坂本龍馬と西郷隆盛
説明するのに気をとられていて、裏門からでていたことに気がつかなかった。潮のにおいが、よりいっそうきつくなった。海感が半端ない。視線を眼前に向けると、海がひろがっている。下駄は、砂を踏みしめている。
暗くなりかけている海は、すべてを呑み込んでしまいそうでちょっと怖い気がする。
まぎれもなく、砂浜に立っている。
ここは、現代ではビルが建っている。それを思うと、なんか不思議な感じがしてしまう。
潮風が肌に心地いい。しばし、西郷と相棒とともに、潮風を全身で受けとめる。
「坂本先生は、この大海原に船でのりだし、世界をみたいとおっしゃっていました」
現代にいたころから、疑問というか疑惑というか、わだかまりがあった。千載一遇のチャンスとばかり、それをぶつけてみることにした。
それ以前に、あの西郷隆盛とならんで立っている。これは、現代で天皇陛下とならんで立ったり会話をかわすのと同様、奇蹟である。めっちゃ感動している。
いや、確率からいえば、天皇陛下のほうが、会える可能性は高いかもしれない。天皇陛下なら、行幸などでそういうチャンスがまったくないわけではない。
一方、現代にいるかぎり、西郷隆盛にはぜったいに会えない。
せいぜい、西郷隆盛を演じる役者さんに会えるくらいだろう。
「坂本どんをしっちょるんと?」
西郷は、おれの言葉にぎょっとしたようだ。でかい相貌が、こちらに向いたのを感じる。
おかしな話である。
局長の斬首の理由の一つが、坂本龍馬暗殺の容疑である。その局長の部下であるおれが、坂本をしらぬわけはない。なのに、しっているのか、と尋ねてくるなんて。
おれと西郷の間でお座りしている相棒も、海をじっと眺めている。
暗くなりつつあるというのに、二羽のカモメが魚を狙い、海上すれすれに飛んでいる。数羽のカモメは、海上をふわふわ浮いている。
そういえば、おおきな船がみあたらない。桟橋に、小型の舟が二艘くくりつけられている。
「ここらは浅瀬じゃ。国許かろうっ船は沖に停泊し、舟に移しけてここまでふぶとじゃ」
おれの心のなかをよんだのであろう。ってか、西郷にまでよまれるなんて、どんだけよまれやすいんだ、おれ?
兎に角、西郷がおれの疑問にこたえてくれた。
ここいらは浅瀬らしい。薩摩からやってくる船は沖に停泊し、物資は小型船にうつしかえ、陸へと運ぶらしい。
「坂本さぁは、ほんのこて残念やった」
「局長は、坂本さん暗殺の嫌疑で・・・・・・」
「そんた、土佐藩ん主張じゃ。おいどんな、そいにちては異を唱えた。有馬さぁを通じて。じゃっどん、それもかなわんかった。おいどんが、そん件では蚊帳ん外におかれちょったで、いまさら介入してくっな、ちゅうこっやろう」
おれにかぶせ、西郷はいっきに語った。しかも、謎めいている。
『そん件では蚊帳ん外におかれちょったで』
坂本龍馬暗殺のことか?
「薩摩は、くわわっていなかったと?」
思わず、刑事モードになってしまった。
「藩としては。それから、おいどん自身は。坂本さぁは、気んおけっ友人じゃ。でくれば、大政奉還がなった後、いっきでも雲隠れしてもらおごたったとじゃ」
西郷は、無意識なのであろう。相棒の頭をなでている。
いまの話だと、西郷のあずかりしらぬところ、あるいは特定の人物はかかわっていたととれなくもない。
たとえば、西郷の幼馴染である大久保利通は、かかわっていたとでもいうのであろうか?
大久保とは、京で出会った。この戦の立役者の一人、岩倉具視の屋敷からでてくるのを、のぞきみしたのだ。その屋敷には、土佐藩の商人岩崎弥太郎や、坂本暗殺の実行犯である見廻組の今井信郎が出入りしていた。
西郷は、坂本の件に関しては蚊帳の外に置かれたままでなにもできず、いまもなおそれは継続中ということなのか。
しかし、大久保に力があるといえど、西郷の方が勢いがあるだろう。西郷は、大久保をとめようと思えばとめられたはずだ。
「よかわけになっどん、立場ちゅうものがあっと。友人を助けとうも、そいが邪魔をすっ。こん時期、藩んなかで揉むったぁ避けよごたっとじゃ。友人の一人はけしみ、ちがう友人とは疎遠になった。情けなか話じゃ」
西郷は相棒をなでつつさみし気につぶやく。その双眸は、海原へと向けられている。
『友人の一人は死に、ちがう一人とは疎遠になった』
坂本と大久保のことにちがいない。
一瞬、坂本のことをいいそうになった。が、すぐに自分自身を叱咤する。
坂本とその盟友中岡が生きているということは、文字通り墓場までもっていかなければならない真実である。
このことは、たとえ坂本の身内であろうと友人知人であろうと、ぜったいに告げてはならぬのだ。
二人を護るために。それから、歴史をかえぬために・・・・・・。
しかし、これですこしは救われた。坂本も、喜んでくれるだろう。
親友に裏切られたわけではない。これがわかっただけでも、勇気をだしていってみた甲斐があった。それから、おれ個人の疑問と疑惑も解消された。
「心中、お察しします」
心から、かれにそういっていた。
「薩摩にも地犬がいますよね」
話題をさっとかえた。あまり坂本に固執するのはよくない。
坂本の暗殺嫌疑で局長が死んだんじゃないか。
それを責めている感を、漂わせておくにとどめておくべきであろう。




