笑い上戸なの?
この「ネーミング論争」は、双子にとってそれぞれの信念をかけているといってもいいほどの重大な事案である。
そして、それはいまや、おれたちにとっても重大になっている。
突拍子もないとは、まさしくこのことであろう。主語どころか、なんのことかヒントすらない。通常なら、質問を投げつけられた側は「おまえ、頭おかしいんじゃないのか?」とか、「不作法だ」って感じになるだろう。
実際、海江田もボーっとしている。視線を晴れあがった空へ向け、口を半開きにしている。
おれたちは、しばしそれをガン見する羽目におちいった。
ときにすれば、ほんの数秒か。全員が固唾をのんでかれを見守っている。
緊張と不安にさいなまれるなか、かれが突然その場にくずおれた。それこそ、文字どおりその場にへなへなと両膝を折り、倒れこんだのである。両掌を地面につき、四つん這いになっている。しかも全身、ぶるぶると震えている。
すわっ!卒中か?
おれだけではない。永倉と俊春も、反射的に駆け寄ろうと・・・・・・。
「やめたもんせっ!」
半次郎ちゃんの一喝に、おれたちの動きが止まる。
「大丈夫じゃ。ただんやっせんぼじゃ」
つづけられた半次郎ちゃんの言葉。
耳をすまし、双眸をこらしてみる。
酸欠状態なのか、ヒイヒイと空気を求めるようなあえぎがきこえてくる。そして、冷や汗であろう。大粒のしずくが相貌からしたたり落ち、地面を濡らしている。
「ひいいいいいっ!「でこぴん野郎」に「でこちんの助」?どちらも似合いすぎちょって、選べもはん。おもしてすぎて、笑いがとまらん」
あえぎの間に、たしかにそうきこえてくる。
西郷をみると、かれは困ったように気弱な笑みを浮かべている。それから、半次郎ちゃんに視線を向けた。
かれは、筋肉質の両肩をすくめてから吐き捨てる。
「救いようんなか笑い上戸じゃ。こうなったや、おぶってゆっしかあいもはん」
ちょっ・・・・・・。
視線を海江田へと戻すと、かれはパーフェクトなまでにツボにはまっている。
いまや地面に倒れこみ、腹を抱えるような姿勢で笑っている。しかも、めっちゃ変な笑いかたである。
道ゆく人はそれを目の当たりにし、あきらかひいている。じろじろとみつめ、不審感もあらわである。
まぁ、当然のリアクションか。
が、なかには地面に倒れこんでいる海江田から、おれたちに視線を向ける人もいる。しかも、あからさまな非難の視線である。
なるほど。みようによっては、まるでおれたちが、海江田をフルボッコにしているみたいにみえなくもない。
ということは、完璧パワハラである。
なんてこった。いわれなき非難に、われわれは耐え忍ばねばならない。
ってか、どんだけ笑い上戸なんだ、海江田?
結局、島田がおんぶして連れてゆかねばならなかった。
西郷よ。こうなることがわかっているんだったら、せめて目的地についてから質問した方がよかったのではなかろうか?
ってか、海江田はこんな状態で、本人を目のまえにできるんだろうか?
軍議中、海老みたいに床上で丸まって笑ってます、というのもふざけすぎていると思うのだが。
板橋の総督府にやってきたのは、局長の助命嘆願書を持参してから二度目である。
ぶっちゃけ、民家や宿屋を接収した仮の本営である。ゆえに、おおきな門があり、ここが総督府であることを示すでっかい看板がかかっているわけではない。おおきな庭があり、小隊が調練をおこなっているわけでもなく、警備の兵士たちがつねに巡回して瞳を光らせているわけでもない。
一応は、このあたりの区画を接収しているようで、道を区切って一般人は入れなくなっている。
詰め所で入場の許可を求められるでもなく、指紋や顔の認証やセキュリティーカードをかざすこともなく、おれたちはなんのチェックもされぬまま、建物へとあるいてゆく。
それにしても、軍議だったら江戸城のほうがよさそうなものだが・・・・・・。
おれの疑問を、副長が西郷に尋ねた。
「幕府ん要人たちがまだおおぜいう。こちらんほうが、警備にそげん人数を必要としもはん」
単純明快な答えである。
それはそうだ。江戸城は明け渡されたとはいえ、残務処理等で幕府側の人間は大勢いる。そこで呑気に軍議などやろうと思えば、どれだけ護衛を従えなければならないだろう。なにより、情報の漏洩もある。なにせ、幕府側にとって、江戸城はホームグラウンドどころか、ずばりホームである。隠し部屋や細工など、なんらかあるかもしれない。軍議をこっそりうかがう、なんてこともおおいにかんがえられる。それならば、あらゆる意味で不便で面倒であろうと、板橋でおこなったほうが気が楽だし安全であろう。
そんなこんなで、いろんな色の腕章やフサフサをつけた将兵がきびきびあるいている。とはいえ、将兵のほとんどが前線にでている。数自体は、さほどおおくはない。
西郷ののる駕籠の先棒を担ぐ俊春が、あるきつつ相貌をわずかに上へ向けた。
隣であゆみつつ、そのかれの仕種が相棒とそっくりであると苦笑してしまう。
すると、かれは無言のまま、右の人差し指で前方を指し示した。
将兵が慌ただしくいききするなか、その一つの背だけは、やけにゆっくり動いている。
まるで、大阪人のなかに放り込まれた他府県民のようである。
相棒も俊春とおれの間で、そののんびりとした背をじっとみつめている。




