不覚
坂井は、屯所までのかえり道、気味が悪いほど無口である。
そして、気味が悪いほど物理的に体をくっつけてくる。
正確には、おれの肩に腕をまわし、顔がちかすぎてたがいの頬がくっつきそうなほどである。
「こいつはもう、おれさまのもの」的なアピールに、自己満足をしているのか。悦に入っていて、無口になっているようにも思われる。
「どうであった?」
屯所がちかくなるにつれ、おれの緊張もとけてくる。
張り詰めていた気と集中力も、じょじょに失われてゆく。
坂井は、そのタイミングを見計らったかのように囁いてくる。
「どうであった、とは?」
問いに、問いで返す。
視線だけ横に向ける。なぜなら、顔がちかすぎて、顔を横に向けたが最後、はずみでまた唇を奪われかねないからだ。
「伊東さんに教授してもらったか、という意味だよ、主計?」
「ああ・・・」
わざと苦笑する。
もしかすると、いまさらながら、嫉妬に狂っているのかと思った。
自分で手引きしておいて、である。しかも、その報酬が、おれ自身であるのに。
「教授してもらうには、時間がすくなすぎました。途中で、加納さんが探しにきましてね・・・」
まえを向いたまま、答える。真実である。坂井が、じっとみつめているのが感じられる。その熱すぎる視線は、おれの心の奥底までのぞき込もうとしているかのようである。
「なにかいっていたか?そうだな、たとえば、おまえが思想についてなにかいったとき・・・」
できるだけ坂井をみないよう、まえを向くことだけに注意をはらう。
「うつりたい、と話してみたか?あるいは、新撰組にいたくない、と?」
たたみかけるように尋ねてくる。いまや、おれの耳の穴のなかにまで熱い息が吹きこまれるほど、かれの口がちかい。
「坂井さん・・・?」
横を向こうにも、向くことができない。
肩にまわしていない方の掌が、おれの顎を軽く掴んでいる。そのときはじめて、その掌に幾つもの肉刺の潰れた痕があることに、気がついた。
古い痕がくっきりと掌に残っているのが、月明かりの下でもみてとれる。
いま、屯所へとつづくちいさな林の道をあるいている。馬車が一台がかろうじて通れるほどの、さしてひろくもない道である。
すこしまえまでは、民家が軒を連ねているところを通っていた。が、ここはもう西本願寺の領域の一部。そのほとんどが、林である。
その林の木々の間に、複数の気を感じる。
待ち伏せ、という最悪のシナリオが、脳裏をよぎる。
「なら、はっきりときかなかったのかい、主計?近藤局長と土方副長をどうするつもりなのか、と。あるいは、新撰組をいつ潰すのか、と?」
顎を掴んでいる掌に、じょじょに力がくわわってゆく。さらに、肩にまわされたほうの腕は、そのままおれの頸をしめあげはじめる。
掌の肉刺、だけではない。不覚にも、坂井の両掌の分厚さが尋常でないことに、このとき気がついた。
坂井が屯所の道場で稽古をしているところを、一度もみたことがない。
坂井は、剣士だ。しかも、かなりの腕をもっている、剣の遣い手・・・。
いまさらながら、それに気がつくとは・・・。
さらに最悪なことに、感じている無数の気が、同時に殺到してくる。