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上野の西郷隆盛像

「西郷先生は、なにももっていらっしゃらぬ。つまり、いかなる武器も所持されておられぬ。ゆえに、同道するおぬしも無腰であるべきだ」


 俊春が庭から教えてくれた。そこでやっと、そういう意味だったのかと思いいたった。

 同時に、めっちゃ恥ずかしくなった。


 いわれてみれば、そのとおりである。

 ゆえに、すぐに腰から鞘ごと「之定」を抜き、副長に渡した。


「西郷さん。こいつは、もうなにももっちゃいません。それに、力も強くない。無礼なことをしたり申したら、遠慮なくぶっ叩いてください。くたばる以外なら、問題ありませぬので」

「はははっ!デッド・バディはテイクアウトするのが大変だから」

「ちょっ・・・・・・。副長、それはないんじゃないですか?それに利三郎、ふざけたことをいうんじゃない」


 西郷が大笑いしだした。つられて、半次郎ちゃんや有馬も笑いだす。篠原と「プレ〇リー」も笑っている。


 よしっ!薩摩人を笑わせたぞ。いや、ちゃうちゃう。張り詰めた空気を、なごませたぞ。


 もちろん、新撰組うちサイドも大笑いしているのはいうまでもない。


(局長、ご覧いただいていますか?主計は、あいかわらずいじられまくっています。ついに、敵まで笑わせています)


 しばし、天をあおいで局長に語りかける。


 沓脱石の上に、下駄が置いてある。借りてもいいか、目線で半次郎ちゃんに問うと、意外にも半次郎ちゃんはニヒルな笑み、っていうか、まだ笑っているその笑顔のままでうなずいた。

 

 てばやく靴下を脱ぎ、下駄をはく。


 まずは相棒の綱を俊春から受け取り、掌で相棒に合図を送ろうとした。

 とそこで、ふと思いついた。


「西郷先生。一瞬だけよろしいでしょうか?相棒、西郷先生の右側でお座りだ」


 綱は西郷に渡し、相棒には西郷の右側でお座りするように指示する。


 おお・・・・・・。

 ガチに、上野の西郷隆盛像だ。


 犬種はちがうが、着流し姿の西郷と犬は、まさしく上野の西郷さんである。


 やたらテンションが高くなる。

 視線を感じるのでそちらへ視線それをはしらせると、いまだ地面に片膝ついて控えている俊春が、じとーっとみつめている。その口が、いままさに動きかけている。だから、副長ばりに眉間の皺をよせ、眼力めぢからでもってそれを牽制した。


 俊春のことだ。おれのテンションのたかまりの内容をよみ、とんでもない捏造でもっておれを陥れるにちがいない。

 

 そうは問屋がおろすまい。


 そのとき、俊春の表情かおが悲し気にゆがんだ。まるで、クラスのいじめっ子ににらまれた気の弱いいじめられっ子みたいである。

 

 いやいや。気の毒だが、いらぬことをさえずられては困る。ここは、非情に徹しなければ。


「西郷先生。兼定は、人間ひとの左脚すぐうしろの位置であるくよう、訓練されています。綱は、左掌に握ってください。相棒」


 おれが左の掌でおれ自身の左太腿を叩くと、相棒は西郷の左側へ移動する。


「おお、すげねぇ。兼定は、わっぜ利口な犬じゃ」

「御意。だれかさんよりかは、ずっとずっと驚くほどはるかに、その上かんがえも想像もおよばぬほど利口でございます」


 西郷の感動に応じたのは、俊春である。


 かれはこちらを向かず、遠いをしたまま嫌味を発動した。


 さきほどの報復である。


 ゆっくりあるきはじめた。

 うしろをちらりと振り返ると、半次郎ちゃんがじっとこちらをみつめている。斜視気味の双眸は、西郷のことを心から心配しているように細められている。


 そして、副長も。が、その涼やかな双眸は、とくにおれのことを心から心配して細められているわけではなさそうである。

 そう確信してしまうのは、被害妄想が激しすぎるからであろうか。


「半次郎ちゃん。客人に、焼酎でも馳走しようじゃらせんか」


 視線をまえに戻したと同時に、有馬の声が背にぶつかった。


「半次郎ちゃんと呼ぶんじゃなかっ!」


 そして、半次郎ちゃんの怒鳴り声も。


「おっ、薩摩の焼酎?それはいい」


 さらに、永倉の上機嫌な声まで。

 

 さすがは酒好きである。が、永倉はわきまえている。敵地でべろんべろんになるまで呑むことは、おそらくはないはず。


 もう一度チラリと振り返ると、副長がまだこちらをみつめている。永倉や有馬たちは、部屋に入ったのであろう。そして、俊春もいまだ地に片膝をついたまま、こちらをうかがっている。


「兼定は、異国ん犬ときいた」


 西郷に問われ、副長と俊春の視線から、自分の視線それをひきはがした。


「はい。ドイツ、ジャーマンの犬です」


 そう答えてから、西郷にジャーマン・シェパードについて、さらには使役犬、つまり警察犬や軍用犬について説明した。

 かれはじつによく耳をかたむけ、きいてくれている。


 ときおり相槌をうち、相棒をみおろし、おれと視線をあわせ……。と、たいそうきき上手である。

 

 自分が興味のあることだからなのであろう。それでも、真剣にきいてくれている様子は、こちらの気分をよくしてくれる。


 ゆえに、ついつい気持ちよく講釈をたれてしまうわけだ。

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