主計 西郷さんと犬について語る
「そうじゃなあ。立派な犬で、猟に連れていったりすっ」
西郷がいうのは、薩摩犬のことである。
薩摩犬は獰猛な性質であるとかで、洋犬とかけあわせたりしたそうだ。一度絶滅したと思われていたが、その血を色濃く継ぐ犬が発見された。そこから増やしたが、結局、2010年かそこらで絶滅してしまったらしい。せめて天然記念物に指定されればよかったのであろうが、それもかなわなかったとか。
「猟犬は獲物、つまり動物を探したり追いかけたりして、人間の手助けをします。相棒のような使役犬は、悪さをした人間を追ったり、行方不明の人間を捜しだしたりします。たとえば、あなたがどこかに隠れたとしても、手拭いなどあなたの持ち物のにおいから、あなたをみつけることができます。それだけでなく、襲ってくる相手にうなって威嚇をしたり、噛みついて攻撃もします。それらはすべて、おれのような訓練士が訓練し、指示をします」
「そんたすげねぇ。ますます興味がわっ」
犬の話題へともどり、西郷はいろんな意味でほっとしたようだ。また笑顔になっている。
その相棒に、あなたの部下が噛まれたんですよ。と心のなかで付け足しておく。
「そろそろ戻りもんそか。ほんとによか散歩やった」
西郷は胸いっぱいに潮風を吸い込むと、元きた道をあゆみはじめる。が、すぐに立ち止まった。
相棒は、従順に西郷に従っている。ともに立ち止まる。
「砂だらけになってしもうた」
かれは、こちらに頭だけ向けてテヘペロってる。
そして相棒は、その西郷を温和な双眸でみあげてみまもっている。
「あの、西郷先生。この戦の後、どうされるおつもりですか?」
かれがまたあゆみだすと、そのおおきな背に問いかけてしまった。
「その・・・・・・。先生、この後、いろいろあるはずです。お立場上、回避できないこともあるかと思います。それから、性格上断れないこともでてくるかと思います。どうか、うまくたちまわってください」
かれがなにもこたえないので、さらにいい募る。
これよりわずか十年も経たぬ後に、西南戦争が勃発する。いわゆる、士族による武力反乱である。西郷は、その盟主に担ぎあげられ、結局は負けて自害する。
残念ながら、西郷を助けることはできない。すくなくとも、これからどうなるかわからないおれには、いまの時点ではどうすることもできない。史実どおりにゆけば、おれ自身、それまでに死んでいるかもしれない。
ゆえに、いまできることは注意喚起するくらいである。もっとも、そんなことをしても、西郷にとっては敵の三下の世迷言にすぎぬであろう。
それでも、伝えたかった。しょせん、自己満足にすぎない。それも承知している。
いっそ、「あなたは十年ほど後に幼馴染と敵対し、負けて自害するんですよ。うちの局長同様、不名誉な死を遂げるんですよ」と、いってしまいたい。
かれのあゆみがとまった。当然、相棒のそれもとまる。
それから、かれは相棒とともにこちらに向き直った。
夜気をふくんだ潮風は、うなじをそよがせている。わずかに髪が伸びてきている。俊春に刈ってもらおう。そう思った瞬間、西郷のおおきな相貌に笑みがひろがった。
「忠告をあいがと。おいどんな、不器用じゃ。それから、無能じゃ。周囲が、おいどんをここまでひっぱってきてくれた。これより後、どげんなっかはわかりもはんが、おいどんな周囲んために生きてゆこうて思うちょっ」
そして、踵を返すと砂を盛大に踏みしめながら屋敷へと戻っていった。
かれは、いまの言葉を確実に成し遂げるはず。
一抹の悲しみを胸に、おれも下駄で砂を踏みしめ、かれを追いかけた。
蔵屋敷に戻ると、俊春がいまだに片膝ついて控えているのでびっくりしてしまった。
室内に灯火がともり、その灯がとどくぎりぎりのところで、かれは西郷にたいして頭をたれている。
「おはん、どげんしたんと。あがって、酒でも呑みやんせ」
おれが問うよりはやく、西郷がちかづいて尋ねた。相棒は、尻尾フリフリ俊春にぴったり体をよせる。
ふむ。わかっちゃいるけど、ビミョーな気分である。
「わたしは、これにて・・・・・・」
西郷を上目遣いにみ、俊春は言葉すくなめに応じる。
なんてことだ。あくまでも、副長の忠実なる犬として徹している。俊冬がいない分、かれは俊冬の分まで副長が「イケメンだけではない漢」であることを、西郷たちに印象付けるつもりなのだろう。
感心というか呆れてというか、兎に角、その徹底ぶりを考察している間に、西郷は俊春に相棒の綱を渡し、縁側に上がってしまった。
「あの、じゃぁおれも・・・・・・」
「散歩係様は、どうぞ上がってくださいませ」
おれもいっしょにいますよといいかけたのに、俊春はマジな表情で嫌味をぶちかましてきた。




