けー!』って念を送りまくってしまう。それはきっと、おれだけではないはず。副長も永倉も島田も野村も、同様に送っているにちがいない。
軍議がどういうところでおこなわれるのかはわからないが、すくなくとも建物内のどこかの部屋にはいっておこなわれるだろう。その部屋には、だれでもが入れるものではないはず。
たとえば西郷なら、せいぜい半次郎ちゃんを伴えるかどうかにちがいない。おなじ藩の海江田は参加できるはずだろうから、半次郎ちゃんですら伴えぬかもしれない。別府にいたっては、どこか別室でまたされることになるだろう。
まさか青空軍議で、だれでも参加OKでないかぎり、おれたちなどは建物内に入ることすらかなわぬかも。
そうなれば、いまここで会ったが百年目。web上の写真のまんまか、なんとしてでもみておかねば。
そうでないと、軍議がおわるまでまたねばならなくなる。
そのとき、大村のまえに黒い影が飛びだした。途端に、かれは飛び上がった。
『ナーゴ』
甘えたようなにゃんこの声が、のんびり流れてくる。
「ひいいいいっ!猫っ、猫っ!しっ、しっ、どっかゆけ」
それから、怯えきった弱弱しい声も流れてきた。
大村は、あとずさりしはじめた。つまり、こちらに背を向けたまま、ちかづいてくる。
『ナーゴ』
どうやらにゃんこは、大村が喰い物でももっているとでも思っているのか、あるいはからかっているのか、しなやかな体をくねらせつつ、大村に歩をすすめている。
どこからか、だしのにおいが漂ってきた。どこかの建物を厨にリフォームし、食事でもつくっているのかしれない。
ってか、このにおいで腹が減ってきた。朝、あんなに喰ったにもかかわらず、なんで腹が減るんだ?
そんな喰いしん坊さん的なことをかんがえている間に、大村の背がすぐそこまで迫ってきた。
『ナーゴ』
虎猫である。ニカッと笑ってるみたいなその表情が、めっちゃかわいい。
おっと、あんまりかわいいかわいいって思っていたら、相棒にやきもちを妬かれて・・・・・・。
ちっ!相棒は俊春にべったり寄り添い、かれを見上げてるじゃないか。
その相棒の視線と意識を一心に集めている俊春は、担いでいる駕籠をおろし、五本ある方の掌をわずかにひらひらさせている。
『ナーゴ』
そういえば、にゃんこは大村に迫っているわりに、双眸はかれをみていない。その視線は大村をとおりこし、俊春をみているようである。
にゃんこをよくみると、俊春の掌の動きにあわせて鳴いたり、大村にちかづいたりしている。
なるほど、俊春がにゃんこをあやつっているんだ。
「大村先生、むぜ猫じゃなあ。先生ん猫やろうか?」
大村は、先頭にいる俊春とおれの近間に入りかけている。
俊春がその背に問いかけると、大村の背がびくりとおおきく震えた。
うーむ。さすがは俊春。薩摩弁で呼びかけるところは、芸が細かい。
「猫はきらいだ。どうにかしろ」
大村は、にゃんこを刺激したくないのか小声でいってきた。動きも最小限におさえているようだ。




