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西郷さんの苦悩

「けって、敵ち呼ぶっ存在ん方がやりやしやろう。みえん敵は、いたるところにおっ。正直なところ、そんほうがやっけじゃ。誠ん敵に追い詰められ、自害すっとならまだしも、みえん敵にじわじわと追い込まれるようなことになれば、いつなんどき詰め腹を切らさるっかわかりもはん。おいどんの立場は、そげん危うきもんじゃ。おいどんらは、そいをようしっちょっ。じゃっで、いまんような話になったとじゃ」


 結局、西郷はつづけた。


 おれたちは、内心で驚きつつ、それをきいた。


 ってか、おれだけは表情かおにでているんだろうけど。


 西郷は本来の敵、つまり、おれたちより味方のほうがヤバいといいたいわけである。


 長州に土佐、公卿、その他もろもろは、いつなんどき薩摩を、さらには西郷自身を裏切り、返す刃でもって襲ってくるかもしれない。

 それは、暗殺かもしれないし、なんらかの罠にはめ、立場を悪くさせるかもしれない。


 そんなことをかんがえれば、西郷は気が気でならないであろう。だれも信じられないかもしれない。

 

 その西郷をみている半次郎ちゃんたちも、たまらない気持ちにちがいない。


 斬首というのはいきすぎでも、いかなることになっても対応できるよう、危機感と覚悟は必要である。

 いまのこのかれの危機意識を目の当たりにすると、史実どおり、かれが西南戦争まで確実に生き残れるとは断言できない。


 そんなあぶなかっしさとはかなさが、いまのかれから感じられる。


「西郷先生。なんと申したらよいのか・・・・・・」


 さすがの副長も、西郷の立ち位置や状況に、ショックを隠しきれない様子である。


「重ね重ねお詫び申し上ぐっ。さて、よかにおいがしてきた。こげん話はおわりにしもんそ」


 西郷は、おおきな相貌かおにおおきな笑みを浮かべ、掌で太腿を一つ打った。


 そこではじめて、室内に出汁のいいにおいが漂っていることに気がついた。


 相棒も、庭で鼻をひくつかせている。


「誠に、いいにおいですね。鰹節かな?」


 すっげーいいにおいである。なんとなくそうなふうに推測して告げたタイミングで、奥の襖がすっと開き、篠原が入ってきた。


「ほう。よか鼻をしちょっね。そんとおりじゃ。こたび準備したんな、国許ん枕崎浦から取り寄せた鰹ん節を調えしもとじゃ」


 篠原がほめてくれた。


「へー、さすがは兼定の散歩係だ。鼻だけはいいらしい」


 そして、副長もほめてくれたっぽい。

 いまので、点数を稼げたであろうか?相棒の散歩係として、不動の地位を築けたであろうか?

 これで、おれの新撰組としてのキャリアは、輝かしいものになるのであろうか?


 いや、ちょっとまてよ?なんか、みみっちいっていうか、情けないっていうか、なにかがおかしくないだろうか?

 

 もはや麻痺してしまっていて、よくわからぬ。


 おれの輝かしい将来さきのことは兎も角、どうやら、このいいにおいの元は枕崎産の鰹節っぽい。

 

 鰹節は、たしか紀州の漁師が考えだしたものだと記憶している。1670年代だったろうか。その製造法が枕崎に伝わったのが、1700年代に入ってすぐ位だったかと思う。


 現代で鰹節をしっているからこそ、においでわかったのである。しらなければ、ただのいいにおい程度にしか感じなかっただろう。


 ちょっぴり優越感に浸っている間に、篠原が蕎麦の鉢を置きはじめていた。


「おれたちも手伝おう。いくぞ、利三郎」


 野村を誘い、篠原について厨に向かう。


「すみもはん。客人に手伝てもろうて」


 薄暗い廊下をあゆみつつ、篠原はわずかに相貌かおをこちらに向けていう。


「アイ・ドント・マインド」


 それに、現代っ子バイリンガルの野村が、ソッコー応じる。


「す、すみません。いまのは『お気になさらずに』、という意味です。利三郎、なにいってるんだ?無礼だろうが」

「ふんっ!異国のものとはいえ、言の葉は言の葉。薩摩の方々も、国の言葉をつかっている。それとおなじであろう?」

「おま・・・・・・。そういうのを屁理屈っていうんだ」

「ちげなか。野村君んいうとおりじゃ」


 まえをあるく篠原の肩が上下している。

 どうやら、かれはずいぶんと寛容なようだ。


 人選をまちがえた。が、まさか島田に蕎麦を運ばせることはできない。もちろん年長で大先輩だからであるが、それ以上に島田なら蕎麦を腹のなかに入れて運びそうだからでもある。

 永倉、ましてや副長に運ばせるなど、言語道断である。永倉はまだいいが、副長にいたっては、ことあるごとに嫌味を乱射されるのがウザすぎる。


 というわけで、野村しかいないわけである。

 これだったら、おれ一人のほうがよかったかも。


「きみは?相馬君やったかな?大坂で会うたどね」


 篠原の横顔がこちらに向き、すぐにまえに戻った。


 かれがいったのは、例の大坂城から運びだした幕府の財宝をめぐり、遣り合ったときのことである。


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