ヒーロー
そのとき、例のいじめられっ子が子どもたちのなかから歩をすすめた。無理矢理もたされていたであろう風呂敷包は、地面にほっぽりだしている。
かれは、相棒にむかってこわごわとではあるが、一歩ずつ距離を縮めてゆく。
ほかの子どもたちが声もなく見守るなか、かれの双眸に断固たる決意の灯が灯っているのに気がついた。
そしてついに、かれは相棒のまえに立った。大人も子どもも見守るなか、かれは右掌をおずおずと伸ばす。
相棒は、強面狼を演じつづけている。眼前の子どもにいまにも飛びかかり、牙と爪とで八つ裂きにしてしまうぞ感を醸しだしている。
ときにすれば、一分かそこらであろう。だが、かれにすればかなりの時間にちがいない。
ようやく、かれの右掌が相棒の頭の上にのった。
三太という名の少年が、勇気ある立派な男であることが証明されたのである。
子どもらは、各自自分の荷物を抱え、去っていった。
「三太、おまえすごいな」
「いじめたりしてごめんな」
「わたしのうちによっていってくれ。いっしょに手習いをしよう」
いまや、かれはヒーローである。なにせ、みんなが怖がる狼をなでたのだから。
いじめっ子たちに囲まれ、いじめられっ子だった子は、じつにうれしそうである。
その相貌は、みずからの力で困難を克服した者のみがもつ、強さと誇りで輝いている。
おれたちは、それからしばらくその場でやりとりをした。でっ結局、田町にむかうことになった。
具体的には、ある屋敷へむかったのである。
現代でその屋敷は、勝海舟と西郷隆盛が江戸城明け渡しの会談をおこなった場所として有名である。
薩摩藩蔵屋敷・・・・・・。
結局、おれたちは西郷隆盛の招きに応じることにしたのである。
「おまえがきたときには、餓鬼どもは仲良くなっていたんだがな。餓鬼どもが新撰組に入隊したての時分は、餓鬼ども特有のいじめがひどかったもんだ。とくに年少者や、年長者でもおとなしいやつが恰好の的だった。年少者でいじめられなかったのは、泰助くらいであろう。泰助は、叔父である源さんが幹部だってこともあったが、自身がうまくたちまわる術をよくしってやがった。それは兎も角、そういった餓鬼同士のいざこざをうまく解決し、まとめたのが利三郎ってわけだ」
あるきつつ、副長がおしえてくれた。
「ザッツ・ライト。アイ・アム・ア・ヒーロー」
当の野村は、ドヤ顔で相棒の綱を握っている。そして相棒は、あれだけ凶暴な狼よばわりされたというのに、気にしていないようである。
相棒も、一人の子の精神を救い、前途に光明をみいだしたことがわかっているんだろう。
「利三郎の活躍っぷりは、それが最初で最後じゃないのか?」
「永倉先生、ファックですよ」
「なんだと?そういうおまえがファックだ」
野村が永倉にからかわれて中指を立てると、永倉も中指を立て返している。
悪い意味でのグローバル化の波が、おしよせてる感が半端ない。
「それにしても、即座にあんな芝居ができるなんてな。さすがだな、利三郎」
おれなど、ぶっちゃけなにもできなかった。副長にとめられなかったら、いじめっ子たちを頭ごなしに叱りつけ、いじめられっ子にはもっとしっかりするようはっぱをかけ、面倒は避けてとおる学校の先生のごとくふるまったにちがいない。
そんなことで、いじめなどなくなるわけなどないってわかっているのに。
もちろん、さっきの芝居が正解なわけではないだろう。しかし、いじめられっ子はみずからの力で乗り越えた。いじめっ子たちはかれの勇気を認め、もうかれをいじめることはないだろう。
それにしても、あの子、よくもまぁ勇気をふりしぼれたものだ。相棒が俊春を襲うシーンを目の当たりにすれば、相棒がうなったり吠えたりしていなくても、ちかづくことすら相当勇気がいるはず。
たとえ犬好き、動物好きであっても、凶暴な狼にちかづけるであろうか。
俊春の言葉が、よほど心に響いたのか、あるいは沁みたのであろう。
子どもたちは、俊春扮する掏摸の言葉になんの疑いももっていなかった。これが大人なら、「悪党が、なにいってやがる」ってことになったにちがいない。
「ふふん。下々の者たちよ。わたしを敬い、奉れ」
商人の恰好で、野村はなめたことをいっている。思わず、苦笑してしまった。
「でっ、これからのことだ。招きっつって、のこのこゆくおれたちもたいがいだな」
永倉は、背に負う籐駕籠を担ぎなおしつついう。その籐駕籠のなかに、かれの愛刀「手柄山」が入っているのである。
かれの表情は、じつにうれしそうである。さすがは、「トラブル・カモーン」の「がむしん」。かれは、危地だろうと死地だろうとわくわくするらしい。
永倉新八とは、そういう男なのである。
「ぽちが受けてきた誘いだ」
副長は、そういってから不敵な笑みをイケメンにひらめかせた。
副長のその一言で、相手がよからぬたくらみを弄しているわけではなく、誠に弔意を述べたがっているという、俊春の報告を信じていることがうかがいしれる。
もちろん、おれたちも全面的に俊春を信じている。




